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異次元への道 第912話・7.25

「描ける、描けるわ!」戸画朱(とがしゅ)というペンネームで活動している女性の画家は、長く構想を練りながら、中々筆が進まなかったテーマ「異空間」について、ようやく描けると胸を張る。

 戸画朱は自分でテーマを決めて、絵を描く画家。超一流とまではいけないが、少なくとも絵で食べられるほどの画力をもつ。もちろん、定期的に近所のギャラリーで個展を開いているのだ。
 たいていの場合、テーマが固まると自然に創作のヒントが湧いてくるからあっという間に筆が動かせた。だが今回のテーマ「異空間」はどうもうまくいかない。それもそうだろう。このテーマは戸画朱が決めたのではなく、戸画朱の絵のファンからのリクエストだったからだ。

「先生の絵を見ながらこのテーマが浮かびました。よろしくお願いします」
 このように戸画朱に依頼してきたのはとある資産家。ファンというよりパトロンのようなものかもしれない。戸画朱の絵を相当気に入ってくれるのか多くの絵を買ってくれる。戸画朱にはこの人とは別に絵を買ってくれるパトロンはいるが、この人ほどではない。

「あの方の依頼であれば断れない」戸画朱は、アトリエの前に立ち、テーマに合う絵が描けないが模索した。だが、1週間たとうが2週間たとうがどうも筆が進まない。「異空間」という言葉だと、いつも見える空間の風景とは異なるという意味だから、一見自由に描けそうなもの。ところが自由に描けるがゆえに、戸画朱にとっては難問になってしまった。「浮かばない、かといってあの方の依頼だけは......」

 戸画朱にとって当初はすぐにできると思い込んだ。通常なら1週間、集中できれば3日で画ける。それでも念のために余裕をもって1ヶ月の納期を先方に提示していた。とはいえここまで描けないとなれば、いよいよピンチ。納期まであと1週間に迫っていた。

「クソっ、どうすりゃいいのさ。あああ」苛立つ戸画朱は、創作中はめったに口にすることのないアルコールにまで手を出した。ペンネームに「朱」の字を入れている戸画朱は、朱色が好きである。そのためかもっと色合いが近そうなものとして、赤ワインを近所のワインショップから購入。アトリエに持ち込むと、ひとりでワインの晩酌を始めた。

「酔った勢いで、描けるかもしれない」戸画朱の頭の中では、酔えば、今筆が進まない、何らかの抑止力が解除できると考えた。ワインの2・3杯を飲めば描けるだろうと思ったが、やはりできない。代わりに酔いが回ってくる。回ってきたときに、筆を手にしてみた。すでにいつでも描けるように絵の具の準備も万端。「描くぞ!異空間!!」ほかには誰もいない静かなアトリエに、戸画朱の声が響き渡った。

 だがやはり描けない。浮かばない状況に戸画朱は焦る。ついついワインをがぶ飲みした。気が付いたらワインを一本開けている。さらにもう一本のワインボトルに手をかけた。「なぜ、なぜよ」戸画朱は気ばかり焦っていたが、さすがにボトル2本目のワインを開けてしばらくすると頭が回りだす。
「ち、ちょっと、飲み過ぎた」戸画朱が気付いた時にはもう遅い。回転した風景をしばらく見たと思えば、目の前が真っ暗になり......。


 どのくらい経ったのか、少し頭が痛いものの戸画朱は目を覚ます。「ふう、なんだ夢だったのか」戸画朱は目の前に置かれていた。アトリエに放置された空のワインボトル2本を見ながら、また頭が痛くなる。慌てて水を飲んだ。
 戸画朱はワインの飲み過ぎに酔っ払って眠ったが、そのときに夢を見た。その夢は今でも鮮明に覚えている。どんな夢かといえば目の前がとにかく歪んていた。 
 恐らくワインで酔ったからだと思うが、夢の中でも酔っていたのだろう。だがこの酔った空間が、戸画朱にとって明確なヒントとなった。
「あの空間、そうあの歪みよ。うん、描ける。う、イテテ」頭を押さえながらも戸画朱は、筆を執った。そこから絵具を無意識に色を選び、描き始める。酔ったがゆえにできた歪んだ空間を書いていく。戸画朱の夢の記憶は二日酔いの頭の痛みが影響したのか、消えることがない。

 描き始めて3日後、ようやく最後の筆を描き終える。「できた、できたわ」体中を絵具で汚しながら戸画朱は喜んだ。「異空間というより、このタイトルなら異次元への道ね。テーマは合っているからいいわ。よし、今から連絡しなきゃ」

ーーーーーーーー

 あれから数日後、戸画朱はアトリエから空港に向かっている。絵を描くときにはノーメイクなのはもちろん、服装も髪すらも全く気にせずにその世界に没頭。だが今日は少し遠方に外出するために、服装に気を使い、メイクも髪もバッチリと決めていて、アクセサリーもつけている。
「さて、いよいよ『異空間への道』のお披露目よ」戸画朱が向かうのは依頼主の邸宅であった。アトリエからは遠いので飛行機に乗る。すでに作品は絵画を扱う貨物業者に委ねていた。ちょうどその荷物が到着するタイミングで、戸画朱も邸宅に到着する。そして依頼主の前で、戸画朱自らが披露するのだ。

「あのひとは、本当に予算の心配なしに私のために投資してくれる。絶対に喜んでくれると思うわ」
 空港に向かうエアポートバスから、空港ターミナルが見えてきた。戸画朱は、ここで大きく深呼吸。バスを降りる準備をするのだった。


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