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高音を放ち食べる
「あいつウザくね?」
「これが許せない」
「いなくなればいいのに」
こういう”否定的な意見”は人との連帯感を増させる。
急にこんな話を始めてしまった。
僕は「楽しいの中で生きていく」をテーマにnoteで活動している。
が、ふと考えた。
「楽しいの反対ってなんだろう?」
”反対”とまではいかないものの、負の感情で連携した関係は「楽しいの中」とは言えないんじゃないかな。
そう思ったんで今回は「否定意見」をバンバン書いていくんで覚悟よろしく。
さて、嫌な人の話でもするか。
僕は高音を出して食事をする人が嫌だね。
「高音」というのが独特の表現になっているが、「ペチャペチャ」「クチャクチャ」「ピチャピチャ」みたいな音を指している。
麺をすする「ズルズル」ってのはギリ大丈夫。
だけど麺を一口ですすれず、口で麺を咥えなおす時にでる「ペチャ」って音には寒気がする。
そして、その音を出しながら食べる人が身内にいるのだ。
昔は気にならなかった。
しかし気づいたら気になっていて、途端に気持ち悪く感じるようになっていた。
「なぜだろう」と考えて僕が出した結論は、音から行動が浮かぶからである。
例えば黒板をひっかくと出る「ギィー」って音。
あれも結構苦手なんだけど、音じゃなくて爪に不快感を覚えるのだ。
黒板に字を書いている時に触れてしまった爪は、黒板の滑りづらい表面を無理矢理に滑らすから爪が剥がれそうになる。
実際、爪はそんな柔な奴ではなく、しっかりついてくるのだけど、この感触が気持ち悪い。
そんな経験が音から蘇ってくる。
だから気持ち悪いのだ。
同じことが麺にも言える。
ペチャペチャと音を立てながら食べているってことは、それなりの速さで食べていることになる。
すると、汁がはねる。
顔や腕、手に飛び散る。
服に付く。
机が汚れる。
机は拭けばいいし、服は洗えばいい。
しかし顔や腕などの「肌」に付いた感覚は不快である。
それが音から連想される。
だから嫌いなのだ。
潔癖なのかな。
いや、自分が感じた感情の保存期間が長いのかもしれない。
さっさと忘れておいしく食べればいいのに、忘れられないのだ。
肌が弱い故に過敏になってる節はある。
という感じで、高音を放ちながら食事をする人が嫌だ。
だから僕はなるべく咀嚼音を出さないようにして食べている。
どうだろう?
連帯感強まったかな?
まぁ「クチャラー」っていう、広く嫌がられていることを題材にしたからパンチは弱いだろうね。
食事は綺麗にしたいものである。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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