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河童の真実? 第549話・7.25

「ふう、ちょっと休憩」龍介は、そういうと作業の手を止めた。彼は電子部品を半田付けする仕事をしている。ここは家族だけで経営している零細企業のため、休憩時間が決まっておらず、自由に休憩できるのだ。
 ここは住居兼工場で、2階に龍介の部屋がある。

「あ、暑い! 部屋のクーラー何で壊れるんだ。これじゃ熱中症で殺される。修理屋今日の夕方だったな。うふぁあ、しょうがない」
 龍介は窓を開けて扇風機を回した。
「これだけ暑いと半田が溶けるんじゃないか? この夏の最高気温だよ」部屋に差し込む日差しを見て、愚痴をこぼす龍介。ちなみに半田は、こんな温度では解けない。摂氏250度以上で溶ける。龍介は立ち上がって部屋の外を見た。部屋からは、裏手に見える小さな川が流れているのが見えた。
 実はこの川の名前は芥川という。窓を開けてみたが、外から風は入ってこない。代わりに回転する扇風機のやや生暖かい風が、龍介の背中に当たってきた。そのとき、何かが反応したのか、龍介の足元に落下。「あいたたた」龍介が足を見ると一冊の本が落ちていた。それは芥川龍之介の小説である。

 龍介はいつしか芥川龍之介のファンであった。生まれたときから変わらないこの場所。目の前を流れる芥川はずっと見ていて馴染みがある。そして自らの名前も間の『之』がないだけで同じ字だ。だから龍介は、どうしても他人ごとのように思えず、いつしか芥川作品を、積極的に読むようになっていた。
「ああ、これって!」龍介は、目の前に落ちた本『河童』を見て、咄嗟に昨日の不思議体験を思い出す。

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「おい、ちょっと待てよ。クーラー動かねえや」昨日のお昼前、突然の悲劇が龍介を襲った。クーラーが壊れてしまう。慌てて電気店に連絡を入れると、他の案件の処理があるために、翌日の夕方になると言われる。
「それまで、どうしろってんだ!」龍介が愚痴をこぼしたのは言うまでもない。

 よりによってこの日は工場が休みであった。平日なら工場で涼めたはずだが、そうもいかない。イライラが募って余計に暑くなる龍介。額から、Tシャツの中から湧き出るように汗が出る。
「これじゃ本読んでる場合じゃない」龍介の手には、一冊の芥川作品があった。そのタイトルは河童。

 龍介は部屋の窓を開けた。外からは芥川が流れている。
「部屋にいるよりも涼しいかもしれんな」龍介は部屋を出て、芥川の河川敷に向かった。ゆるりと流れる川。その流れは比較的近くの山から流れている。「どうせ部屋にいても暑いだけ。久しぶりに渓谷まで行ってみるか」そういうと、龍介は芥川の上流の方に向かって歩き出す。
 工場から山の方に歩くと渓谷がある。少し歩くが十分徒歩圏内。龍介は本を片手に渓谷に向かう。「渓谷の流れを聞きながら、日陰で読書ができるだろう」と考えた。
 渓谷に入る途中、山の入口に茶店がある。ここでかき氷をテイクアウト。そのまま渓谷に向かう。
 茶店から5分もかからないところで渓谷地帯になる。「えっと、あそこいいな」龍介は、ちょうど木の陰に隠れ、すぐ目の前を涼しげな音を立てながら、水の流れがあるところを見つけた。

 龍介は腰を下ろすと、体の中を冷やすためにかき氷を食べる。スプーンに掬った粉々に砕かれた氷の山。そこには赤い色、イチゴ味がしみ込んでいる。龍介は口を開けてそれを食べた。一気に口の中が冷えるが、同時に「いて!」と声を出す。「知覚過敏がすごいな。ちょっと慎重に食べよう」
 誰もいないことをいいことに、龍介は独り言をつぶやきながらかき氷を食べていく。それまで全身から湧き出ていた汗は、氷による冷却効果により、一気に引いてきている。気がつけば口の周りが逆に完全に冷え切った。
 かき氷を食べ終えると、さっそく本を開けてみる。本は後半部分に差し掛かかっていた。最初読み始めは良かったが、しばらくすると少し眠くなってくる。「おい、せっかく来たのに」龍介は首を力強く横に振って、目を覚ますと、再び本を読む。

「良さそうな本を読んでますな」突然耳元に聞こえる声。「え!」龍介は顔を上げるが誰もいない。
「それ面白いですかな」と再び声がした。龍介は気味が悪くなる。「だ 誰?」今度は声のする方に何かがいる。だがそれは見たことのない生物。いや見たことがある。でもそれが実在するなんて思っていない姿の生物だ。

「か、河童!」思わず声を出す龍介。そのように呼ばれた生物はうなづくと「当たり!」とワザとテンション高めの声を出す。
「河童? マジか?」「ああ、そう河童だ。その本、俺たちのことを書いているものですな」「え?」龍介は本の表紙を見る。そうこれは河童というタイトルの本。

「その本の作者、龍之介は俺たち河童の世界にきた。それを書き写したものだ」と、河童は言い出す。
「え、まさか。これは確か冒頭では精神障害を持ったひとが妄想を語っているはずだけど」
「そういうことになっているようですな。だけど、あれは創作の程をしているが、実は龍之介の実体験さ。普通ならだれにも相手にされない体験を、創作にして発表するとは。さすがはあいつ、こちらでは超有名な文豪ですな」

