なんで「薬はじめてガイド」を作ったの?(1)
「発達障害の当事者とまわりの人のための薬はじめてガイド」中の人1号、仲田です。
薬はじめてガイドを発行してから、5か月。広報活動をしていると、「なんでこんなパンフレットを作ったの?」とよく聞かれます。毎回、なんて答えれば良いのかを忘れてしまうので、記事にしてみようかと思いました。書いていたら長くなってしまい、何回かに分けて掲載することになってしまいましたが、よかったらお付き合いください。
1)自分のための備忘録
発達障害の当事者で、神経科学(脳科学)の研究者で大学の先生もやっていると、時々学生さんや友人・知人から発達障害に関する質問を受けることがあります。私は医師ではないため、あくまでも当事者としての経験談を伝えるだけですが、それでも情報としては結構なボリュームがあり、毎回考えるのはちょっと大変に感じることもあります。
さらに、私にはADHDの特性がわりと強めにあります。別れたあとや電話を切った後に、あー!!あれ言えばよかった!と後悔したことは数知れず。
そんなときにこの薬はじめてガイドがあれば、これを1冊渡すだけで済むのです!このパンフレットの存在に、一番助けられているのは、私自身かもしれません。ありがとう、薬はじめてガイド…。
ちなみに、この記事も全く同じ動機で書かれています。
2)本当は自分が困りごとの伝え方を教えて欲しかった
自分の言葉で表現する、ということが、長い間苦手でした。言葉のルール、現実に起こったことと、それぞれの単語や文章が結びついているということがよく分かっていなかったのです。20代の半ばまで、小説や漫画で読んだ台詞を借りてしゃべっていました。読書量が膨大だったため、多少ぎごちない程度であまり目立たなかったようですが。
また、自分の育った家の大人たちにもおそらく発達障害の特性があり、私は大人になるまで健康な定型発達の人の生活を間近で見たことがありませんでした。生活がうまくできないこと、困りごとがありつつもそれを隠すことは、私にとっては当たり前のことでした。だから、生活の中で何が「困りごと」なのかを判断できなかったのです。
初めて病院に行った時から、すでに自分がADHDであることは自覚していましたが、なかなかお医者さんにうまく説明ができませんでした。教科書や本から借りてきた言葉をそのまま言うだけでは、忘れ物や、段取りの苦手さが「誰にでもあること」の範囲を外れていると信じてもらうことは難しく、20歳で精神科に通い始めてから、発達障害の診断がつき、ADHDの薬が飲めるまでに長い時間がかかりました。
大学院で論文の書き方の指導を受けるうちに、だんだん言葉で自分の身に起こっていることを表現できることを知り、伝え方もうまくなりました。自閉スペクトラム当事者の手記も、表現の参考になりました。
大学院の修業年限を(ギリギリ)前に、ついに本当に困っていることが主治医に伝わったときには、心から「助かった」と思いました。今は25年分のフラストレーションを発散すべく、ペラペラとしゃべって文章を書きまくっています。
ただ同時に、学生時代の私のように、言葉でうまく伝えることができない人たちはどうしているんだろう、と考えずにはいられませんでした。みんながみんな、私のように自分の動きを言葉に変換する方法を教えてくれる師匠に巡り合えるとは限りません。
当事者の視点で、私たちの感覚や生活にありがちなことを表現する文章のお手本があれば、同じように困っている誰かの、うまく伝わらない期間・助けてもらえない期間を短縮できるのではないかと思いました。
もちろんたくさんの当事者の先輩たちが、素晴らしいエッセイや漫画を書いておられるので、本を読んでもいいかなと思える方は、ほかの当事者さんの手記を読んでみるのもおすすめです!
今日の参考図書
(※本に出てくる障害の名称は、発行された時期によって、今使われている名称と異なる場合があります)
<つづく>
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