「『吐いた唾も飲まないで』って汚いな」
以前のnoteからちょくちょく「米津玄師さん好きだ」ということを言っている僕である。
もちろんここ何ヶ月もハマっているが、「米津玄師」という存在は『Lemon』の頃に知った。
星野源さんも『SUN』で知り、『逃げ恥』と『恋』で沼ったから典型的なニワカである。
まぁそんなニワカが良くも悪くも「米津さん好きだ」と言ったことがある。
バイトでまだ入りたてだった頃、先輩に「なに聴くの?」と言われそう答えた。
そしたらタイトルのような返しがあったのだ。
「米津玄師の言葉遣いってなんか汚いんだよね。『吐いた唾を飲む』って発想がもう汚い」
上記のnoteにあるように、僕は歌詞をあんまり聴いていない人なので一瞬戸惑ったが、たしかにそういう歌詞がある気がする。
そう思ってなんとなく受け流しながら、その人の前で米津玄師の話をするのをやめた。
全然関係ないんだけど、僕が好きになる人って賛否が分かれることが多いのよね。
「星野源が好き」と言った時も「顔かっこよくないのにテレビに出るべきじゃない」と言われた。
まぁ価値観は人それぞれだし、「好きなアーティスト」というものができたのが高校生の時と遅かったからこういう経験をしていないだけかもしれない。
だけど好きなものを否定されたら普通に傷つくし、その人の前での話題手札が一個減る。
だから僕は人の好きを否定しないようにしようと「なぜ好きか」「どこが好きなのか」みたいな目の前の人の感性を知ろうと思う。
知らないとなにもできないからね。
そう、知らないのだ。
「吐いた唾は飲めない」ってことわざがあるんだよね。
「一度言ったことは取り消せない」という「アンチ前言撤回」の意味がある。
だから米津玄師さんはこのことわざを知っていて、それを使ったに過ぎない。
つまり「『吐いた唾を飲む』って発想が汚い」は、米津さんに対しての悪口になり得ない。
それなのにさも「米津玄師の言葉遣いは汚い」と思っている相手はバカだし、それを真に受けて傷ついた僕はマヌケである。
知らないということがどれだけの損失かを思い知った出来事だった。
僕が「吐いた唾は飲めない」という言葉がことわざであると知ったのは、『かぐや様は告らせたい』って作品でかぐや様が石上にこの言葉を使っているのを見た時である。
知らないのは損であるが悪いことではない。
知ればいいだけの話だから。
ただ知らないことを知らずに批判するのは恥をかくだけだからやめておけ。
願わくば、米津さんを批判した人が「吐いた唾は飲めない」ということわざを知らないまま天寿を全うしてほしい。
世の中には知らなくていいことがあるのである。
「無知の知」ってやつなのかね?
まとめると、『Flamingo』は名曲だから聴いておけ!!
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