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人並みを望んでも手に入らない事があるし、幸せになれるかも別問題かもしれないし

人並み
人間20ウン年も生きてれば、イヤでも世間体に晒されてしまうもの。
やれ一人暮らしか、仕事してるかどんな仕事か、年収はいくつか、結婚してるか子供いるか、孫はいるか…それが「普通」「世間一般」かどうか詮索され、そうでないとなると引かれたり馬鹿にされたり。イヤな風潮だけど、結局社会とはそういうもの。

こういう「人並み」に晒される事は何も日本だけの話じゃなく、アメリカにも韓国にもドイツにもイタリアにもフランスにもどこにでも当然あって、「結局世界は生きづらい」ってなるんだよね。

多様性社会、の概念が広まってはきたけど、歴史的にずっと続いてきた「人並み」の圧は強くて、そこでマイノリティはマジョリティに馴染む為いろいろと工夫しないといけない。
少数派が一本気に自分を貫く生き方は、まだまだ茨の道なんだろうなと思う。
多数派に属す人でも、多くは振るい落とされないように必死にしがみついてるのが実状なんだろうし、「人並み」って本当苦しい概念だよなあと。

生き方の正解はないし、こう生きれば幸せなんてものもないけど、
やっぱりどうしても人並みと見比べて迷走しちゃうのが人間。

自分らしく生きるってほんとうに難しい。
何が自分にとって幸せか、よく分からないまま社会に出て、いろいろ掴んだものの、なんとなくこれじゃないと感じながらも「まあ人並みに幸せだから幸せなのかなあ」と言い聞かせてる人は多いんじゃないかな。

人は幸せになれそうなものを掴めると、どうしてもそっちに行ってしまうもの。

ぼくも「人並み」をかなり気にして生きていて、それでも自分は人並みを掴めそうにないから独自路線を歩まざるを得ない状態。
だから無事に人並みに乗れた人、人並みに帰れた人を見ると、無意識に嫉妬してしまう。

生きづらい同士頑張ろうと言ってたマイノリティ仲間も、富や名声、恋人、配偶者などを手に入れると、途端にパッと背を向けてマジョリティの方へ走り去っていってしまう。そしてもうこちら側には戻ってこない。
そのたびに「皆、持つもの持ったらとっとと向こう側行っちまうんだなあ」と、置いてけぼりにされたような喪失感と見捨てられたような失望感でいっぱいになる。

元マイノリティの友人がマジョリティになって、人並みの人生を歩み始めて疎遠になった。
縁が切れてだいぶ経つけど、彼女は今幸せなのかなあと思う時がある。
彼女にとっては余計なお世話だろうけど、ぼくとしてはそう考えてしまう。

彼女はLGBTのTに属する子で、昔からずっと女性になりたかったという。
女性っぽい人だなあが第一印象だったけど、実際彼女の性自認は女性だった。

学生時代は男子として生きなきゃいけなくて、抵抗があって、葛藤があって、苦しかったと打ち明けてくれた。
これからは髪も伸ばして、スカートを履いて、声も高くして名前も変えて、新たに女性としての人生を生きていくんだと言う彼女に、自分と向き合い前向きに頑張る姿に共感を抱いて、刺激をもらえて、応援した。

手術の為にお金貯めて海外行く、という話も聞いて、「女の子になって帰国したら一緒にお祝いしよう!」とぼくも言った。
新しい名前も教えてくれて、「自分で一生懸命考えたんだなあ」と感動した。

名前は、りほちゃん、だったと思う。

昔はボカロPを目指してて、「本気で音楽で生きていく!」とオラついてたと話してて。

女性ホルモンを摂るようになってからは闘争心とか野心がなくなって、角がとれて丸くなって、優しくなった気がするんだよね、と言ってて。

音楽じゃ生活できないから、安定した仕事に就く為に資格の勉強してるんだと言ってて。

食べていけないから音楽はやめたんだと言って。

良い曲作るのにもったいない、趣味でも続けてみたら?と返したら、それはもういいから、って言って。

いずれは結婚して、子供も持ちたい。身体は変えても妊娠出産はできないから、養子をもらって子育てを考えてる。

彼氏もできた。カミングアウトしても、それでもいいよ大事にするって理解してくれて、この人ならと思って付き合い始めた。

結婚前提で、今付き合って4ヶ月。近いうちに同棲もしたい。

手術して戸籍も変えたら、結婚するつもり。

良い奥さんお母さんになれるよう、料理もお菓子作りも始めたんだよね。

バレンタインデーには、彼氏にお菓子作ってプレゼントした。インスタも始めたよ。昔の友達フォローして、写真見てすごい変わったねー、って言われてめっちゃ嬉しかった。

今もこれからも、もう安定志向かな。挑戦とかはもうしない。とにかく堅実に生きたい。


憧れてたんだよね、こういう普通の女の子になること。……



前向きに、順調に、自分のパーソナリティを確立させていく彼女との間に、
だんだんと溝が生まれていくのを感じました。

ぼくが勝手にそう感じただけかもしれない。
だけど、彼女はなりたかった自分を完成させていって。どんどん普通になって人並みに加わっていって。
ぼくを見る彼女の目線が、「早くちゃんとした人になりなよ」と軽蔑しているように見えてきて。

気づけば彼女への劣等感や嫉妬心がどんどん煮えたぎっていって、
ああもうこれはだめだと感じました。

生きる世界がもう違う。
このまま繋がり続けても不毛なだけだ。

自分がみじめになる、彼女を憎む事になる。
一緒にいる意味、お互いにもう何もない。


そう思ってぼくは彼女のLINEを削除しました。
ブロックしてなかった事に気づいたけど、どのみちもう彼女から連絡が来る事はないんだから同じかと思って、忘れました。

おなじみの人間関係リセット症候群だけど、一度こうなってしまったらもうどうしようもないから仕方ない。

彼女が人並みに、そして幸せに生きていられてるならいい。


正直インスタの件、大昔のダチなんてわざわざ探して繋がって、そこまでして今の自分を見てほしいのかよって思ったけど、ちょっと分かるよ。見てほしいもんね。キラキラしてる自分。なりたかった自分。
わたしも今みんなと同じだよ、充実してるよ、普通に人並みに生きてるよって言いたいよね。思ってほしいよね。

生まれ変わった自分、知ってほしいよね。見てほしいよね。褒めてもらいたいよね。

たぶんぼくも、あなたと同じだったらそうしてたと思うよ。


変わっていくあなたを、応援し続けてあげられなくてごめん。
人並みになれたあなたに、背を向けてしまってごめん。

もう会えないけど、どうか幸せで。りっちゃん。


人並みはぼくは今のところ手に入りそうにないし、手に入ったとしてもたぶんそのうち気に入らなくなってモンモンとしてるだろうな。何かを手に入れた分、何かを犠牲にしなきゃいけないからね。

ぼくは人並みの人生を望めないから、その代わりにぼくなりの人生を頑張る。幸せになれるかはまた別問題で。
人並みでいられたら、もっと良い人生だったかもしれない。そう思ったことはたくさんある。

でも案外、人並みから外されたこの人生が、のちのち自分にとって最良で幸せな道だったと思えるようになるのかもしれない。


何が結論なのかよく分からない駄文になったけど、
良い人生って、幸せな人生ってなんだろうなと改めて考えた次第でした。
また一人友達をなくしたけど、彼女と一時でも心が通じ合った事、一緒に遊びに行って楽しかった事は忘れない。

彼女の事をどうかいつまでも妬まないで済むように、ぼくは未来だけ見て自分の道を切り開いていきたい。
そう感じた10月最初の記事。


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