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円盤は空を飛ぶのか

「最近また感染者が急増しているようですね」「弱ったなあ、また夜は自粛生活か。しばらくこうやってゆっくり飲めなくなるかもな」
 吉井沢制作所の技術者、河原悟は後輩の松村と居酒屋で飲んでいた。

「まあ、嘆いてもどうにかなるものではありません。とりあえず自分たちでできることをやるしか」「そうだな」と言って、悟はつまみの枝豆を口に含む。
 松村はジョッキに入っているビールに口をつける。喉を鳴らしながら入り込む黄金色の液体。口に炭酸特有の刺激が襲う。そして喉にはいっていく液体の代わりに口の中を覆うホップの苦み。松村は飲み始めたときには、苦くてあれだけ嫌いだったビールが、慣れてくるとこんなにおいしいものだったのだと実感する。

「そうだ、少し昔話をしようか?」
 ちょうどそのとき、マスクをした店員がふたりの前に来た。「焼酎芋のお湯割りお代わり」「あ、じゃあ中ジョッキ」とドリンクを注文する。

「あ、河原さんの昔話ですか?」「そうおれが、海外駐在を3年やっただろう」「ええ、僕ちょうど新入社員だった年に行かれたんですね」

「そう、あのときの裏話だ」悟は焼酎のお湯割りに口をつけると、ゆっくりと語り始めた。

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「ということで、しばらく現地に駐在となるがよろしく頼む。わが社の技術がいよいよ世界に向けて飛び立つんだ」
 悟は、社長室を後にすると複雑な気持ちになった。彼の会社は、資本金1000万でパートを含めた従業員が、40名程度の中小企業である。
精密機器の部品を作っている会社で、大手メーカーから依頼を受けた部品を受託開発して納品していた。
 悟は技術者としてある部品製造に携わっている。それは直径が1m近くの大きなお盆のような「円盤」であった。

 円盤を何に使うか? それはある機械の中ほどで回転させて使うものである。ある複数の粉を正確に調合するときに使うもので、計算で決められた粉が上から円盤に落下。そして回転させながら別の粉を同じように落下させる。そうすると大きな円盤の上には、定められた配合通りの粉の小さな山がいくつかできるようになるのだ。
 その粉山を最後に袋に詰める。この機械があるおかげで、わざわざ手で分量を量りながら調合する手間が省けと、業界からは好評を得ている機械であった。

 円盤の部分はとくに重要。細かい傷が少しでもあれば、そこに粉の粒子が入り込んでしまい、正確な粉の量を袋詰めできなくなる。
 また、新たな配合をするときに、前のものが残っていると同様に不正確。
 当然それはあってはならないことなので、河原が扱う円盤は目に見える傷はおろか、肉眼では確認できないわずかな隙もあってはならなかった。
 悟の所属する吉井沢製作所はその円盤をマイクロのさらに下のナノレベルにまで研磨する技術を開発。精度の高い円盤を納品しているのだ。

 そんな円盤は、納品先でもあるメーカーからの評判が大変良くよかったが、ついにそのメーカーが海外に売り込みを開始するという。
シンガポールを皮切りに、中国、ベトナム、マレーシア、そしてインドネシアあたりも視野に入っていた。
そのために、納品しているメーカーより、精密円盤の技術者を現地に常駐させたいと打診。そこで社長は悟を指名したのだ。
 いくら小さな会社とはいえ、管理職でもない河原が直接社長室に呼ばれることは、普通はありないことであった。
 
 それをわざわざ、管理職の上司と共に社長室によばれ、社長直々に命じられることなどめったにない。
河原は断ることもできたかもしれないのだ。
 でも、わざわざ社長から命じられるこんな機会はめったにないからと、その場ですぐに了承した。
 河原は独身で当時は恋人もいなかったから、即断できる要素が高いのも事実である。

「シンガポールか。未知の国だライオンが口から水を出しているだな。ジャングル何だろうか。あと酒飲めるのかな」
 出発までの日々。悟は期待と不安の両方を抱えながら、淡々と準備を続けいていた。

 こうして迎えた出発の日。シンガポールに向かうため、ひとり空港に向かった河原の手荷物の中には、円盤が含まれていた。
 もちろんこれは製品ではなく、原寸を縮尺した模型。現地の担当者たちに説明するための物である。
でも河原はふと心の中で次のことを思った。「この円盤といっしょに日本を旅立ち空を飛ぶ、つまりこれこそが空飛ぶ円盤ということだ」

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「ということだな」「え、それってギャクなんですか?」
「え、ああ、そんなものだ」悟は後輩に全く受けなかったとわかり、焼酎を口にしながらも心がざわつく。

「でもさ、その話を現地のスタッフにしたら。That story is funny.と言ってくれたんだけどな。だめかな」
「それだけですか? そこで何かもっと面白いオチがあるのかなと思ってしまって」
 松村は少しつまらなそうな表情をしてきたばかりのビールを飲んだ。

 悟はしばらく冷たいものを感じてしまう。それからしばらくの間ふたりの間には沈黙が流れたのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 306

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