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郵便局員に継がれる万年筆

「ねえ、知ってる。今日2月8日ってって〒マークの日なんだよ」「へえ、おまえ何でも知ってるなぁ。ていうか郵便局でその話をするか!」
 と仲の良い若いカップルが、町はずれにある小さな郵便局で用事を済ませると楽しそうに出て行った。

「〒マークの日か。そう言えばそんな日があると聞いたような」この郵便局に配属されてからまだ経験が薄い福山龍平は、そんなカップルの後姿を窓口越しに見ながら、聞こえないように小さくため息をつく。
「福山君、〒マークは1887年の今日、当時の逓信(ていしん)省の時代に決まったの」と客が局内にいなくなったことを良いことに、龍平に話しかけてきたのは、やや肥満体質である女性郵便局長の篠原。
 正式には無集配局という窓口業務だけの小さな郵便局は、篠原局長をはじめ龍平を含めて10名程度の局員で受け持っている。

「逓信から丁の文字を当てようとしたのに、実は万国共通で郵便料金不測の『T』を使ってることがわかったの。それで間際らしいからと、6日後にカタカナの「テ」を慌てて図案化したんだそうよ」
「でも局長。こんな大きな組織で、そんな間違するなんて笑っていいのでしょうか?」新人ということもあり、まじめに質問をする龍平。
「フフフフ、まあ今のようなデジタルの時代じゃないから、最初は気づかなかったんでしょうね」終始にこやかな表情の篠原。しばらく龍平のほうを見ていたが、数秒後には龍平の手のあたりを注目。

「あれ、福山君のそれ?」「あ、これですか。万年筆です」「へえ、若いのに万年筆もっているの! 私も持っていないのに。でもいまどき万年筆って中々カッコいいわね」
「あ、はい。もう7・8年くらい愛用しています!」龍平は元気に答えた。
「やっぱりお父様からの」「いえ、違うんです」「じゃあ誰、まさか彼女とか?」まだ交際相手のいない龍平は慌てて否定する。
「ち、違います。これは高校受験でお世話になった、学習塾の塾頭からです!」とやや早口で答えた。

「塾頭?」意外な名前を聞いて目を見開く篠原。
「はい、そうなんです。高校合格のお祝いに」
 そんな質問に答えていると、龍平は当時中学生の時のことが記憶の片隅から湧き出てくる。

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「うん、因数分解ようやく理解できたようだな。次は理科に行こうか。原子のあたりはちゃんと覚えたか?」これは塾頭の声。
 龍平は中学生のときの三年間。親の勧めで塾に通っていた。でもそこは、いわゆる進学塾などではない。
 親子で塾を経営している小さな学習塾。もちろん高校受験のための勉強を教える。メインはふたりの子講師だが、たまに親である塾頭が担当するときがあった。ネクタイをしない白いシャツを着て少し鄙びた茶色いスーツ姿。そして頭頂部の禿げた部分を長い前髪を後ろに流して隠している。年齢はおよそ60歳代と思われる塾頭。

 彼が担当するときは通常の勉強に加え、大人の人間として生きるあり方のようなことを教えることがあった。
 もちろん、特定の政治思想や宗教のような話題は一切言わない。言えば大問題必定。そこは理解していたのだろう。
 中学1年から3年間通っていた龍平。当初は非常に嫌であったが、半年ほどで慣れてる。家族的な雰囲気の元、少人数のマンツーマンに近い指導が功を奏した。苦手な教科もどんどん克服することができていく。

 そんな塾頭が、塾の小テストを添削する際にいつも使っていたのが、黒い万年筆。朱色のインクを使い、マルやバツ、補足事項を書き上げる。他の子講師はボールペンを使う。そして塾頭の万年筆の筆跡には、中学生が見ても感じる不思議な味わいがあるのだ。
「インクの滲み方も独特だったなあ」いつしか龍平は、そんな塾頭の万年筆に強いあこがれを感じていた。

 こうして高校受験を迎える。進学塾とは違った指導方法は龍平には最適だったよう。結果的に志望して合格できた高校は、公立の中でも上位クラス。
「塾頭先生!僕、無事に合格出来ました」龍平は合格通知を聞いて真っ先に塾頭に報告に行く。
「おお福山。よく頑張った。おめでとう。その高校に進学したのは、我が塾始まって以来、君が初めてだな」いつもにも増して笑顔で皺が目立つ、塾長の表情が印象的。
「あ、そうだ。合格のお祝いとしてこれを君に上げよう」塾頭はそう言うと胸ポケットにつけていた万年筆を取り出すと、そのまま龍平に手渡す。

「え、これは添削用の?」「うん、君がいつもこの万年筆を見ていたの知ってたから。まあ新しいものが本当は良いが、これは年季が入ってまだまだ使えるぞ」
 こうして塾頭から万年筆を受け取った龍平。「ありがとうございます」と頭を下げると、そのまま塾を後に。途中で黒のインクを手に入れると、家に帰ってからさっそく万年筆で字を書いて見た。

「最初はインクが滲んでばかりで、字というよりインクの文様が目立ったけど。今では下手なボールペンよりもずっと書きやすい」
 以来龍平は、特に必要な筆記具やパソコンなどで入力する必要があるとき以外、メモを取るときは基本的にこの万年筆を多用している。

 そして今日も窓口業務を行いながら、メモを取るときに万年筆を使う。

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「あ、局長」この日龍平はもうひとつのことを思い出した。夕方の終業の時間になると、局長のデスクの前に向かう。

「あ、福山君、お疲れ様、どうしたの?」「あの、さっきの話ですこの万年筆」「ああ、それが?」
「頂いたときに、塾頭が言ったことを思い出しました。この万年筆は塾頭のお父様が郵便局で勤めていた人だったらしく、そこで使っていたそうです」

 そうなるとさらに数十年前のものとなる。だがこの万年筆が、本当に塾頭の父からのものかどうかなど、今となってはわからない。そもそもそんな大切なものを手放すとはとても思えないのだ。
 だが少なくとも塾頭からもらったのは確かで、今でも大切な黒い万年筆。
 書くのに全く違和感ない。デジタル文書が当たり前の時代においても、手放せないのは事実。本当は後付けのエピソードはどうでも良いのだ。

 それでも『郵便局繋がり』に不思議な縁を感じた龍平は、どうしても局長の篠原に話しておきたかった。
 それを聞いた篠原は、再び嬉しそうに笑顔。「まあ、素敵な話。途中は違うところに行ってた万年筆が、かつての職場・郵便局に戻ってきたのね。郵便局に継がれる万年筆。大切にしなさいね」本当に嬉しそうな局長を前に、龍平も思わず笑みがこぼれるのだった。


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