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不良女子が、アウトドア業界 で仕事をはじめた話。

2021年、大きな決断をしました。
自然/アウトドア業界でのキャリア:第2章はこちらです↓

↓【以下、自然・アウトドア業界でのキャリア、”第1章”です☺】↓

数年前の2月1日。
扉の向こうには、アウトドア業界への不安や期待、野望が詰まっている。深く息を吸ってから、ドアノブを回したことを今でもよく覚えている。

私がアウトドア業界への第一歩、株)スペースキーへジョインした日だ。

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今では想像もつかないだろう。
渋谷の小さな小さなアパートの1室で、隣の人と肩が触れ合うような極狭な部屋は、コロナ時代には到底考えられない。

インフラは家庭用で、インターネット速度は遅く、猛暑にも関わらず、1円でも節約するために冷房をきり、窓を全開にして耐えた日もあった。汗ばむ肌に、時折 触れる風が心地よく、あの時の数少ない戦士達は皆、今でもそれぞれの分野で活躍をしている。

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ジョインするまで私は所謂、職種で言うとITコンサルという分野だろうか。WEBプロモーション企業でバリバリ働いていた。

プレイヤーとしてB to Bの営業からスタートして、最終的には多岐に渡る仕事をさせてもらいそれなりの立場にいた。沢山のドラマがあったが、”若さ”しか市場価値がなかった20代前半の自分を、仲間に入れてくれた先輩方には、感謝しても感謝しきれない。

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優等生”もどき。”だったのは、中学前半頃までで、高校からは見事にグレて不良の道を進んだ。と言っても、バイクを乗り回す類ではなかったが、人とは違う道をウロウロし路頭に迷っていた。

なんせ、皆がセンター試験目前で机に向かっている中、「人生の道はそれしかないのか?」と疑問だった私は、たった1人、高校3年生の冬、アリタリア航空の航空券を握りしめて、チューリッヒを経由してイタリアに飛んでしまったのだから。

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ドン底から人並み・・。くらいまでになんとか行き着いた背景は、不良時代の悪さの数々、起業家の父の死、ニートからのドサ回り。など色々なことが絡み長くなるので、割愛する。

そんなこんなで、前職で数年が経ったころ、こんな思いが湧いてきた。社会力ゼロ。から、ちょっとだけ成長した時だった。

『情熱を注げる業界に、身を置きたい。』

取り扱い業種が多岐にわたり、様々な業界を知れる一方で、柱がないとも取れる現状に焦り始めていた。そんな思いが湧き始めて1、2年たった頃、いつも私の面倒を見てくれていたグループ会社の社長が、「くり、行ってみるか?」と、アップルジャパン元代表取締役の山元さんのリーダー塾へ通わせてくれた。

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舐めていた。これがものすごくしんどく厳しい。
プレゼンをするときは、「緊張しています。」と言おうもんなら、もうプレゼンの機会はもらえない。言い訳をするな、逃げ道作るな、覚悟をしろと。
冒頭数秒で「惹きつけられない。」と一瞬で終わることもある。

なにより一番しんどかったのが、徹底的に自身と向き合わされることだった。

「本気か?覚悟してるか?」
「言い訳するな。覚悟ができないヤツに、人よりちょっと活躍するとか、リーダーになる資格はないんだ。」

この時の、山元さんの言葉の数々は、今でも私の支えになっている。

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塾の同期は、年代こそバラバラだったが、経営者もいれば大手企業の責任者、のちにアメリカで起業してなんちゃらアワードで表彰されていたり、自身の大変なご経験からユニバーサルな社会を作ることに情熱を注ぐ者、医療の切り口を説くネイルサロン経営者など、多種多様。瞳の奥がキラキラしているのが印象的で、自分の体験から出てきた言葉の数々に、プレゼンを聞くのが楽しくてしょうがなかった。

これが、本気の人の瞳か、、。

それもそのはずだ。
目標や目的が明確。ふんわりした逃げ道を作って、他責にしている人は一人もいない。今でも、連絡を取り合うことや集まることもあるが、皆それぞれの道で頑張っていて、凄いなあ。。素敵だなあ。。といつも思う。

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私は、とにかく自分が恥ずかしかった。
皆の語る話を楽しく聞きながらも、一方で、強烈な劣等感と、自分の言い訳の多さに落胆した。間もなくして、当時の安定した環境と職場から出ていく決心をすることになる。

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独立することも考えていたが、まずは

『情熱を注げる業界に身を置き、何某かの結果を出す。』

これが私の出した結論だ。
当時お世話になっていた社長はやり手で、今では新しい会社を更に立ち上げて、覚悟を決めた分野で相変わらず走っている。

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私はというと、毎日のように怒られていたが、決意を伝えたとき『活躍しろ。お前には期待している』と送り出してくれた。

