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食いしん坊のイメージを変える? 第963話・9.14

「ホタルイカ、なんだこの小さいの。こんなものは5つくらい同時に食えるな」そういって肥満男は、小鉢に入っていたホタルイカを飲み込むようにして食べてしまった。
 この男は食いしん坊。自らも意識しているが、食べ物を味わうというよりも飲み込むという方が近いタイプだ。まるで食べ物を餌のように食べてしまうから料理を作る方は嬉しくない。

「もっと味わって食べなよ」食いしん坊の友達は皆そういうが、彼はそれに関しては一切耳を貸さない。
「うるせえんだ。腹が減って食べられるものをガンガン食べる。何が悪い。味なんてわからなくても腹が膨れりゃいいんだよ!」
 食いしん坊はそういうと、大食いを売りにしているコスパの良い食堂に入ると、メガ盛りクラスの料理を勢いよく口に入れていく。
 そういう男だからよくある「30分以内に完食すれば」というようなものにはよく挑戦する。するとよほど条件が悪いものでない限り、ほぼ達成するから、その業界では驚異の目で見られていた。

「さあて、今日は何を食おうか、とにかくコスパの良いもの。量の多いものだ」肥満男は100キロはゆうにあろうかという体をゆっくりと起こす。
 まるで力士のように太ももとだ。それをよく支えられると不思議に思うほどの巨大な寸胴鍋のようなボディ。お腹は常に緩み、少しでも体が動くと上下左右に豪快に動く。まさしく大食いであり、食いしん坊を地で言っているのだ。

 だがそんな男を見つめる一台の車があった。その様子を見ていたのはどこかの資産家の令嬢だ。
「なるほどあの人か、よし、始めなさい」
 令嬢の指示で数人の黒服の男たちが車を出ると、食いしん坊の前に立ちふさがる。「なんじゃい。俺は腹減ってんだ。そこをどけ!」しかし男たちは食いしん坊を囲ったまま。
「邪魔をするな!」食いしん坊は怒りに満ちて、目の前の男にとびかかる。だがその男の運動神経はとてつもなく早く、とても肥満の食いしん坊には追いつかない。逆に腹のあたりに蹴りを入れられてしまう。

「う、ぐぐぐ、いてててえ」肥満男はその場で苦しそうにかがみこむ。「ちょっと、手荒なことはやめなさい!」ここで車から降りてきた令嬢は、部下の男たちを止めた。男たちはその指示に従う。

「お、お前誰?」肥満男が見る。令嬢は笑顔を見せて、「あなたが有名な食いしん坊さんね」という。「お、俺を知っているのか!」肥満男は見たこともない若い令嬢を見て驚く。令嬢は口元を緩め不敵に笑う。
「フフフ、私は超有名なコンツェルンの令嬢よ。ここでは名前を明かせないけど、そのうちわかる。あなたの素性を調べることなんかいとも簡単よ」
 勝ち誇った令嬢の表情は、確かに相当資産を持っていそうなオーラを放つ。

「で、その令嬢さんよ、俺に何の用。俺、腹減ってんだ。食べに行くからどいてくれないか」
「フフフフ、もし飛び切りの御馳走をあなたに食べさせてあげると言ったら?」意外なことを言う令嬢に戸惑う食いしん坊。「ごちそう......いや、.味はどうでもいいんだ。とにかく食いたい。それだけなんだがな」

「それはどうかしら、例のものを」令嬢の一言で、黒服の男の一人が車に戻ると、あるものを持ってきた。
「どう、これを食べてみる?」男が持ってきたものは大きなおにぎりだ。
「おにぎりか、いいのか、貰って食べても」「もちろん!」令嬢は笑顔で了承すると、男は食いしん坊におにぎりを手渡す。食いしん坊はいつものように大きな口を開けるとそのおにぎりを一口で飲み込む。ここまでは良かった。そこから口の中に入れたおにぎりを噛みだしたとき、食いしん坊の表情が一瞬にして変わる。

「うん、うん、ううう」最初は口にものが入っているために何を言っているのかわからない。だが表情を見ると本当に美味なものを食べる時の感動を表している。しばらくしておにぎりを食べ終わった食いしん坊。そのあとの表情も感動に満ちたもの。
「こ、こんなうまいおにぎり初めてだ。な、なんでこんなに!」驚きの表情を見せる食いしん坊。令嬢は相変わらず勝ち誇った表情を崩さない。

「フフフフ!どう、わかったでしょう。本当においしいものはどういうものか」「おい、もっとくれ、これを食べたい!」食いしん坊は、すがるように令嬢の前に来た。
「いいわ、ただし条件があるの」「条件、いいよ。何でも聞く。これもっと食べたい。こんなおいしいおにぎり初めてだ」
 食いしん坊が令嬢と会う前とは思えないほど、おいしかったおにぎりにただ感動している。それを見た令嬢は笑顔を絶やさないまま。

「1か月ほど私に付き合ってもらいます。もちろんおいしいものをどんどん食べてもらうわ。いろいろな条件付きでね」
 こうして食いしん坊は、そのまま令嬢の乗っていた車に乗り込んだ。

ーーーーーー

「まあ、見違えるほど変わりましたね」
 1か月後、令嬢とともに令嬢の屋敷内で生活していた食いしん坊は見事に体重を落としている。令嬢は食いしん坊のイメージを変えようと、ダイエットをさせていた。ダイエットをしながら本当においしいものを少量だけ食べる。食いしん坊はとにかくおいしいものが食べたいから、令嬢の指示に従ったら、あっという間に半分近くの体重を落とし、スマートな男性に代わっていた。

「ありがとう、俺、こんなに素敵な生活送れるとは思わなかったんです。世界の美食を毎日食べられて、量ではなく質の大切さを知りました」
 食いしん坊はそう言って頭を下げる。それまでは手でわしづかみにして食べるようなことも厭わない食いしん坊は、すでにテーブルマナーまで身に着けていた。

「そう、良かったわ。さてと、どうする。今日で約束の1か月がたちました。後はあなたの自由にしていただいて結構です。そのときには車であなたの家まで送りましょう」
 令嬢の言葉に、もし1か月前の食いしん坊なら自由を選んだだろう。だが違った。「もちろん、このままおそばに」「わかりました。ではいいでしょう。それなら付いてきなさい」令嬢に言われ、その後ろを食いしん坊は従った。

 ちなみに令嬢は別に食いしん坊に恋愛などの感情はなく、うわさに聞いた大食いの食いしん坊の気持ちを変えることができるかという実験をしていただけだった。
 だが、食いしん坊が引き続き居続けたいというので、「それならば」と、召使のひとりとして雇うことにしたのだ。


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