5/12コミティア個人誌サンプル【3】

2019/5/12コミティア発行予定の同人誌サンプルその3です。その2はこちら↓

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2 野良猫は天使を誘う

 エリオが海から上がって二十分ほど後。
 エリオとエリオの兄貴分のルカは、海辺のレストランの厨房にいた。

「ほふぇで、ひょうのほんだひひゃんだが」
「ちゃんと、口の中のもの食ってから言え」

 エリオがうんざり顔で言うと、ルカはリスみたいに頬張っていたパスタをようやく呑みこむ。彼は真剣そのものの顔になり、手にしたフォークをエリオに向けた。

「それで、今日の本題なんだがな。エリオ、もう一度俺と組んで、」
「金貨探しなら、やんねーぞ」

 エリオは素っ気なく言い、魚介のトマトパスタを自分の口に突っこんだ。
 美味い。文句なく美味い。まかないだから派手なムール貝なんかは入っていない代わりに、安くて新鮮な小エビを山ほど使っている。濃い海の出汁とトマトの出汁が細かなねじれパスタに絡んで、食べると口いっぱいに幸せが広がる絶品だ。
 幸せにひたるエリオの目の前で、ルカは勢いよく立ち上がって叫ぶ。

「なんでやんねえんだよ! あんな才能あるってのに! っ、痛えっ!!」

 すかさず左右からはたかれ、ルカは涙目で上を見た。視線の先にたたずむのは、ド迫力の筋肉シェフと、ただならぬ眼光のすらりとした女性だ

「……うるせえぞ、無銭飲食のガキ」
「厨房で騒ぐんじゃないよ、ヒモのゴミ虫」
「ちょっと! ガキとゴミ虫って、酷すぎませんか!」

 ルカは懸命に言い返すが、明らかに腰が引けている。
 ここはエリオの住み込みバイト先だ。海辺の宿泊施設付きレストラン、『月夜の乙女』亭。先ほどの山のような筋肉と岩肌みたいな顔をした迫力たっぷりの男がオーナーシェフのリディオで、スタイル抜群の体を簡素な服に包んだ黒髪の女性がもうひとりの料理人、グローリアという。
 ふたりはルカのことなんかすぐにほったらかしにして仕事に戻った。もうすぐランチタイムを迎える厨房を素晴らしい速度で行き来するふたりの動きは、懐中の魚みたいに美しい。美しい動きから生み出されるものは、絶対美味い。
 エリオは幸せの塊の最後のひと口を呑みこみ、パンで皿を丁寧にぬぐいながら言う。

「本当のこと言われたからって騒がねえほうがいいぜ。いいか、ここじゃ兄貴の地位が一番低いんだ。兄貴の飯は俺のおごりだし、リディオもグローリアも、絶っっっ対に兄貴より腕っ節が強いからな」
「ばか言え! リディオはともかく、俺はお嬢さんに負けるような腕はしてねえぞ!」

 憤慨した様子のルカのそばを通りかかったグローリアが、ふと立ち止まって腕をまくる。

「ん」

 見せつけられた二の腕に、ルカは見るからに動揺した。

「ど、どうしたんですか、姉さん。やあ、綺麗な腕だ、白くて、しゅっとしてて……」
「ん」
「わ、わああああ、これはまた、素晴らしい力こぶ! 凄いなあ、この完璧な曲線、盛り上がり、力強さ、どう見ても俺の倍! もはや官能的ですらありますね、あはははは……すみませんでしたあああああ!!」

 力一杯頭を下げるルカに冷たい一瞥を投げ、グローリアは袖を元に戻す。
 長身なうえに化粧っ気がなく、どんな季節でもハイネック長袖を貫き通す彼女は、一見すると痩せぎすで地味な女だ。が、きっと、脱ぐと凄い。
 エリオは自分とルカの食器を洗い場におき、しみじみと言った。

