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能登のビーチドライブ

「ほう、これかあ。本当に砂浜の上から走れるんだな」「今回はこれが一番の楽しみで。だって日本でここだけですからね」
 助手席の敦夫は重低音が混じった野太い声で一言つぶやくと、運転席にいる正樹は少し高めの声で返事した。

 今日車を運転しているのは5歳年下の正樹。このふたりはバイト先で知り合ったゲイのカップルである。
 今回はふたりともいつも以上にテンションが高い。なぜならばカミングアウトして初めての宿泊を兼ねた旅行。今までと違う。今回はふたりだけのとき。思いっきり愛を確かめられるのだ。

 車でふたりが向かったのは石川県の能登半島。今回は2泊3日というスケジュールでのドライブ旅行である。能登半島を一周するプランで、このときすでに最終日を迎えていた。
「ここ千里浜なぎさドライブウェイは、日本で唯一砂浜を車で走れるんです。敦夫さんと一度ドライブして見たかったのです」

 正樹は嬉しそうに車のハンドルを握る。全長8キロメートルのドライブウェイは速度こそ落とさなければならない。だがそもそもこの異次元体験は出来るだけ長くいたいもの。
 砂浜の道路上に道路標識が立っているのもシュールだ。正樹は能登半島一周をしてきたので、左手に海を眺めながらのドライブ。
 思わず窓を開ける。海からの汐風が瞬く間に運転席の正樹。そして助手席の敦夫の肌を直撃する。
「今回本当に楽しかったね」正樹は今回の行程を振り返った。

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 最初は富山側から入り、高岡、氷見市を越えて石川県に入った。そして七尾湾の目の前に広がる和倉温泉で1泊する。
「おう、和倉温泉な。特に外湯の総湯。あそこは気持ちよかった」敦夫は汐風を感じながら、2日前の記憶を思い出す。
「他のお客さんがいたから、あそこでは大人しくしたけど。ホテルではふたりだけでゆっくりと」正樹は嬉しそうに語る。それを見た敦夫は微笑む。

 翌日は、能登島に行き午前中は『のとじま水族館』に立ち寄った。その後は半島に戻って一気に北上。最も端にある珠洲岬に到着したのは午後3時頃であった。「青の洞窟は本当に奇麗であんな幻想的なブルーの風景が」「それも能登半島の先端っていうんだから大したものだ」

 そのまま夕日を眺めながら西側の海岸を南下。輪島市内のホテルで2泊目を迎えた。

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「お、見ろよ。観光バスもこの砂浜走るのか?」敦夫が驚くのは無理もない。観光バスの数台の車列が前から走ってくる。
「敦夫さん、これ撮っておいたほうが」「そうだな」敦夫はスマホを取り出し助手席の窓を開ける。すると海からの汐風が通り抜けられるとばかりにより強く車内を吹き抜けた。敦夫は真剣にスマホを構え、バスが行きかう直前に撮影した。撮影の直後バス側からの強い風が、エンジン音と共に車内に入ってくる。

「おい、結構スリルあるな! 近づきすぎだぞ」
「ごめんなさい普通の道路と違って距離感がつかみにくいんです」正樹は言い訳しながら、ハンドルをいつも以上にしっかり握る。


「おい正樹、あそこに立ち寄ろうか」「あ、ぜひ行きましょう」敦夫が見つけたのは浜茶屋である。「3月頃から10月頃の間に開店している貝料理店。ここか」正樹はこのドライブ旅行を計画している際、実はここに来る気満々であった。
 道から外れたところに車を止められるスペースがある。そこに車を止めて、砂浜が乾いたところを歩く。数軒の屋台風の店が並んでいるうちの一軒に入った。
 中はカウンターだけの簡易的な小屋であるが、しっかりと外との間を締め切っている。これなら汐風の影響を受けなさそうだ。
「よし、俺の好きなの選んでいいか」正樹は頷く。敦夫は数種類の貝を注文。指定された貝が網の上に乗る。しばらく閉じていた貝であったが、少しずつ貝殻の接続部から泡のようなものを吹いていた。そしてあるタイミングで順次口が開いていく。
 そして皿に盛られてふたりの目の前に出された。ここで湯気がゆったりと立ち込める貝の中身を割り箸で引っ張るようにつまみ出し、そのまま口に入れる。「うん、うん、旨い。いいなあ。ビール欲しいけど我慢だ」敦夫は運転手の正樹に気を使った。

「でも、輪島の朝市とかとまた違いますね」「ああそうだな。今朝行った輪島の朝市な」
 ふたりは3日目になる今日最初に輪島の朝市を見学。そのあとホテルをチェックアウトして能登半島を南下した。「今日はやっぱり巌門が良かったですね。「おう豪快な岩だったなあ。遊覧船にも乗れたし良かった。あとあそこだ、世界一長いベンチとかいう」
「ああ、460メートルあるらしいですね。でも僕たちはあんなに長いより」「わかってる。短いほうだよな」
「うん」ふたりは目の前の店員の存在を忘れて秘かに近づいた。

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「あ、ちょうど夕日ですよ。敦夫さん」店を出ると目の前に広がる砂浜を指さす正樹。「おお! いい時間に来たなあ」
「やっぱり海で見る夕日は格別ですね」ふたりは徐々に空の色が茜色に代わり、ようやく凝視できるまで光が落ち着いてきている夕日を静かに眺めた。 
 そして無意識に手を繋いでいる。

夕日

「さて、ああ夕日見てたらもうこんな時間。今から帰ったら夜中確実ですね」「そうだな」
「確か明日ふたりとも休みですよね」「ああ、そうだが?」
 正樹は思い切って思ったことを口にする。「敦夫さん途中でもう一泊しません」「え! でもこれレンタカーだろ。早く返さなくてはダメだろう」
 ところが正樹は嬉しそうに首を横に振る。
「一応余裕をもって明日の夕方まで借りています。だからもう一泊大丈夫」

「そっか、さすがだな。じゃあもう一泊しよう。どこにする」「それは敦夫さんにお任せです」と言いながら、嬉しそうに車に向かって歩き出す正樹だった。



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シリーズ 日々掌編短編小説 476/1000

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