今もまだあの場所に立っている。 【フリッパーズ・ギター『ヘッド博士の世界塔』30周年に寄せて】
1991年7月10日に発売されてから、2021年の今年で30周年を迎えたフリッパーズ・ギターの解散直前3枚目のラストアルバム『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』こと『ヘッド博士の世界塔』。
フリッパーズファン有志達によって、当時を振り返るZINEが作成されたり、7月10日当日には、SNS上で「#ヘッド博士30周年」というハッシュタグが盛り上がっていた。
リアルタイムを知らず、物心ついた頃には解散していた、いわゆる“後追い世代”としては、何かいつも「声を大きく」出来ない気持ちがあったが、このアルバムには本当に救われた私だって、今こそ声を大にして叫び書きたい。
良ければ、どうか読んでください。
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-『ヘッド博士』に私が出逢ったのは、もう既にこの世のどこにも存在しなかった“フリッパーズ・ギター”という幻影に狂い始めた2000年代初頭。私は高校生だった。
1stアルバムの「さようなら、パステルズ・バッジ」の高らかさに胸を打ちのめされた後、なぜか2ndの『カメラ・トーク』をすっ飛ばして、田舎のTSUTAYAで手に取ったのが、ある意味運の尽きだった(狂ったという良い意味で)。
この3rdでは、1stで感じた透明感あるピュアさや、小山田と小沢の双子のようなシンクロ率がどこか境界を引いて「個人」に戻りつつあるような印象を受けた。意図的か無意識かその後の「解散」に真っ直ぐ向かっていっているような、歌詞も明らかに「制御不能」に何か壊れていっている感じがした。
しかし、それが堪らなかった。当時、私は17歳。大人になりきれない自分の年齢に合致して、泣き笑いを始めている二人がとにかく「救い」に感じた。
それはある意味、1stよりも2ndよりも「味方」だった。
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当時、私は中学校から付いた不登校グセで、とにかく大人をナメていた。しかしそれが、人に理解されない内側の繊細さと相まって、どこにも誰にも心が開けない、味方もつかない、自分で自分の首を絞めるような毎日を作り出していて、もう笑うしかなかった。
「逆巻く波間の小舟で更に1000年/ジョークのつもりがほんとに降りれない」
まさに17才の私はこの歌詞のようで、「降りれなかった」。
出席日数をなんとなく計算しながら、学校にも行かずに、『奈落のクイズマスター』のMVの海辺シーンを繰り返し見ては、胸を締め付けられていた。
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-その後、私は幾度の引きこもりや闘病などを経て、17歳の約15年後。
フリッパーズ・ギターのプロデューサーである牧村憲一さんにお会いする事や、同じくサウンドプロデューサーの吉田仁さんの講義を受けたり、その後サイゼリアで食事をご一緒したりもした。
そして、まだ今だに信じられないが、あの「世界塔」の神である小山田圭吾さんとも自作のZINEを通じてお話しを何度か交わすのだった。
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-しかし、そんな未来があるとはつゆ知れない17歳の私は、様々な“盲目秘話”もまた残している。
ある時には金属製のペンダントの裏に『世界塔よ永遠に』の文字と、二人の解散日を自力で掘った物を、駅で落とし。駅員さんに「これですか?」と苦笑された事もあった。
学校の国語の課題には、ほぼ丸々ノート一冊分、二人へ“愛”を綴った詩集を作って、提出した事もあった。(しかし教員には褒められた・・・)
-私の“明日”は、どう考えても、とうに解散して、この世にはとうに存在しない、"二人の青年バンド"と共にあった。じゃないと「生きれなかった」と言っても過言ではなかった。
オザワとオヤマダが、あの時代の事やこの作品の事をどう窺えているかは分からない。けれど、2000年代に田舎の山奥に住む17の女にとっては、少なくとも、時代を超えた「救済」であり、毎日の活力だった。
これがよく「宗教」ぽいと形容されるバンドの所以だと思うけれど、少なくとも私の人生において、彼らは真実であり、真理だった。
重ねて、当事者の二人がどう思ってるかは永遠にもう分からないけれど、あの作品に関わった全ての方に今だからこそ言えるお礼を言いたいと思う。
道に迷い続けたあの頃の少女を灯してくれて、ありがとう。
作品を世に生み出し、残してくれて、ありがとう。
『ヘッド博士』はそのギリギリなサンプリング手法によって、きっと永遠に再発される事も、ストリーミング配信される事もないけれど・・・
私にとっては、いつも“あの場所”に立っている「永遠の塔」なのだ。それが二人が作った世界塔、『ヘッド博士』である。
どうか、「世界塔よ、永遠に」。
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そして、2018年『信藤三雄展』では、我々の心のアートワーク・またはあの“墓標”の前で写真を撮れて、ご満悦の筆者でした。人生は何が起こるか分からない。そして、永遠に二人を愛します。
2021.07.10 こたにな々
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