「ほんと、どうして兄貴はこんなに情けなくなっちまったのかなあ。昔は子分だっていっぱいいて、こんなに男気のあるひとはめったにいねえ! って思ってたのに。今じゃみんなに愛想尽かされてひとりぼっち。俺、あんたに関してだけは見る目なかったわ」
「ばか野郎、昔のことは昔のことだよ」

 ルカは珍しく言い訳せずに目を逸らした。ふざけたところがなりを潜めると、彼の横顔にはふわりと昔の面影が甦る。エリオが出会ったばかりのころのルカ。あのころは、ルカだってまだ子供だった。だけど、戦い方を知っている子供だった。
 エリオは……この街にやってきたばかりのエリオは、ただの子犬だった。
 かみつかれ、ふみつけられ、奪われることに慣れて、それでもどうにか逃げることだけはできた子犬。
 幼いころに貧困や病気で相次いで家族を失ったエリオは、しばらくは政府の施設で暮らしていた。施設でのことは、正直あんまり思い出したくない。
 エリオの年齢にしては細くて小さな体も、愛らしい顔も、美しすぎる金髪も、あそこでは弱みでしかなかった。軍の陰険な上官みたいな職員の目につけば殴られ、いびられ、彼らの目が届かないところでは、同じ境遇の子供たちに徹底的に奪われた。
 ここには、何かが足りない。
 エリオはいつも、そんなことをぼんやり考えていた。
 ここには大事なものが足りていなくて、だからみんなが暗い顔をしている。持っている奴からは奪うのが普通。強い奴にいじめられたら、弱い奴をいじめるのが普通。

『でかくて強い奴にこびを売れよ。弱い奴が生き残るにゃ、それしかない。やれるもんはなんでもやってさ。生きてりゃいつか、奪う側になれる』

 自分より少し大きい、暗い目をした少年がそうやって教えてくれたけれど、エリオにはそれが正解なのかどうかわからなかった。
 エリオは奪いたいわけではなかった。いじめたいわけでもなかった。だけど、生きていたかった。だからもっと他の生き残る方法が、他の答えが欲しかった。でも、ここには他の答えなんかなかった。
 結局、エリオは『遠足』という名の強制労働の途中で施設を逃げ出すことにした。戻ったら、職員たちに死ぬほど殴られるか、実際殺されるしかないのはわかっていた。逃避行は命がけだ。手伝ってくれる奴はひとりもいなかったけれど、おかげで誰もエリオが逃げるとは予想できなかった。持ち前の小柄な体も、逃亡には役立った。
 どうにか逃亡に成功したエリオは、死ぬ間際の母親が教えてくれた廃屋の床下から小銭を掘り出し、追っ手におびえながら巨大な石造りの駅へと向かった。
 大量の人々がホームから吐き出され、吸いこまれて行く。それだけで気圧されかけたが、うろうろしていたら通報されるかもしれない。とにかく、行く場所があるふりで切符売り場に向かった。実際どこへ行ったらいいかはわからなかった。
 身よりはない。特別出来ることもない。知識もない。持ち物は着の身着のままの服と、小銭と、さっきエリオを見てなんともいえない顔になった老婆が押しつけてきた、一抱えのパンだけだった。

『どこまで?』

 高い位置にある切符売り場の窓口から、冷たい声が降ってくる。
 ごくん、と唾を呑んだ。
 なんて言ったらいいんだ。どこへ行ったらいいんだ。どこか、知っている場所はないのか。ここからなるべく遠くて、なるべく平和なところは。

『あの……ここから、遠くて』
『何? どこ?』

 いらだつ声に、エリオはびくりとした。
 ごめんなさい、と謝って逃げ出したくなった。あの酷い施設が少しだけ懐かしくさえ思えた。あそこ以外に、自分が居る場所なんかないのかもしれない。あそこに戻って、殴られて死ぬのが一番楽なのかもしれない……。
 ぼろり、と涙が落ちた。
 途方に暮れて、エリオは視線を上げた。駅の天井には美しいステンドグラスの天窓があった。どこか教会にも似たそれを、助けを求めるように見上げた。
 そのとき、偶然目に入ったのだ。
 切符売り場の窓口の上に貼られた、色あせたポスター。
 真っ青な海と白い建物が印刷されたそれには、こう文字が載せてあった。『海辺の町、コローナ。ここには夢がある! 夢を捕まえるのは君だ!』

