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監獄に戻った観光客

「やけにリアルだなあ。本当に風呂に入っているみたいだよ」ひとりの男がとある博物館を訪れた。場所は北海道網走。ここにある博物館では人に見立てた蝋人形が多く展示してあった。そして、ちょうど風呂に入っている場面の前に来ている。
「それにしても今日11月26日は『いい風呂の日』だったんだ。出発してから気づいちまったなぁ。今日はスタッフに任せてここに来たが、まさか俺が天然温泉施設の経営者になるなんて、網走で受刑していたときには、考えもつかなかったぜ」

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 男の名は斜里清治。彼は元犯罪者である。20年ぶりに網走の地に足を運んだ彼が、来ているのは博物館網走監獄。「博物館には初めて来たな。それも客として」清治は嬉しそうにつぶやきながら、入場券のチケットを購入した。

「堅気になって20年か。やっとこれたなあ。網走に」
 かつてある暴力団事務所に所属していた清治は、殺人未遂の罪で懲役5年の実刑が確定。そして網走刑務所に収監される。だが、あとでわかったことだが網走刑務所は、映画などのイメージと違い、それほど劣悪環境ではなかった。 
 刑期10年未満で年齢が26歳以上の犯罪傾向が進んでいる受刑者(B指標受刑者)を収容する短期累犯刑務所だという。当時27歳だった斜里は初犯だったが、暴力団関係者だったため、B指標受刑者扱いとして網走に連れてこられ、数年間服役した。

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 20年前の仮出所の日、ひとりで刑務所を出る予定だった清治を迎える者がいた。彼の同級生で、高校当時に交際していた博美は、清治の地元・旭川を拠点としていたある資産家の娘である。博美は東京の大学に進学。大学受験に失敗した清治は浪人生となるが、ストレスからか勉強もせずに悪い遊びを覚えてしまい、ついに暴力団員にまで落ちぶれてしまう。だから自然と別れてしまった。
 それにもかかわらず「清ちゃんが立ち直ってくれるなら」と、組事務所と縁を切るためのお金を建て替えてくれた。それからは本当に堅気として働く。博美の紹介で地元旭川近郊にある農家の世話になる。ちょうど受刑中に農作業をしたのが良かったようだ。高齢者が多いため、人手が足りないことが幸いしたのかもしれない。結局清治は、高齢者夫婦の元で住み込みの農夫として働いた。前科や務所帰りについても、この老夫婦は一切不問にしてくれる。

 そんな恩義があって20年。気が付けばその高齢者に代わって広大な農場の経営者として日々作物を生産していた。そして13年前には、よりを戻した博美と結婚し、子どもが生まれる。さらに5年前のある日、農場で段差になっていた崖の割れ目から突然お湯が沸きだしたのだ。

「清ちゃん、温泉施設作ろう。私、実家に相談するから」と、博美は実家に駆け寄り、出資してもらった。資産家の令嬢にして、経営学を学んでいる博美にすべてを任せて、清治は現場の農作業を頑張った。温泉施設は3年前に完成。

「俺みたいな、元犯罪者を待っていてくれただけでなく、こんな立派なものまで」清治は博美に頭が上がらない。とにかく妻を非常に大切にし、一生懸命働いたので、温泉施設の経営も黒字となり軌道に乗っていた。

 そんなある日、清治はふと網走の地が懐かしく思う瞬間が訪れる。偶然にテレビで網走のことをやっていて、この博物館のことを知ったこと。そのときの追体験がしたくなった。清治は博美を説得。「今まですごく頑張ったもん。清ちゃん行ってきていいわ」こうして博美からひとり旅の許しをもらった。

 旭川からの1泊2日のショートトリップ。出所してから一度も足を運ばなかった網走の地。観光客と言う立場であっても緊張した。清治は複雑な気持ちで20年前の追体験をしながら博物館を回る。この日は網走市内で一泊。翌日旭川に戻る。

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「海の近くだなあ。今度は博美たちともう一度来たいものだ」網走市内にある海鮮料理の店で舌鼓を打った清治は、ほろ酔い気分で店を出ると、近くのホテルを目指す。

