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エスカレーターに乗って 第774話・3.8

「塾に遅れそうだ!」高校生の和正は、部活を終えた学校からの帰り道。通っている進学塾を目指して走っていた。
その塾はビルが立ち並ぶ都会のターミナルの近くにある高層ビルの最上階近く。いつもエレベーターに乗るが、そのビルは様々なオフィスが入居しており、人の出入りも非常に多い。だからエレベータに乗るためには、時間帯によっては行列に並ばないといけないときがある。さらに途中で降りる人がいるから、なかなか上階までいかない。ビルの下には10分前までに到着しないと遅刻する。和正の通っている進学塾は遅刻に厳しく、遅刻すると中に入れてもらいなくなってしまう。だから遅刻すれば、その分取り残されてしまい、志望校が遠くなってしまうのだ。

和正は時計を確認した。「ま、まずい」時計はまもなく10分前、まだビルには到着していないが、もう見えている。
「ダメもとでも!」平凡な学校生活の中でも部活が楽しい和正。ついつい塾に遅れてしまうのだ。実際和正は今月もう2回も遅刻してしまった。
「あれ?」和正はビルに入ろうとする手前、あるものを見つける。「エスカレータだ!」和正はビルの中にエスカレーターがあることを知らなかった。厳密にはビルの入り口のすぐ横、ビルにつながるように設置されている。「知らなかった。まてよ、この方が早いかも」
そう考えた和正は、何のためらいもなくエスカレーターに乗った。エスカレーターは上部がドームのようになっていて、延々と続いている。「これ何階まで続いているのだろう。まあいいや、エレベーターより早い気がする」

こうして和正はエスカレーターに乗り、走ったことで切れていた息を整える。だが、やがて和正は何か違和感を感じ始めた。「あれ?いつまでたってもエスカレーターの上までいかないな」
 和正は感覚としてはもう10階以上は上がっている気がした。どんだけ長いエスカレーターでもそろそろ終わりになっていてもおかしくないはず。だけどいつまでたってもエスカレータの上まで到達しない。「いつまで続いているんだ」和正は恐る恐る下を見たが、すぐに視線を戻した。もうすでに下は見えないほど上がっているらしい。
さらに不思議なことにこのエスカレータは上りしかないのだ。そのうえ角度はどこにでもあるエスカレーターと同じなのに、これだけ上昇すれば相当奥行きの長い場所のはずである。どう考えても和正が普段通っている塾のビルの奥行に対して長すぎるのだ。

「これって、ちょっとまずいことになっているの?」和正は突然恐怖を覚えた。なにしろ延々と上りだけが続いている。降りたくでも降りられないエスカレーター。いったいどこまで上昇するのか見当もつかない。そして遠の昔に塾の開始時間は過ぎている。「塾はもういい。ここから出る方法を考えないと」和正はどうしようか悩んだ。エレスカレーターは延々と上昇し続けている。降りようとしてもどんどんと下が見えなくなっており、怖くて降りられそうもない。

「おいどうなるんだ。助けてくれ!」和正は怖さのあまり大声を出す。だが上にも下にもほかにこのエスカレーターに乗っている人はいない。多少はエコーのようにチューブの中を声が反響している。だけど誰も和正の声を聴く者はいなかった。いったいどのくらいの高さまで上昇しているのだろう。延々とチューブのようなところを上昇しておりもはや高度もわからない。和正は時計を見た。そして驚く。エスカレーターに乗り始めて2時間近く経過している。けれどまだ先が見えない。

「ああ、俺は何でこんなものに乗ってしまったんだ」悲しくなる和正。ふと今まで平凡に過ごしていた人生が懐かしくなってくる。勉強は中の下程度で、特に運動神経が抜群ではない。文化部に所属しているが特に目立ったこともしておらず、ごく平凡な人生。別に異性にもてているわけでもなかった。「大学行って、大企業に就職して社会人になって、適当な相手と結婚する。そんな人生なんだろうなあ」などと、人生の平凡さを普段から嘆いていた和正。だがその平凡な人生こそが本当は幸せだったのではと今になって考えてしまう。

「ああ、もしかしたら俺、もう元の生活に戻れないのかも」和正は時計を見た。すでに日付を超えている。もう8時間以上もこのエスカレーターに乗ったままなのだ。ただ不思議なことがある。トイレにも行きたくないし、体も疲れていない。そして睡魔も襲ってこないのだ。「いったいこれって」和正はあきらめながらも、いつか来るであろうエスカレーターのゴールを待つことにした。

それからどのくらいの時間がたったのだろう。突然エスカレーターの風景が変わった。エスカレーターそのものは続く。だがドームがなくなった。星が見える暗闇の風景、雲が浮いているのがわかる。
「え、これって天国に。俺死んだの?」和正は最悪のことを頭に浮かべた。と言ってももうどうすることもできない。仮に死んだとして一体いつ死んだのか?記憶にない。車に引かれそうにも、どこから転落、あるいは上から何かが落ちてきなそんな記憶はどこにもない。ただこのエスカレーターに乗った。それだけなのだ。
「異世界に向かっているのか?」和正はそんなことも頭に浮かぶ。科学的に証明できないことだけど、異世界ならまだ死んでいないだけマシかもしれない。何の根拠にもないことを延々と考えはじめる。今やエスカレーターがゴールに到達しない限り、和正には無限の時間があるといっても過言ではない。
 やがて和正は新たな後悔の念に駆られた。それは部活で一緒になっている同級生の女の子ことだ。「楽しい子、すごく優しくしていた。ああもう会えないのか」和正はその同級生に恋心を抱いていたが、その同級生はだれとでも仲が良く、結局それ以上には発展しない。「こんなことなら...…」和正は想いを告白できなかったことを何よりも後悔した。でももう遅い。和正の目から大粒の涙がこぼれた。

「あ、あれは?」ようやく気持ちが落ち着いた和正は、上を見ると何か大きな雲のようなものが見える。さらに見るとエスカレーターがその雲の上あたりでようやくゴールしようとしていた。その先にあるもの。どうやら建物のようだ。「なんときらびやかな建物見たことのない美しさだ」エスカレーターのゴールの先には、宝石のように輝く屋敷のようなものが見える。
「これは天国か?ということは」和正はやはり何らかの理由で自分は死んだのかもしれないと感じた。もしかしてこのエスカレータは死後の世界にいる自分にしか見えないものだったのか?わからない。考えても無駄なこと。
 エスカレーターはついに一番上に到達した。「あ、おおっと」久しぶりに足を動かした和正。エスカレーターから出て振り返る。やはりエスカレーターは上昇しているものしかない。下に降りるすべはどこにもなかった。
「もうこの建物の中に入るしかないんだ。それからのことはもうわからない」

和正は決心を固めると、エスカレーターの最上段から輝いている屋敷を目指して足を進めるのだった。



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シリーズ 日々掌編短編小説 774/1000

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