「去年よりマシな」夏バテ
何にでも、「去年よりマシな」がつく。
どうなってるのかな
どうなってるのかな
どう転んでも
順天
なるようになるさ
どのみち
そういう波乱万丈を望んでると自称してきたけど
半分そうだけど半分は違う
同じように悲劇のヒロインぶってる女性はたくさん見たけど
私ほど切羽詰まってない。
「なんで私だけ…」というセリフが深刻過ぎて人に言えない(福祉職の人には言う)
家を出ると言うのは本来めでたいことだろう。
10年後43歳で「将来病気で無職でキャリアゼロでどうやって生きていこう」とか同じ事言ってたらやばいから、一か八かで家から徒歩20分の所へ一人暮らしに自立の練習に挑戦する33歳無職精神疾患発達障害生活保護(申請前)障害年金(申請中)なんて聞いた事ないよ。
それくらい私はものすごく弱いのに妙に粘り強くて悪運が強いから、人と違った生き方をすることになってしまっている。
市内に住むのはもう諦めた。今気に入っている施設、福祉職員の人と離れるのは明らかに悪手だ。福祉職で気の合う人なんて5人に1人いれば珍しいと思う。市内で一番近いところで週一でこちらへ通ったら往復月5000円以上かかる。ちりつもだ。訪問看護の人もこれほどいい人はいない。変わりたくない。
そもそも環境の変化は医師に禁じられている。「こないだ新しいことしないでって言ったよね?」と言われた。最終的には「いろいろな人と相談して決めてるみたいだし地元みたいだから私は個人的にはいいと思うけど、主治医にきいてね」と言われた。その日は主治医以外が担当だったから。
限界を感じている。ちょっと薬のことで間違えたのもあるし、暑い、母がバテて機嫌が悪いから私も引っ張られてしょんぼりしてしまう。本当は褒めてほしい。昔は褒めてくれる母だった。でも変わってしまった。私たちを大学まで行かせるためだったはずが謎の使命感を洗脳で植え付けられて無理な仕事を押し付けられプライベート的にも馬鹿にされていたようである。あまり仕事の話をしない人が漏らした話だったからよほど溜まりに溜まっていたのだろう。それでも彼女は歯を食いしばった。同僚と「倒れたら絶対過労で訴えようね」と笑えない冗談を交わしながら。
その時点で彼女はもうすでに壊れていた。
なんだかくらい発言をボソボソっと言い、反応すると「別になんともないわよ(寂しい笑顔)」
みたいな構ってちゃんをすることが増えた。
当時の私の体調もこれまた最悪でこれがとても苦痛だったことを覚えている。
ない優しさを振り絞って本気で心配してるのに、心配したがりの変な人扱いされて笑われるのだ。
うちの家ではそういう、暴力とまではいかないけれど、他人様や大事な友人には絶対に取らない態度を取り合い、困った時だけ急に目覚めたようにきちんと助け合うという気色悪い習慣がある。今もある。
だから私は早くここを出たい。
少しずつ準備してきた。
要らない段ボールや緩衝材を部屋に溜めて、
そしてベッドの上で動けない中希望を捨てずに耐えてきた。
やっとその時が来た。
でも同時にいらんものも来た。
もう一つ大きな仕事をしている。
耐えれるか、耐える、耐えよう。
いや
あまりない機会、
楽しもう。
中島みゆきの「時代」のように、いつか笑って話せる日が来ると信じている。
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