 すると、前から清治目掛けてひとりの男が突っ込んできた。「あぶねぇ奴だ」と清治がよけると、その男は清治にわざとぶつかってきた「イテ、」そのとき、すぐにわかった。男は清治が持っていたバッグをひったくっている。「こらぁ待て!」
 実は清治は中学高校と陸上部に入っていた。そんなこともありひったくりの男をすぐに追いかける。追いついた清治は男のすぐ横に来ると後ろから抱き着いた。「うぎゃ」男は倒れこむ。

「俺のものをひったくろうとするとは、俺はこう見えても昔は!」と言ったところで声を詰まらせた。いくら相手がひったくり犯でも、自らの過去の立場。元暴力団だったことや犯罪者だったことを、口から滑らすわけにはいかない。清治は咳ばらいをすると。
「とにかく人のものを取るとは許さん。今から交番に行くぞ」清治は男を押さえつけながら、スマホを取り出して110番しようとする。そのとき清治は男の顔を見た。「お前どっかで見たことある」

 清治がそう思ったので、男の顔をじっくり眺めてみると思い出す。
「あ、あんた吉岡さん?」「え、なぜ、俺の名を」「斜里ですよ」「え、お、お、し、しゃりか。なんと懐かしい」
 かつて吉岡は清治と同じ暴力団事務所で、清治にとっては兄貴分。当時は清治の面倒を見てくれた。だが清治が殺人未遂で捕まった半年後、吉岡は未遂の相手を殺害。それは対立する組織の組長である。そして吉岡は殺人犯として、清治よりも重い罪を追うことになった。

「吉岡さん。ああ懐かしい。どうされていたのかお会いしたかった。ゆっくりお話を聞きたいので、ひったくりの件は不問にしやす。どうです、一緒に飲みませんか」と言って清治は吉岡をすぐ目の前の店に誘った。

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「すまない。お前のものをひったくってしまった悪い俺をこんな」「吉岡さん、いいですよ。僕は出所してからいつかお会いできればと、ずっと思っておりやしたから」

「もう、やりたくなかったんだが、2日前から何も食ってねえんだ」吉岡がそういうので清治が最初におにぎりを注文。そしてそれを見たときの吉岡の表情がすべてを物語っていた。
「どうぞ吉岡さん」それを聞くや否や、右手で鷲掴みにしたおむすびを丸々口の中に入れる。そして目を剥きながら必死でかみ砕く。あまり速さで喉の奥、胃袋の中に押し込もうとしたために、喉を詰まらせてしまう。吉岡は慌ててビールで流し込む。清治は背中をさすってサポート。こうやって、ふたつのおにぎりをあっという間に平らげた。

 改めてビール片手に語るふたり。聞けば吉岡は、5年前に刑期を終えて出所した。所属していた組事務所は、別の対立組織につぶされてすでに消滅。
 吉岡はこの機会に足を洗おうと堅気の仕事に就いた。だがなかなかうまくいかず、職を転々とした。先日ついに一文無しとなってしまったという。

 清治は自分との境遇が、あまりにも違う吉岡が哀れに感じた。「何か方法が」と腕を組んで考えると、あることがひらめく。

「あ、もし吉岡さん、僕天然温泉の施設経営しているんですよ」「なに、天然温泉?」「はい、もし吉岡さんが良ければ旭川での住み込みで働きませんか?」「い、いいのか俺なんかで」吉岡の表情が固まる。
「はい、吉岡さん温泉のこと詳しいじゃないですか?」「ああ、そうだ。屈斜路湖の湖畔で生まれ育った、俺の故郷には良質の温泉がいっぱいある。法懐かしいなあ」「だからぴったりです。ぜひうちの若いスタッフにいろいろ教えてやってほしいんです」

「し、斜里... ...」吉岡は目を赤く染めると、目に水を浮かべた。「あ、ありがとう。俺、残りの人生頑張ってみるよ」
「じゃあ、決まりですね。今晩狭いですが、ホテルの僕の部屋で泊ってください。明日一緒に旭川に行きましょう」その横で、恥も外聞もなく泣きじゃくる吉岡に、清治ももらい泣きしそうになる。

「もう、泣くのやめましょう。新しい人生の門出で」「お、おうそうだな」

と言って元気にビールのグラスをぶつけ、乾杯するふたりであった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 310

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