去る日に渡してくれた『卒業証書』が誇らしく、送別会ではなく、卒業という形で送り出してくれた皆には、ただただ感謝しかない。たぶん、ここに来なければ、野垂れ死んでいたんだろうとマジで思ってる。人生を救ってくれた人達だ。

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生まれてからずっと、自然豊かな場所で暮らしている。この写真も、1枚目の写真も、最近の真鶴での写真だが、故郷でもある。

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長野県松本市で生まれ、神奈川県湯河原町で育ったが、真鶴と湯河原はとても近く、私の自宅からは真鶴半島の方が圧倒的に近い。

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この地域にあるのは海と森くらいで、本屋に行こうと思ったら小田原まで出かけなければまともに買えない。

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週末は、ゴールデンレトリバーのペコと、イングリッシュコッカーのフレッタという愛犬2匹を連れて森や、吉浜海岸、真鶴半島に遊びに行くのが日課。

気が向いたときは、歩いて40分程の場所にある、このあたりでは有名なクライミングのメッカ、幕岩まで遊びに行って、道中、イノシシや猿にビビりながら冒険した。

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学校へは、海とみかん畑が広がる山道を、片道4,50分かけて歩く。帰りは、海と山それぞれに作ったマイ遊び基地に寄り道して、2時間もかけて家に帰る。

妹はなぜかよく、ダンゴムシをポケットに入れて集めていたり、スケボーで豪快に大木にぶつかり全治1ヶ月の骨折をするなど、姉妹揃って、好き勝手していた。

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(我が家の犬は、冬になると散歩の度に、みかん畑に転がっているミカンを拾い、自宅までくわえて帰っていた。長い口を利用して、ミカンが縦に2,3個入っていたときは驚愕だ。)

そんな自然に囲まれているくせに、なぜかガールスカウトにも所属していたから野外活動は当たり前。ゲームもマンガもやらなかったので、外で遊んでばかり。

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安曇野に住む祖父母には、山を教えてもらった。
祖母が用意してくれた、塩水を入れた(マジで、塩+水でマズい。)水筒と、キュウリ&味噌、Jリーグのカードが付いたポテチ、お米を混ぜた”おやき”を持って、登山をする。山屋の祖父は、気分が上がるといつも軍歌を歌って登っていて、子供のときの私は内心、恥ずかしいからやめてほしかった。

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一部でしかないが、これが私の原体験だ。
自然と共生すること自体が、当たり前だった。この時は上手く表現ができなかったが、自然には何かパワーを感じていた。大事な人と過ごすときも、友達と過ごす時も、1人で過ごす時も、いつも自然の中で時を過ごしていた。

そんな背景から自然に関わる業界こそ、私が情熱を注げる業界な気がした。しかし社会不適合者で、知能も極めて低い私が活躍できるだろうか。役に立つだろうか。

ご縁があり、アウトドア業界に進むことになる。

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㈱スペースキーに入社する時、社長とした約束がある。

『必ず1年以内に、日本で一番購読者がいるメディアにしてください』

これが、私のアウトドア業界1年目のミッションだ。YAMA HACKの創刊編集長としてジョインしたのだ。

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IT業界にいたとは言え、メディアを構築運用したことなんてない。なんなら勉強をサボっていたから、国語の成績はいつも下。記事を書くなんてもってのほか。でもなぜか『やります。』という返事をしてしまった。

やるしかない。
事例がないモノを「再現可能な」状態にまで洗練させ、経済的にも社会的にも自立したサービスにすることは、尋常ではない難しさでアドレナリンが出まくっていた気がする。

あの時、一緒に走りきってくれたみんなはマジで凄かった。

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私も無我夢中で、色んな方に知見を頂きながら隙間時間は、ITと登山業界と文章について研究し、メディアと徹底的に向き合う日々。何度も何度も文章を練習し、ウケる記事や心を動かすポイント、マネタイズを研究した。

週末は山へ通って、登山者の会話や身につけている物、休憩の様子を観察し続け、ヒントや種を探すという、今思えば、結構、変態な山登りだったと思う。

がむしゃらに手を動かし半年たったころ、それっぽくなってきたが、次の世代にバトンタッチする必要があると感じ始めていた。循環させなければ水は濁る。なにより、「登山」に愛を注ぎ続けるのは私より相応しい人がいるはずだと、どこか客観視をしていて、再現可能な編集体制を本格的に構築を始めた。

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10か月がたったころには気づけば、この短期間で200万人もの登山ファンが使うメディアにまで成長し、社長との約束は果たした。

土台は創った。「走りきった」と素直に思えて、わたしの役目は終わった、バトンタッチする時だなと心が次のステージの準備へ切り替わり始めていた。並行して横展開と、次世代の採用活動に力を入れ始める。