『こ、コローナ。コローナまで、こども一枚』

 とっさに、エリオはそう告げていた。
 コローナ、どこかで聞いた響きだった。
 そうしてエリオは、この街にやってきたのだ。
 あとからわかったことだけれど、コローナは古代から通商の要所で賑わった商業都市だ。その証拠は今もコローナ近海に、古代遺跡や沈没船の形で眠っている。
 世界の勢力図や交通網が様変わりしてからは大した産業もなかったが、今から五十年ほど前、沈没船から金貨が見つかった。これがかなりの金を含んだお宝だったことから、コローナは『宝探しの町』として再興する。
 海に潜って、お宝を見つけられたら一攫千金!
 そんなキャッチフレーズに山ほどのごろつきが集まり、昔は粗末な潜水装備のせいで随分死んだらしい。一方では、金持ちになった者もひとりやふたりではなかったそうだ。
 夢は無限でも宝物は有限だから、最近はでかいお宝がサルベージされたという話も聞かなくなった。それでも宝探しの夢はひとを魅了し続け、街はサルベージと観光でもってどうにかこうにか成り立っている、というわけだ。

「……この街は、昔の俺が思ったような楽園じゃなかった。実際、すぐに食うのに困って置き引きとかしてたもんな。しかも手際が悪かったから、すぐ捕まっちまって」

 エリオが皿洗いを終えてのんびり言うと、ルカもちらりとこちらに視線をやって唇を緩める。彼は言う。

「下手くそだったよなあ、お前の置き引き」
「当たり前だ、生まれて初めてだぜ? 出来ただけすげえよ」
「捕まったら『出来た』のうちに入らねえっつの。ボコボコにされてただろうが」
「うん。だけど、あのときルカが来てくれたから、俺は生きてる」

 エリオは言い、すとんとルカの向かいに腰掛ける。
 あのときエリオの前に現れたルカは、本当に本当に格好良かった。まだ彼だって子供だったのに、鮮やかな弁舌で怒り狂う観光客と宿の主人を上手くなだめてしまった。まるで魔法だった。
 そのあと、真っ青な空を背負ってエリオを見下ろしたルカは、ハシバミ色の目を細めてにやりと笑った。

『いよう、天使ちゃん。俺たちのとこに、落ちてくるか』

 今思い出すと、ばかみたいに気障な台詞だ。
 でも、あのときはとにかく嬉しかった。頭の中でりんごんりんごんと派手に鐘の音が鳴った。これだ、と思った。自分が求めていたもの。あの施設になかったもの。暴力と飢えの中でも死なないもの。エリオがエリオとして生きていくために絶対に必要な何か。
 それは多分、ほんの些細な、愛だったのだと思う。

「……あんたは、あのころの俺が欲しかったものを全部くれた。仲間と、食べるものと、食べてくための技術と、寝床。おかげで今じゃ、こうしてまともな仕事にありついてる。感謝してるぜ」
「今さら言われてもくすぐってぇだけだ。……だけどな、まだ、お前にそういう気持ちがあるんなら。……もう一度、俺と組まねえか。悪いことをしろとは言わねえよ。宝探しだ。お前の知識と潜りの技術があれば、ここじゃもっとマジで稼げる。で、サルベージ品を上手くさばいて、金を運用するのはこの俺だ。な? 俺とお前なら、きっと上手くいく」

 ルカは熱心に言って身を乗り出す。
 実際マジな目だな、と思いつつ、エリオは苦笑した。

「いいぜ、って言いたいけど、ダメだ。ルカ。あんたは夢だけはでっかい男だ。いざサルベージが上手くいったら『金貨を元手にでっかいことやろう』とか言い出すだろ? で、悪いことやって、アバティーノのボスに売りこんで、正式な一味になる、と」
「しっ、声がでけえよ」

