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ヒルコ

「先生これが、十日えびすという行事ですか」「出口君、そうじゃ。本当は秋の神有月で全国の神々がいないときに留守を任されたえびす神のために行われるえびす講。これが関西地域ではどういうわけか、正月明けのこの時期に行われているわけじゃ」
 自称・歴史研究家の八雲と助手で事実上の恋人でもある出口は、兵庫県の西宮にやってきた。ここにはえびす神をまつる西宮神社がある。
「雰囲気は酉の市にも似ていますがが」「いや実は、それとは全く関係がない」
 ふたりは表大門と呼ばれる朱色の門をくぐった。この日は十日戎が始まった1月9日。例年よりは少ないものの、やはりそれなりに人手がある。

「確かえびすは七福神ですわね」「出口君、そう。あの七ついる神々は、インドや中国由来のものがほとんどなのにもかかわらず、えびすだけは日本由来というわけじゃな」
 デートのようにも見えるが、一応歴史研究の一環として来ている。だからふたりともオフィシャルな紺のスーツ姿。八雲はネクタイを着用し、出口はタイトスカートである。会話の内容も「先生」「出口君」という具合だ。

 門をくぐり終えると境内は直線に道が伸びており、両端には石灯篭と松の木が植えられており林のように続いていた。
「しかし松林が素敵ですわ。ここだけは松の内がまだ続いているようです。ところで先生、えびす神と言うのは確か元となる神が、数種類いるんですよね」
「そう、ヒルコとコトシロヌシ、それからスクナヒコがえびす神となったとされておる。ちなみにこの西宮神社はヒルコの神を祀っているそうだ」

「ヒルコ神かぁ」出口はそう言いながら腕を組む。しばらくすると境内のみちが右斜め方向に曲がっている。ふたりはその方向に進む。やがて左手に祈祷殿の建物がありその隣には池があった。

「そうじゃ出口君、ヒルコ神の話をしようか」八雲が思いついたかのように声を出すと「先生お願いします」出口は口を緩めながら頷いた。

 八雲は胸を張り、軽く咳払いすると語り始める。

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「ねえイザナギ、もう3年たつのにこの子、足腰が立たないわ」
 イザナギは妻イザナミのほうを振り向いた。「それはおかしい、俺たちはこの地に国を作るものとして、一緒に天沼矛(アメノヌボコ)でかき混ぜた。それでこの淤能碁呂(オノゴロ)島を作ったんだぞ。これからいよいよ子供である島や国をどんどん作ろうというのに」

 見ると幼子は確かに足腰が立たない。イザナギはしばらく大きな目を開けて子を見つめていたが、やがてイザナミのほうに顔を振り向く。
「イザナミ、最初はどうも失敗したようだな」「え?」
「仕方がない。誰でもパーフェクトなんてありえないだろう。だからもう一度最初からやり直そうか。失敗したのはかき混ぜて島を作ったあと。君のほうから先に声をかけただろう」
「え、あそうね。あなたのことを『愛おしい男』って言ったのは私が先」「だからかも知れない」

「じゃあ」「うん、もう一度同じ儀式をする。今度は俺のほうから『愛おしい乙女』と、言おうじゃないか。そうすればうまくいくに違いない」
「で、でもこの子は」イザナミが幼子のほうに視線を送る。幼子は何事も無いように手足こそ動かさないが、顔を動かしながらあどけない表情をしていた。

「悪いが、この子は無かったことにしよう」「無かったことって、どういうこと? まさか!」戸惑うイザナミ。だがイザナギは声を大きくだして「いや、殺しはしない。蘆の船で流そう」
「... ...」イザナミは子供を見ると次の言葉が出ない。

 イザナギはイザナミの耳元でささやく。「よく聞いてくれ、俺たちは国づくりを行う神として、この地に使わされたのではないのか?」
「た、確かに別天津神(ことあまつがみ)様からの命令で」
「だろう、国を作るために多くの島を作らなければいけない。それには失敗品など許されないんだ」「そ、それは」

「本当なら殺してしまうのが良いが、3年共に暮らした。さすがにそれは忍びない。こうしている間に、蘆の船を作った。早くこの子を」
 こうしてイザナミはイザナギに言われるまま、子供を船に乗せる。子供は意味が分からずはしゃいでいた。イザナミは涙をこらえる。イザナギは黙ってそのまま流してしまった。

「イザナギ、あの子は無かったことにするの?」子供が見えなくなってからイザナミが質問する。
「いやイザナミ、流すのだからひょっとしたら、その先で生き延びるかもしれない。だから名前だけは付けても良いとおもう」「名前? どうするの」「ヒルコにしよう」「わ、わかったヒルコね」

「さ、やり直そう、今度は俺のほうから誘うぞ」

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 イザナギが失敗品と断定した子供は、そのまま流されていった。古事記や日本書紀では、ヒルコについてこの後の記述がない。
 だが、ヒルコを祀る西宮神社には伝承があった。それは次のとおりである。

 ここは摂津の国西浦、現在でいうところの兵庫県の西宮。ヒルコはこの地に流れ着いた。「おい、あそこに何か流されたぞ」土地の人々は流されたヒルコに集まった。
「これは幼子だ」「見ろよ子どもの手足が不自由だぞ」
「だけど、この子はただものではない。見ただけでこっちに目が引き寄せられる気がするぞ。これはすごいものを持っている。高貴な生まれに違いない」
「とりあえず、海から来たこの子を」
「みんなで大切にして育てよう。そうすれば必ず良いことがあるに違いない」

 こうして人々はヒルコを育てることにした。名前など知らないので、彼を「戎三郎(えびすさぶろう)」と名付けたのだという。そしてヒルコは海から来たことから、海をつかさどる神として崇められることになった。

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 八雲は話し終えると、ちょうど西宮神社と縦書きで書かれた看板が付いた拝殿の前。その奥に本殿がある。まずは拝殿の前に出て静かに参拝するふたり。無事に参拝を終えると出口の口が開く。
「先生、ヒルコという神が、最初に誕生したのに流されてしまったことは知っていました。でもこうやって改めてお話を伺い、そのヒルコが祀られている神社で参拝すると感慨深いものがあります」

「うん、戎三郎の『えびす』からえびす神社になるというのも不思議な物じゃ。確かこの神社で人形を操る集団があって、えびすの神徳を伝える劇がきっかけで、福の神になったと聞いたことがある」
「福の神なら悪く話は無いですわね」
「だが考えてみれば、やり方を間違えたのがきっかけとは。これは両親が悪いな」八雲が出口に視線をおくると、出口も八雲のほうを向く。
「それにしても今ならとんでもない人権問題ですわね。といっても彼らは神だし、それが穢れの信仰と結びついたとか」

「そう、出口君よく勉強しているね」「ありがとうございます」
「だが流された先でこうやって手厚く祀られ、それも福の神として多くの人が後利益を求めてくるんだから、ヒルコにとっても浮かばれたじゃろうな」 
 八雲は拝殿のほうに視線を戻すと、満足気に語る。

「でも、もし私たちに子が出来て、たとえそうであってもヒルコのように流しはしないわ」小声でつぶやく出口。
「はあ? 出口君。ワタシタチの子って何?」「ああ、先生なんでもない! 独り言です」とごまかしながら顔が赤くなる出口だった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 354

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