ちなみにこの時期、ありがたいご縁があり、筑波大学の異端児(!)津田さんに出会い、筑波大学大学院の「山岳科学」で非常勤講師を勤めさせて頂く機会を頂いた。

不良女子、まさかの教壇に立つ。だ。
これはまた面白い話が沢山あるので、別の機会で書きたいと思う。

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採用活動を続けた結果、程なくして山を愛してやまない最適な人材に出会うことができた。人が変わり、継続と発展をしていく上で、必要なポイントはいくつかあると思うが、優秀な引継ぎ先があるか。は結構、大事だと思う。

引継ぎが完了するタイミングで、私も次のステップに進んだ。『アウトドア業界の人材課題解決』への挑戦だ。

これもまた、なが~いお話になるので数年間をザックリと割愛し、またの機会に書こうと思う。

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で、豪快な時飛ばしをして、Recampのお話を。
キャンプ場開発運営会社を作ろうと思うけど、一緒にやる?と声をかけてもらい、『やります』の即答で、社名もビジョンも何も決まってない段階でジョインした。

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Recampは、キャンプ場開発運営専門の会社で、株)R.projectと 株)スペースキーの合弁会社だ。日本各地には素晴らしい場所が沢山ある。”BASE CAMP”を開発運営し、すべての人に自由にアウトドアや自然に触れる、その地域ならではのローカル体験機会を提供することが、私たちの役割の1つだ。

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今でも思う。これまた、大尊敬している経営層だが(しかし、まじで怖い。ここでもよく怒られていた)、よくもまあ、私のような出来損ないを誘ってくれたな。と。守りに入らなかった、スペースキーの経営層の凄さを感じた場面だ。

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これを言ったら元も子もないが、私は地頭が悪い上、集団行動自体が昔から苦手でめっぽう、日本の企業体制にあわない人材だと自覚している。彼はその部分もよくわかってくれている。誘ってくれた時に、こう言ってくれた。

『栗原さんの成功も失敗も全て見てきています。』

言葉にならない。感謝だった。山のような失敗と、周りへの迷惑と、恥をかきまくっていた時期で、毎日会社に行くことから逃げたかっただけに、ありがたかった。

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実は、人材事業をやっていたときにキャンプ業界のビジネスモデルと、再現性の弱さに疑問を感じていた。

事業会社側に行けば、真実を知り、何かできるかもしれない。1つ確実に言えるのは、自然は無限の価値がありインフラになり得て、キャンプ場はその地域にしかない自然と触れる手段だということと、自分が身を置く業界は、”憧れ”の業界にしたいということだった。

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具体的なことは何も決まる前で、当然、運営するキャンプ場は1つもない状態だったが、不安よりも圧倒的に、ワクワクしていた。

「仕事は自分で作ればいい。やるべきことをやるために、頭を使えばいい。その分野のスペシャリストや、出来る人のチカラを借りればいい。何でもやったるぜ。」と、なぜか何かしら出来る気がしていた。無知のなせる技か。

しかし、キャンプ業界で経験を積んだわけでもなく、キャンパーでもない私はきっとまた変人に見られて、後ろ指を指されるんだろうなと、不安もあった。不思議と、大変でも初めてのことでも、仕事自体はやれる気はしたが、「人の目」に対して、まだ気にしている情けない、ちっぽけな自分がいた。

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Recampにジョインした意味と存在意義をよく考える。大げさに言うと、きっと変革のためだと思っている。

従来通りのキャンプ場を開発運営する。ということであれば、私は全く必要なくて、適任者は山ほどいる。

今までの常識をぶっ壊すというと乱暴だが、今までの良さを残しながら、進化させる。Recampの思想をきちんと汲みながら、必要な仕事を自分で創り発展させる。時には人がやりたがらないことだって、自らやる必要はあるだろう。

難しい。
難しいけど、すげー面白いじゃん。

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5年後の自分は何をしているかはわからない。
5年前、まさか今の仕事をしているなんて1ミリも思っていなかった。

やりたいこと、夢は沢山あるけども、どれもまだ先の話だし夢はどんどん変わるんだろうな。Recamp自体スタートしたばかりで、『なぜか』やっている仕事も沢山あるけども、少なくとも現状を少しばかり良くしたり、体験したことを自分の肥やしに昇華させてバージョンアップすることが出来るんじゃないかな。と自分自身を信じている。

信念は全く変わらない。
やることやるだけ、走って走って走るだけ!
あ、今年のおみくじ、大吉だったけども仕事運に『焦るな』って書いてあったっけ。

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はい。そんなわけで、
株)スペースキーに籍を置きながら、株)Recampでの新たな道がスタートし今に至る。

盛大な時飛ばしをしまくったが、ここまでが私がアウトドア業界へ身を置いたきっかけや偶然のお話。

時々、部分的に書いていこうと思う。
自分自身の記録日記として。
ちゃんちゃん。

株式会社スペースキー
株式会社Recamp


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