平成のマネキン人形 第791話・3.25
「この連休が終われば、私も処分されるのね」ここはあるショッピングセンターが閉店した後の深夜。もう4年ほど前、世間ではちょうど平成から令和に変わったタイミングの話。婦人服売り場にはマネキン人形が置いてあるが、その中の女性の形をしたマネキン人形一体は、不思議なことに意識がある。
「そうか、世間では令和という時代になったのか、30年以上、ちょうど平成の時代をずっとマネキンとして生きてきた私もお払い箱。もうこの顔もついた全身タイプの人形もこのショッピングセンターでは私だけだよね。みんな薄い板のようなのっぺらぼうの顔のものか、そもそも首から上がないタイプばかり...…」
意識の良いマネキン人形は、視覚と聴覚に優れている。若干の嗅覚もあるが、あまり強くない。ここはフロア自体が衣服売り場なので、飲食街がなく匂いなどほとんど感じないのだ。視線から見える「祝!令和元年」の文字。そしてスタッフから聞こえた言葉は、聞き逃さない。
「いよいよこの連休が終わったらこのマネキン人形も撤去か」「店長が言うには平成になったころからあるらしいんだって」「へえ、30年かすごいな」「本当は2年くらい前に撤去と思っていたそうだけど、どうやら平成が終わって元号が変わりそうになったから、それだったら平成が終わるまで置いておこうってなったらしいぜ」
こんなやり取りを目の前で聞けば、マネキン人形もいよいよ最期を覚悟した。そうなれば処分される。どういう処分をされるのか?それは焼却だろうか、粉砕だろうか、全くわからない。そしてついに長く保っていた意識が消え去るのだろう。マネキンはこのときいよいよ迫る「死」というものに対して真剣に考えるようになっていた。
「私には意識があっても、意志で自由には動けない。連休が終わるって、 え?明日の朝!」マネキンの視線は天井につり下がっている時計に向かっていた。少し離れているが時刻がわかる。間もなく日付がわかって5月7日。7日はこのショッピングセンターが定休日のため、おそらく明日のうちに搬出されるのだろう。
「いよいよか、そうか、まだ私が動くことができた時代が懐かしいわ」マネキンは30年少し前、まだ平成が始まる昭和の時代の最終盤のとき、その頃の記憶が走馬灯にように記憶の片隅によみがえった。
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30年少し前、マネキン人形は、驚いたことにもともと人間だった。当時19歳の女性は、もともと捨て子で、両親の顔も知らない身寄りのない子供として施設で育った。高校を卒業後に施設を出て、町の小さな工場で事務員として働いていたが「大都会に出たい」との思いから12月にそこを退職。こうして全く知らない、遠く離れたこの都会に来た。時は昭和64年の正月が明けたころ。世間では昭和天皇の病状が連日報道されていて、自粛ムードになっている。彼女は年末にこのショッピングセンターで短期のアルバイトをしていた。
「1月10日過ぎたら長期の仕事先を探さないと」年が明けて正月をゆっくりと独り暮らしのアパートにいた彼女は、年末に稼いだお金で何か買おうと思っていたが、しょせん持っているお金は知れていた。ここで彼女はショッピングセンターでバイトしたことで、建物内の位置関係を知っていることを利用し、1月6日の深夜にショッピングセンターの中に潜入した。
「いつもショッピングセンターで見ていたおしゃれな洋服。とても買えないけど、こっそり試着してみようかなしら」
彼女はただ服を着て楽しみたかっただけであった。だがこの愚かな行為が、彼女を30年以上動けなくなるきっかけになるとはこのとき想像もしていない。真っ暗で非常灯で家がついているフロアの中には多くのマネキン人形が静かに立っていて、彼女たちが着ている服がある。彼女は前から気になっていた一着のマネキン人形にかけてあった服を試着した。
「ちょうどね。やっぱり似合っている。でも販売価格の桁が...…」彼女は10分くらい試着したまま自分自身に見とれていた。
「さて、そろそろ出ないと見つかるわ」彼女はそう思い、服を脱ごうと手を動かすが手が動かない。「あれ、何?ひっかかっているの」と最初は思ったがよく見れば足も体も動かない。よく考えたら目も動かない、瞼もできなくなっていたのだ。
「え、ちょっと、何、どうなっているの」彼女は思わず叫ぼうとした。だが口も動かない。何もできなくなっていた。一瞬自分の手が視線に入った。眼球は動かないが視線は動くらしい。その手を見て愕然とした。自らの体がマネキン人形になっているから。
