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食べてみたくなった寒天の味

「お帰りなさい」「どうしたんだ。また何か気合が入っているが」
 霜月秋夫が、定時で仕事終えて家に戻ると、妻のもみじがいつも以上に張り切っていた。
「これ『広告の品』だったの!」「ほう、寒天か」秋夫はもみじが手にしている寒天のパッケージを興味深く見る。
「何かね。今日2月16日が寒天の日だからって特売だったのよ」「それで買ったのか」「うん」もみじの返事は軽快だ。

「そうか、寒天だとどうしてもあいつを思い出すな」「あいつって?」
「ああ会社の同僚だよ。男で独身だけど、よく寒天でゼリーを作るのにこだわってやがるんだ。よくわからんが、ゼラチンをやけに憎んでいたな」

「へえ、そんな人いるんだ」もみじはあまり興味がなさそうで、寒天のパッケージを開けて中身を確認している。
「そいつが自慢げに寒天の由来を語るんだ。ったくもう何度同じ話聞かされたか」顔の表情は不満そうな明夫であるが、このあとその同僚同様に語り出す。
「昔、ある人が余ったトコロテンを家の外に捨てた。それは一旦凍結したが、日中の日差しで溶けてしまう。さらに数日たったら乾燥して乾物になっていたのを見つけた。
『これ気になるな? 溶かしてみよう』とそれをお湯で溶解してみたところ、従来のトコロテンよりも美しい透明の色合いで、かつ海藻臭さがない。
 これを萬福寺にいた隠元(いんげん)禅師に試食してもらうと
『これは精進料理の食材になるぞ』といって、その場で隠元が寒天と名付けたんだってさ」

「いんげん! それあったかも」突然何かを思い出したかのように、もみじはキッチンに小走りに向かって冷蔵庫を開ける。ゆっくりと秋夫がキッチンに向かうと、もみじは必死に冷蔵庫を漁っていた。

「いんげんを探しているのか」「うん、でも私勘違いしていた。いんげんじゃなくて枝豆だった」「もしかして寒天の中にいんげんを!」
 明夫の問いに大きくうなずくもみじ。
「相変わらず単純だ。ん? 枝豆があるならあれで行こう」「何? あれって」
「『ずんだ』だよ。寒天の中にずんだを入れて、ずんだ羊羹を作ろう。まず寒天戻しといて」

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 食べることが好きな秋夫は、そうと決まれば気合が入る。もみじと共にエプロン姿でキッチンの中。ぬるま湯に寒天を戻しているあいだ、枝豆のさやから豆を取り出していく地味な作業を始める。そのほかもろもろのことをやっていると、大体1時間くらいが経過した。

「フードプロセッサー。思い切ってこの前のボーナスで買って置いてよかったわね」もみじはフードプロセッサーを取り出すと、取り出された枝豆を入れる。そしてフードプロセッサーの電源を入れた。
 中に入っている刃はその瞬間、張り裂けそうな高い音を出しながらプロペラの様に高速回転。枝豆の原型が砕かれて完全に失ってしまう。気が付けば、緑の粘りある半液状になっている。つまり「ずんだ」が出来上がった。

「そしたら寒天を」「ああ、溶かしておいてくれ」水で十分に戻された寒天を取りだして水を十分に切った。それを鍋の中に入れて煮溶けさせる。
「あれ、ずんだを!」「そりゃそうだよ。ずんだの温度と溶けた寒天の温度に差があると、寒天が急に熱を奪われるんだ。ずんだがうまく馴染まないうちに固まっちまう。それはそれでアートになるかもだけどな」
と言いながら、秋夫はずんだを電子レンジに入れて十分に温める。

 やがて弱火で煮溶かした寒天に、同じくらい高熱状態になったずんだを放り込む。そしてかき混ぜていき、混ざり具合を確認して火を止めた。
「あ、砂糖入れるの忘れちゃったんじゃ?」秋夫のつぶやき。
「え、甘くない羊羹できちゃうの」「このままだとそうなるな」
「でも砂糖解けるの今からじゃ多分間にあわない。あ!」もみじは慌てて戸棚から封を切っていないハチミツを取りだした。
「ハチミツか」「これなら間に合うかしら」
 即座に封を切り、鍋に黄金色の粘りある液体が入り込んでいく。それを慌ててかき混ぜる。幸いなことに間に合った様子。

「さて容器ね」もみじは娘の楓の分と併せて3つの容器を取り出した。
「ちょっとまって」「え!」「容器は水で濡らしたほうがいい。そうすれば剥がれやすい」と秋夫。「それ誰に教えてもらったんだろう」と、首をかしげながらも、もみじは従った。

 こうして容器に入ったずんだ入り寒天で作った羊羹を冷蔵庫に入れて冷やす。

「今日は間に合わないな」「明日の朝ね。さて遅くなった。今から夕食」
「おい、急にそんなこと言うな。腹減ったよ。今からじゃどのくらい」心配そうな秋夫が、両手でお腹を抑えるが、もみじは余裕の笑顔。
「大丈夫。寒天の横に置いてあった、見切り品の安いレトルトカレー買ってきたから、すぐできるわ」

ーーーー
 翌日。心なしかいつもより30分早く起きた秋夫。それはもみじも同じである。「さ、手作りずんだ羊羹楽しみね」
 冷蔵庫から取り出し、器を皿の上にひっくり返すと、鮮やかなずんだの緑色をした羊羹が取りだされた。
「頂きまーす」いつもより元気な秋夫は、さっそく羊羹を口元に持っていく。
 そのまま躊躇なく口の中に入れる、口当たりは一般的な羊羹よりも水分が多めなのか水ようかんに近い。幼い娘がいるからそれは織り込み済み。
 その後口の中で舞うように羊羹の破片を舌で動かしながらハチミツ由来の甘味をかみしめる。やがてずんだの味が染みてきた。
 秋夫は手作りということもあり、目をつぶって噛み締めるように味わう。そのまま軽く顔を突き上げて首を伸ばす。

 それからゆっくりと喉の奥に向かって羊羹を流し込む。同時に唾液を飲み込んだのか? 喉ぼとけが動いた気がする。羊羹は喉を通過し無事に胃袋に到達。その直後、軽くうなづいた。
「我ながら、見事だ」と口を緩める。それを見て安心したもみじ。すぐにずんだ羊羹を食べた。「うん、おいしい! 昨日頑張って良かったわ」とうれしそうである。

「楓、起きて! ごはんよ」もみじが席を立ち、もみじの寝ている部屋に向かう。しばらくするともみじに付き添われるように、目をこすりながら3歳の楓が姿を見せた。
 楓は椅子に座って目の前にある、小さな器に入ったままのずんだ羊羹を目を見開いて眺める。見慣れないものということもあり、スプーンを手にはするが、ずんだ羊羹を警戒するように、それ以上手を動かさない。
「楓、大丈夫よ。ほら、お父さん見て。もうほとんど食べてるから」確かに秋夫の食べる速度はすさまじく、あとひとくちで空になる勢いだ。

 それを見て、安心したのかゆっくりと頷いた楓は、ようやくスプーンをずんだ羊羹に向けて差し込む。そしてゆっくりと口に含んだ。それから小さな口を上下させて食べる楓の表情は、何か哲学的な考えごとをしているかのようである。
 楓の両親は、その後の彼女の動きが気になって仕方がない。しかし直後に安堵の表情になった。楓はそのまま再度スプーンを羊羹に持っていき、二口三口と食べたからである。


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シリーズ 日々掌編短編小説 392

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