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リトルパリ・サイゴンに来た若き実業家の卵

「そうか、半日も自由時間があるのか」ときは幕末。
 開国後の日本では尊王攘夷の風が吹き荒れ、若者たちが暴れまわっている。そして国内の政情が非常に不安定だったころ。日本から遠く離れたインドシナ半島のとある地にいた日本人・篤太夫は、一期一会ともいえる異国での過ごし方を思案。

「やっぱり行ってみよう。この機会を逃すと二度と行けないかもしれない。この町の観光だ」そう決めた篤太夫は、さっそく行動を起こした。
 後にこの地はフランス領インドシナ(仏印)と呼ばれる、フランスの植民地だ。実は篤太夫はある使節団の一員としてこの地に立ち寄った。本当の目的地はフランス・パリ。しかし飛行機のなかった時代、日本からフランスに行くには船しか方法がない。そのようなこともあり、クルーズ船のように途中にいくつかの町を寄港する必要があった。この町もそんな寄港地のひとつ。 
 この町の名前はサイゴン。現在のベトナム・ホーチミンで当時は東洋のリトルパリとして、フランス政府が急ピッチで未来都市を建築している最中である。

 現地でガイドを雇い半日観光をアレンジしてもらった篤太夫は、昨夜のことを頭に浮かべながら宿舎を後にした。
 当時はフランス領のため、ここはフランス語が飛び交う灼熱の土地。
 篤太夫は、最終目的地のパリで言葉に困らないよう、日本からの船上でフランス語を学んでいる。完璧には程遠いが、フランス語に少しは耳に慣れていた。わからない部分は身振り手振りのジェスチャー。こうしてガイドと意思を疎通した。

 そしてガイドとともに宿舎を出発。篤太夫はサイゴンに来る直前の模様を頭の中で思い浮かべた。

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「どうやらブンタウに到着したみたいです。ここから川をさかのぼればリトルパリ・サイゴンはもうわずかですよ」
 篤太夫は船の上から、突如現れたインドシナ半島の大陸を眺める。「これは琉球のあたりに似ているな。季節はまだ春のはずなのに夏のように暑い」
 篤太夫たちを乗せたアンペラトリス号は、ブンタウと呼ばれる地点より、いよいよサイゴンに向かって川をさかのぼっていく。

「マングローブの森が多いなあ。ほうこの陸地も今やフランスのものか。西洋の諸国は本当に侮れぬ」
 若い篤太夫は、開国後に急激に入ってきた西洋の進んだ文化に触れながら、強国の恐ろしさを感じていた。いかにしてこれらの国に攻められることなく、日本を近代化できればと考えている。今回フランスに向かうのも本場の近代文化を少しでも学べばと考えていた。

「古代には遣唐使というのがあって、みんな唐に行って学んだ。今やその唐よりもはるかに遠いフランスか。まだまだ先。だがサイゴンはリトルパリ。何かの手がかりがあるかもな」
 篤太夫は中国とは違うであろうベトナムの文化とそこに現れるリトルパリが、いったいどのようなものであるか川を上りながら想像を膨らませた。

 こうしてサイゴンに到着。ベトナムでも中部のほうにはまだ王朝が残っているが、南部のこの辺りはコーチシナと呼ばれる直轄領。1861年に嘉定(ザーディン)を占領して、町の名前をサイゴンに改めてからまだ10年もたっていない。だから東洋のパリを構築しようと、急ピッチで町づくりが行われているのだ。

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 移動中昨日のことを思い出してた篤太夫。しばらくするとガイドからある場所に案内された。
「Vous pouvez monter un éléphant à cet endroit.(象に乗ることができます)」という。
「象といえば......。そうだ確か八代将軍吉宗様の時代に、わが国にも来た広南従四位白象というのがいたな。そうか当時の広南から来たと聞いた。それはぜひ乗せてもらおう」

 若き篤太夫は、とにかく好奇心旺盛である。このサイゴンに来る前、途中には中国の上海や香港にも立ち寄った。だがそれらの町には存在しない象という存在。日本がまだ鎖国をする江戸初期には、ここよりも西にあるシャム(タイ)のアユタヤに行った山田長政という男がいた。
 篤太夫はシャムの地にも象がいて、それが戦闘兵器として活躍しているという事実を聞いたことがある。
「長く鎖国がなかったら、果たしてどうなっていたのだろうなあ。それにしてもこやつは本当に大きい。馬よりもはるかに強そうな生きた武器だな」

 篤太夫はガイドに促されるように象に乗ってみた。そのとき驚きのあまり思わず目を見開く。「なんと固い皮。これは本当に生き物のものなのか? いくら蹴ってもびくともしない。まるで石ではないか?」
 象皮のあまりもの硬さに驚く篤太夫。そして象の上から見える風景もまんざらではない。
 この後は象使いによる曲芸も見た。篤太夫は、象使いが巧みに巨大な象にいろいろさせるので、何も考えることなく純粋に楽しむ。
 この後、サイゴンの中心から少し離れた商綸(チョロン)と呼ばれる地域にも足を運んだ。これはいわゆるチャイナタウンである。
「これはひどい、現地の人の暮らし向きは、まるで乞食のような世界。サイゴンの中心にいるフランス人たちとは大違いだ」ただ篤太夫は、移動中に見る、現地人のあまりにもみすぼらしい姿に目を背けた。

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「C'était amusant aujourd'hui. Merci.(今日は楽しかったです。ありがとう)」そう言ってガイドと別れた篤太夫。
「ちょうどよい時間だった。やっぱり単独行動は楽だなあ。さて間もなく集合か。昭武様やほかの随行員たちとうまくやらんといかん。よしパリの万博幕府代表として必ず成功させよう」
 篤太夫はそう呟くと、いったん宿泊施設の自室に戻った。

 ちなみにこの篤太夫こそ、のちに日本の実業界をけん引した渋沢栄一である。


再び買い取ってもらった小説作品が出版されました。

 先日、渋沢栄一をテーマにした小説を再びビスマルク美術出版さんに買い取ってもらいました。その第二弾。今度は栄一がフランスのパリ万博に向かった一部始終です。
 栄一は途中にベトナムのサイゴンに立ち寄り半日自由行動の時に観光したそうです。今回の小説はその部分だけを切り取り、より詳しく書いてみました。もしパリ万博全体のことに興味があれば、ご一読ください。
(ちなみに私は本文と相関図だけを担当しています)

出版・編集者様からも次のようなありがたいお言葉をいただきました。

何と言いましても、旅野さんの歴史公証が詳しく、読み進めるたびに納得がいき、読者をグイグイ引き込んでいく作品ですね!
流石だと思います。
これだけの素晴らしい内容の電子書籍を出版できた喜びを噛みしめています。
ほんとうにありがとうございました。


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