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【全肯定#1】生きていたんだよな

なんとなく思い付いたのでやってみる!

【全肯定企画】(仮名称)

この企画は「世間一般には否定されてしまうであろうことを肯定してみよう!」という趣旨でお送りしていく。

記念すべき第一回のテーマは「生きていたんだよな」。


これを今回のテーマに据えようと思ったきっかけは、あいみょんさんの『生きていたんだよな』という曲を聴いたこと。



この曲では「自ら命を絶った少女」が歌われている。

「セーラー」って言葉があるから少女なのかなと。

でね、この曲がおもしろいのは「自死」を否定していないこと。

普通「こういうことはよくないよ」と、彼女が起こす行動を否定するものである。

でもこの曲は、起きた出来事を否定せず、その出来事を関係無いところから見ている自分の心情を歌っている。

何にも知らないブラウン管の外側で

生きていたんだよな|あいみょん

今思ったけど、否定していないからと言って「肯定している」わけじゃないんだよな。

ただ、起きた出来事を受け取っている「自分」を表している。

とすると、「自死」を肯定している歌ではない。


この曲が「自死」を肯定する歌であれば話は早かった。

  • 自分の人生なんだから自分で決めればいいんだよ

  • 辛いことから逃げてもいいんだよ

  • お疲れさまでした

この辺の言葉を言って文章を締めればよかったのだ。

しかしこの曲は「自死」をした少女の背景や情緒を想像して解釈した自分の気持ちを歌っている。

悲しいけど、最期まで生きていたんだよな。

誰か一人にでも惜しまれることができれば、生きた甲斐があるってものよ。


僕はそんな人生を歩めているだろうか?

例えば僕が今死んだとして、何人が「よく生きたね」と言ってくれるだろうか。

まず、親や家族は絶対に言わない。

「親より早く死にやがって親不孝者め!」と否定されてしまうだろうな。

友だちはどうだろうか。

「なんで死んじゃったの?」と疑問に思うのかな。

君らnoteの読者はどうだろう。

「くろだ更新途絶えたね」「失踪したか」と一人二人が思って、忘れ去られるだろう。

ダメじゃん!

誰も惜しまないし、生きたことを褒めてくれない。

つまり僕はまだまだ死ねないのだ。


生も死も一度限り

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