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文鳥とのお出かけ 第640話・10.24

「さあ、いよいよお出かけよ。 ルイ!」玲子は、ルイと名付けた文鳥をキャリーケースの中に入れた。

 ルイとは玲子が片思いだったフランス人男性の名前。彼は熊本市内に住んでいる玲子が通っていたフランス語学校の講師であったが、いつしかプライベートでも仲良くなった。玲子はルイが気になる男性であったが、残念ながらルイは玲子に対してそういう意識ではないように見える。
「君は本当に優しい。でも僕はもう来月リヨンに帰ることになった。日本で君と出会った思い出は忘れないよ」
 そう言われたのが半年前。ルイはトリコロールの国に帰ってしまった。結局玲子は想いを伝えることもできずに別れることとなる。ただルイは飼っていた文鳥を玲子にプレゼントしてくれた。
 忘れたくても忘れられないルイの面影、玲子はその記憶を残したい一心で、真っ白いボディーでくちばしが赤い文鳥にルイと名付けた。当の文鳥はそのことを理解しているかどうかわからないが、半年たった今では玲子になついてくれている。

 そして玲子はルイを引き取ってから宿泊を兼ねたお出かけを決意した。目的地は熊本の天草である。なぜ天草に行こうとしたのか、もちろん文鳥であるルイと旅をするのだから移動範囲が限られているというのもあった。だがそれ以上に、かつてフランス語講師のほうのルイがいつも「天草のあたりが気になる」と言っていたのを思い出す。彼は敬虔なカトリック教徒で日曜日になれば熊本の教会に通っていた。だから古い日本のキリスト教とのかかわりがある天草が気になるようである。ちなみに玲子はクリスチャンでも何でもないが、ルイへのあこがれから、教会にもついていったのだ。

 結局人間のルイはフランスに帰ってしまったが、文鳥のルイは健在。そこで玲子はいっしょに天草にドライブしようと考えてみた。「文鳥は繊細な生き物、この日のためにずいぶん勉強したわ」
 臆病な鳥でもある文鳥と旅をするということは簡単なことではなかった。そもそもキャリーケースは、文鳥が普段生活する籠と比べると小さい。そういう場所に半ば強制的に入れられること自体が、ストレスだと知った。そのほか移動中はできるだけ揺れないようにすることも大切だし、キャリーケースの入っているバッグには余計なものを入れないようにするなど、推挙にいとまがない。
「市内30分のお出かけからスタートしてもう10回目。ついに念願の長距離ドライブか。本当はもうひとり誰かいた方が安心だけど、いないものは仕方がない。大丈夫ね。ルイは慣れたし元気な仔だから」
 助手席にキャリーの入ったバッグを固定し、ルイへの精神的な負担をできるだけやわらげるためにゆっくり安全運転を心がける玲子。熊本市内から南下し、やがて宇土市に入ると進路を西に取る。有明海の南側の道を進みまず目指したのは三角の地。
「意外に初めてなのよね、天草って。こんなに近かったのに、あの人と行けばよかったわ」

 玲子は頭の中でいろいろ思いめぐらせながら、三角駅の手前にある天草への入り口に向かう。ここにはバイパス道路の三角大矢野道路があるが、玲子は急ぎでもなく、またルイへの想いと隣でついてきたルイのことを考え、ゆっくりと古くからの一般道天草パールラインを走る。こうして入り口にある1号橋こと天門橋を渡り天草に入った。
「ルイのことが心配だわ」出発してから一度も休憩していない玲子は、橋を渡ったすぐのところにある天門橋展望所で車を駐車。
「ここきれいな風景ね。新旧の橋が両方見えるわ」玲子はふたつの橋を撮影後、助手席にいる文鳥・ルイの様子を見る。驚かないようにルイのキャリーには、外からの光を見えないようにしていたので、ゆっくりと開けた。ルイはそれほどおびえることなく、玲子を顔を見ると嬉しそうなそぶりを見せる。

「良かったわ。旅を続けられる」玲子は安心し再びハンドルを握った。九州本土から大矢野島に来た車はそのまま先に進む。小さな永浦島にかかる2号橋を渡ると、さらに小さな大池島にかかる3号橋、そのまま池島を越えると次は4号橋だ。この間、玲子はゆっくりとした速度で走りながら、前島に到着。天草五橋最後の5号橋を越えると、ついに大きな天草上島に入った。そして玲子はとりあえずわたってきた天草の橋のいくつかが見える千巌山展望所駐車場に向かう。

「さ、ついたわ。ルイは、あ、大丈夫ね」玲子は安どの表情になって、展望所からの眺めを確認する。スマホで撮影を終えるとここでメッセージの着信があった。「誰、え? ルイ。まさか!」メッセージの相手はリヨンに帰ったルイ。写真付きのメッセージだが、その画像がとてもフランスらしくない。
さらに「日本に戻ってきた、今、念願の天草に来ました」と書いているではないか?「ちょっと、え! 何で天草に。私も天草よ」慌てて返信をする玲子。これにはルイも驚いている。その後のやり取りでルイは、この先にある天草下島の町中の祇園橋にいることが分かった。
「今からすぐに行く!待ってて」玲子は慌ててメッセージを入れる。そして車を動かした。

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「あ、ルイ!」玲子は祗園橋で待っていた金髪の紳士ルイと再会した。「びっくりした、君も天草にいたとは」「もう!ひとこと言ってくれればよかったのに」うれしさと怒りが混ざったような玲子の言葉。
「ゴメン。驚かそうと思ったんだ。リヨンに戻ったけど、僕はやっぱり日本の熊本が好きだ。それに玲子がいるから」と言う。玲子は一度は逃した想いを今こそ伝えたいと思った。しかしその前に、ルイに説明する。
「あの、あの仔も一緒なの」「アノコ?」「あ、もらった文鳥。でもルイって名付けちゃったの」そう言って玲子は笑顔のまま軽く舌を出した。

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シリーズ 日々掌編短編小説 640/1000

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