「まさか......」龍介は全く理解不能な状況で頭が混乱する。「とりあえず落ち着こう」龍介は何度も大きく深呼吸。ようやく気持ちが落ち着き、目の前の得体のしれない存在、河童を凝視できた。
「そしたら、お前もここに登場するのか」だが河童は首を横に振る。「いや、残念だが俺は出てないな。あいつが滞在していたときに、ずいぶん関わったが、どうやら俺のことを意図的に抹消したんだろう」

「なぜ?」「さあ、本人でないとわからないが、何かまずいことがあったのかな。ケッケケケ!」と河童は不気味に笑う。
 龍介は肝が据わっている。いくら不思議な状況に身を置いても一度落ち着くと意外に冷静なのだ。「いや、妙だな。だってこの話は、1927年にできたから、もう90年以上前に書かれたもの。芥川龍之介自身もその年に自殺している作家だ」龍介はそう言いながら、手に持っている本のページを開ける。
「この本を読む限り、特段河童が、人間よりはるか長命のようには書いてなかった気がするが、まだ全部読んでないからなあ」

 それに対して興味深そうな表情をしながら河童は答える。「ほう、ここはそんな時空なのか。君のいるこの世界と俺たちの世界は異次元空間だからな。異なる次元ではそれぞれ時間軸も違う」
「次元が違うか......」龍介は即否定しない。そもそも目の前に河童がいること自体異次元だから。
「これは嘘だと思うかもしれないが、俺は昨年、そいつと会っている。そうか、もう90年も未来とは、面白いな。ケッケケケ!」
 この河童は好奇心旺盛なのか、楽しそう。そして龍介もこの不思議な状況を楽しみだす。
「そうか、だったら教えてほしいことがあるんだけど、君たち河童は、両生類、爬虫類それとも人間と同じ哺乳類のどれだ?」
 龍介の質問に首をかしげながら河童は考え込む。「うーん、どうだろうね。まあ、ひとつだけ言えることは、体外受精の技術は、君たちより早かったな。それと」
 ここで河童はどこに持っていたのか、透明な小瓶を取り出した。それを龍介に手渡すように投げる。「これは」受け取った龍介が見ると、瓶の中に入っているのは、白い粉のようだ。
「うま味調味量だ」「えっと?」「アジノモトというそうだな」
「え、味の素を」「そう、龍之介の他に、俺たちの世界に紛れ込んだ人間がいて、そいつに教えてやったんだ」
「その人は、我々の世界に来たあと、ある化学博士に教えたと聞いたな。だけど、その後頭がおかしくなって、そいつは行方不明になったと聞いた」
「芥川龍之介が自殺で、その人が行方不明......」龍介は新たな疑問がわく、偶然なのか。河童の世界に行って戻ってくると。
「なぜ、彼らはその後」といいかけたところで、河童の方が口をはさむ。
「ふっ。それは俺たちの世界を知ったからだらう。だって君たちの世界では、俺たちの世界の有無はもちろん、俺たちそのものも認めないだろう」

「あ、ああ、あくまで河童は伝説上の生き物と言うことで」
「そう。ま、君とこうやって出会ったけど、このことは誰にも言わない方がよいだろう。下手に行ったら頭がおかしくなったといわれるぞ。さてと、そろそろお暇しようか」
 ここで龍介は立ち上がる。
「まて、頼むそちらの世界へ連れて行ってくれ。この本に書いている河童の世界をもっと知りたい!」しかし河童は右手を挙げて「やめておきな。俺たちの世界を知ったら精神が壊れて、やがて龍之介のように自ら命を落とすぞ。じゃあな」と言って水の中に飛び込んだ。
「おい!待ってくれ、じゃあ何で出てきた」「今日の日付を調べてみな」とエコーがかかった声。以降は何も聞こえない。龍介は後を追いかけようとするが、足を滑らせて岩にぶつかり、うつぶせになって倒れた。手に持っていた河童にもらった小瓶は、そのまま川に落としてしまう。

「いてて」龍介が気がつくと、河童の姿はない。岩にぶつかったようだが、思ったほどの衝撃もなく、幸いにけががない。
「不思議な体験だ。夢だろうな?」龍介はおかしな夢を見たと思った。本を読もうとしたが、リアルに河童を見たためか、読む気が起きない。「帰ろう」立ち上がった龍介は家に戻る。

「最後の言葉が気になるな。今日の日付を調べろか。この日は7月24日だけど......」
 龍介は家に戻ると早速日付を調べる。「あっ!」龍介は、絶句した。この日7月24日は河童忌。つまり芥川龍之介が自殺した日であった。

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「うわぁ。今考えでも気味悪い」龍介は、昨日のことだけに、思わず身震いした。そのとき汗が引いていく。暑さが言えて少し寒く感じる思いだ。「ま、しばらくは、あれのこと思い出したら。暑さしのげるか」
 そう言って龍介は苦笑いしながら、窓を開けて外の川を見る。いつもと同じ芥川の流れ。ちょうどこのときは川から心地よい風が吹いてきた。
「あの流れのどこかにか」龍介はいつか、もう一度異次元から来た河童やその世界が見られたなと思うのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 549/1000

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