 慌てた様子で口を塞がれ、エリオは顔をしかめてルカの腕を押しのける。

「放せって。今さらアバティーノの名前なんざ隠してどうする? コローナに住んでる人間なら赤ん坊だって知ってら。アバティーノ一家が、この街を仕切るマフィアだって」

 エリオの言う通りだ。この街にはマフィアがいる。
 かつて無数の小国に分かれていた南ウィトルス王国では、統一時の混乱に乗じてマフィア組織が発達した。地主たちが王国の役人たちに対抗するために武装集団を雇い、彼らが地主からも役人からも甘い汁をすすりながら巨大化し、体制側に組みこまれないままここまで来た、というわけだ。
 コローナを仕切るアバティーノ一家もその中のひとつ。彼らは現在でも、宝探しの上前をはね、ホテルやレストラン、その他の店からみかじめ料を取り、ゴミや水道に関わる公共事業系の会社も運営している。この街の王様と言って間違いはないだろう。
 エリオは町の港の向こう側、高級住宅街の辺りで見かけた紳士を思い出して言う。

「そういや兄貴、今のボスのレナートって見たことあるか? 俺はあるけど、なかなか品がよかったぜ。びしっと髪の毛きめて、手縫いの靴なんか履いちゃってさ」

 と、すかさずオーナーシェフのリディオから声が飛ぶ。

「レナートさん、だ、エリオ」
「はーい。レナートさん、ですね。ってことでな、兄貴、俺は兄貴がレナートさんのアバティーノ一家に入るのはいいと思うぜ。ヒモなんかよりマフィアのほうがよっぽどまともな仕事だ。アバティーノは、いいマフィアだしな。だけど俺は行かない。以上だ」
「エリオ~! つれねぇよ、つれなすぎるよぉ!!」

 ルカの悲鳴を無視して立ち上がり、エリオは軽やかに厨房を出て行く。

「リディオさん、俺、そろそろ表出ます」
「ん」
「ちゃんと髪の毛整えろよ、天使ちゃん」
「はあい」

 グロリアの言葉には素直に答え、給仕控え室から黒いエプロンをひっつかんでダイニングルームに出た。すうっと窓を通ってきた海風が前髪を揺らしていき、エリオはうっとりと目を細める。
『月と乙女』亭のダイニングは素朴ながらも清潔で美しい。真っ白な漆喰の壁にぽっかり空いた窓からは、真っ青な空と海が見えた。
 先に来ていた同僚が、たたまれたテーブルクロスを抱えて片手を挙げる。

「よっ、エリオ。今日も泳いできたのか? 天気がいいせいか、オフシーズンにしちゃ結構予約が入ってるぜ。ほれ、例の特別室も」
「特別室って、あのクソ高い部屋? 物好きだな」

 エリオは呆れた声を出し、同僚から半量のテーブルクロスを受け取る。同僚は赤に近いオレンジ色のテーブルクロスを敷く作業に戻りながら、いかにもほっとした声を出した。

「とにかくさ、手が空いたら特別室の御用聞きに行ってくれよ。お前がいりゃ安心だ」
「どうして俺? 御用聞きなんか誰がやっても一緒じゃね? 別にいいけど」

 どうもこの同僚は、エリオの美少年ぶりを便利に使っているふしがある。確かに顔がいいだけで得をすることは多いが、本気の苦情の場合は顔なんか関係なしなんだけどなあ、と思いつつ、エリオもテーブルクロスを敷く作業に加わった。
 ほどなく、レストランのドアにつけたベルが、ちりりん、と鳴る。

「えっ、開けてんのかよ。開店時間まだだろ」

 エリオが驚いて言うと、同僚が慌ててドアのほうにすっ飛んでいった。

「あっ、お客さん! 入ってきちゃダメですよ、ランチタイムはまだ、うわっ」

 同僚が押し戻そうとした客が、逆に同僚を押し返す。同僚は無様に尻餅をついた。

【続く】

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