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発達障害者が本音にこだわりすぎる理由

発達障害者は、「本音でのコミュニケーション」にやたらこだわる人が多いかと思う。
ぼくも以前はそうでした。

建前なんて嘘ばかりだから悪だ、本音こそが本物なんだ、真の対話は本音から生まれるんだ!!人類は皆腹を割って、本音でコミュニケーションをとるべきなんだ!!!!と思ってました。

日本は本音と建前、社交辞令の文化が根強いから、余計に窮屈に感じ。
海外では皆本音で生きられるのに…!日本は生きづらい息苦しい!とポカホンタスになってました。
今はだいぶ治まってきたけどね。


発達障害者は何故本音にこだわるのか?

白黒思考

発達障害者がかたくなに本音にこだわる理由、そのひとつに白黒思考・ゼロ100思考があると考えます。
白黒思考は、発達障害者に多い思考の偏り。
基準は常に白か黒か・善か悪かの二択で、グレーゾーンがない。

だから、正しい正しくない・良い悪い、この感覚や判断が両極端で、強引かつ飛躍した結論づけをしてしまう
仕事でミスしてしまった→つまり自分は全部ダメ人間だ!!生きてる価値ないんだ!!みたいに。

この白黒思考のせいで、建前というどちらともいえない部分を受け入れられない。
だから本音でないものは全部嘘、悪だと捉えてしまうのだ。

100%本音本心・心から思った言葉でないといけない!嘘をつくなんて不誠実だ!本物のコミュニケーションとはいえない!!

自分がそうしてるんだから、相手も同じような姿勢で応じてほしい!
コミュニケーションはクリアで正しく真摯なものでなければいけない!

このような極端思考、認知の歪みによって、「本音でのコミュニケーション」へのこだわりが生まれてしまうと考えます。

不安感

発達障害者は健常者とのズレを幼少期から日常的に感じている。

そのズレによる対人関係への不安感から、コミュニケーションに対して過剰に疑り深くなっているのも理由にあげられる。
とくにASDに多い。

ASDは「言葉を言葉通りに受け止めがち」な特性もあり、会話から相手の意図や背景を察する事が不得意。
建前や社交辞令に何度も泣かされた経験もあって、コミュニケーションそのものに不信感を抱いてる人が多いと思う。

「喜んだのもつかの間、ただの社交辞令だった」
「他人は何を考えてるのかわからない」
「建前とか使われると騙されてる気分になる…」

結果、「本音じゃないのは信用できない!!」になる。

ぼくもASDの不安感猜疑心が強く、疑心暗鬼人間不信に陥りました。

相手がどんな事を言っても、
「絶対そんな事思ってないだろ!?どうせ建前だろ!!嘘ならハッキリ嘘って言って!!ほんとの事以外一切話さないで!!嘘つきもう関わりたくない!!!!!」
とキレて、関係を一方的に切ってしまった経験がたくさんあります。

当時は境界性パーソナリティ気味だったんで、ここまでくるとちょっと別方向での治療が必要になってくるけど。

発達障害者が本音にこだわりすぎる理由として大きく原因を考察すると、

○白黒思考
○不安感

がカギになるかと。

本音と建前をもっとラフに構える為に

でも結局、本音なんて何なのか、どこにあるのか誰にも分からない。

他人の口から出る以上、それが本音なのか建前なのかは確かめようがない。
本音だと思えば本音だし、建前だと感じれば建前。
所詮は受け手の受け止め方次第。

もっと言えば自分自身の気持ちも発言も、本音なのか建前からくるものなのかは分からない。

友達に「明日遊ぼうよ!」と言われて「オッケー!」とノリよく返しても、
うっすら「めんどくせえ寝てたい」の気持ちがある。
でも同時に「遊びてえ!ワクワクすっぞ!」なのも事実。
どっちも本音なんだよね。

本音は真実ばかりではないし、建前もまた嘘ばかりではない。
建前は本音のひとつであり、本音もまた建前のひとつである
と考えれば、二極化に囚われなくて済むようになるんじゃないかな。

柔軟な捉え方ができるようになる他、本音を絶対の真意だと思いこまないようになれるメリットがある。

人は「本音だから言うね」なんて言われると、「心を開いてくれてる、信頼されてる」ってなってこちらもどんどん自己開示しがち。

本音(に見える建前)を打ち明け、信頼させるという心理テクは、悪質ビジネスやロマンス詐欺にも悪用されている。
色恋営業かけて大金貢がせるホストとかもね。

だから本音がー建前がーの二極化に囚われず、「どちらでもあってどちらでもない」の考え方を取り入れておくと、本音にまどわされたりつけこまれたりするリスクが減ると思う。

まずは自分自身の本音に対する捉え方から変えていく事をスタートしよう。

「いいな」と「やだな」の真逆の気持ちが生まれても、「どちらがホンモノか真実か」にヤッケになるのではなく、
どちらも自分の気持ちだ」と尊重する。

表に出す時も「いいね!」とノッてもいいし、「ちょっとなあ…」と渋ってもいい。
どうしたいかは、自分の気持ちや相手の様子、お互いの関係や状況に応じて自由に使い分けていいんだと思う事が大切。

コミュニケーションはそのくらい自由なもの。
本音だ建前だに縛られずに、もっと軽くラフに柔軟に捉えられるようになると、
楽になるかと思う。


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