彼女はここで一瞬にして後悔した。だがもはや後の祭り。そのままマネキン人形となって朝を迎えた。1月7日の朝、世間は昭和天皇の崩御のニュースが流れて暗くなっていた。新しい元号は平成になるという。
「おい、新しいマネキン、誰だこんなところに?」「服だけ着せて、しょうがねえな。これは外のウィンドーに動かすぞ」
年末のバイトで指示を受けた店長の姿がある。「た、助けて!」と彼女は叫ぶが、声も出ないし、店長には伝わらない。そのまま意識がある中、マネキン人形となった彼女は、外のウインドーの場所に設置された。しばらく着た服はそのまま。
それ以降ずっとウインドーで、外を歩く人を見ながら彼女は何もできずに過ごしている。あるタイミングで服を着替えさせられるときが来た。「もしかして」彼女は期待した。今まで着ていた服に問題があったかもしれないと。だが服を脱がされたときも新しい服を着たときも何も変わらない。やはり動かない。彼女はもうマネキン人形としての生涯を過ごすことが決まってしまったのだ。
ついに彼女はあきらめた。「もう私はマネキン人形として生きるのね」と、そこで同じような境遇の人形がないか確かめようとする。想いを伝えようと近くの人形にテレパシーを送ってみたが、全く反応がない。この現象は自分だけなのか、ただテレパシーを伝えることができないだけなのかそれすらも不明。
ただ視覚と聴覚だけはしっかりしているから世間の動きだけは理解していた。マネキンになってから10年。しばらくすると、彼女はウインドーから店内に移動した。ちょうど西暦2000年で「ミレニアム」という言葉が流行っていたころだ。
当初は最も新しいマネキンとしていた彼女であったが、いつしか先輩のマネキンは次々と撤去され、今では最古参のマネキン人形。そして間もなくその役目を終えようとしていた。
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「あれ、何かしら」我に戻ったマネキン人形。彼女は肩に違和感を感じた。「また虫かしら」彼女はいつもなら体が動かないからそれ以上は何もしないが、今日はやけに気になる。それもいつも以上に肩の違和感があり、虫が肩のあたりで小さい足を動かしながらうごめいている感触があるのだ。「なにこれ、気持ち悪い!」彼女は思わず手で払いのけようとした。
「あ!」彼女は驚いた。手が動き、見事に虫を払いのけたのだ。「う、動いた。私の手、動いた!」彼女は試しに足を動かした。「あ、うごく、動けるわ!」
ここで奇跡が起こった。マネキン人形だった彼女が突然人間に戻っていたのだ。彼女はさっそくその場所から歩いた。普通に歩ける。深夜のショッピングセンターに備え付けの鏡を見た。確かに人間に戻っている。30年以上たっているが、年は19歳のままのようだ。
「よし、抜け出そう。着ている服は30年間の報酬よ」こうして人間に戻った彼女は深夜のショッピングセンターを抜け出した。
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「あれから4年、やっとここに来れたわ」彼女はショッピングセンターを抜け出してからいろいろとあったが、元々家族も親族もなく、新しい街で友達もできる前に起こったことだから、捜索願などは出されていなかった。おそらく実年齢は50歳代だが体はまだ23歳。見た目よりもずいぶん若いと思われているだけだろう。
もちろんアパートなどは家賃滞納で解約されていたが、そのアパートもなくなっている。何かと手続きがややこしかったが、どうにか社会生活に30年以上ぶりに復帰。
また30年以上もある年齢のギャップについても、独自に調べて裏の手口を使ってうまく処理できた。だから今では肉体と同じ23歳で通すことができている。
「絶対誰も信じないだろうけどね」彼女は4年ぶりに来たショッピングセンター。今月末で建て替えになると聞いたので、ひと目見ておこうとこの場所に来た。かつて30年以上いたあのフロアに着て、ぶらぶら歩く。こうして居並ぶマネキン人形を見つめていた。
もちろんテレパシーとかそういうので意思疎通などはしない。だが平成の時代をマネキン人形で過ごすという不思議な経験をした彼女にすれば、このマネキン人形がかわいい後輩に思えてならなかった。
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