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タイの食堂から見える月光

こちらのパラレルワールド??

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「へえ!こんな地方の町にも日本人観光客がいるのね。マーケットであんな大声出してすぐに分かったわ。それもバッグがひったくられただって。まったく海外で油断し過ぎよ」

 2019年秋、ここはタイの中部にあるタークという町。スコータイ遺跡やミャンマーとの国境にも近い。この地方都市いるのは明子である。明子はひとりで東南アジアを何度か旅しているので、マーケットで聞こえたような無様なことはない。外見は油断しているように見えるが、実はまったくスキが無いのだ。

「そんなことより、素敵な夕日だわ。アマタさんの町って思ったより素敵ね」「あ、ありがとう。そういって頂けてうれしいです」

 そして決定的な違いがある。明子には現地在住のタイの友達がいた。彼の名はアマタという。仕事はバスのドライバー。タークを拠点に西にあるスコータイ、南にあるカンペンペッ、また東にあるミャンマー国境の町メーサイに行くバスを運転する。いずれも1・2時間で行ける短距離のドライバー。また大学時代に日本語を学んだことがあり、日本語もほとんど違和感なくしゃべられた。だから彼は空いた時間を使って、近所の子供たちに日本語を教えているのだ。

「僕は、バンコクの大学を出て大企業に就職しました、でも人が多くてあわただしい大都会より、故郷であるこの町が好き。この夕日が好きだから戻ってきました。父と同じ仕事、バスのドライバーをしながら大学で得た知識は地元の子供たちのために使っています」そういいながらアマタは胸を張った。

「さて、そろそろいきましょうか。アマタさんおすすめの食堂」

 ツイッターを通じて知り合ったというふたり。明子は明日彼の運転するバスでミャンマーへの陸路国境を考えている。せっかくタークで宿泊するからとアマタと連絡を取り合い、現地のローカルレストランで夕食を取ることにした。アマタには妻がいる。そして夜の食堂で合流することになっていた。そういう意味においても明子は安心している。
「あんまりきれいではないですけど、大丈夫ですか」「大丈夫よ。私はそういうローカルなお店の方が好きだから」心配そうなアマタをよそに、明子は笑顔で応じた。

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 夕日の見える所から、マーケットの中に入り、屋台の食べ物をいくつか確認した。それからはしばらく川と並行した道を歩く。やがて曲がり角。そこに小さな道があって入っていく。しかし照明があるから意外にも明るい道だ。しばらく歩くと少し広い道に出る。そこを曲がってさらに数分歩く。
「明子さん、ここです」と案内されたのは、オープンなスペースにある食堂。背もたれが付いた、赤や青色のプラスチックの椅子が並んでいるようなところだ。

 すると、テーブルの真ん中あたりで手を振る女性がいる。彼女がアマタの奥さんだ。明子は手を振り「サワディカー」と挨拶を交わす。そしてそのまま真ん中のテーブルで腰を掛けた。

 アマタは日本語に全く問題ないが、奥さんは無理。英語ならかろうじて通じる。そのためアマタが通訳の役目を果たした。「ビール飲みますか」「はい」明子は元気よく答える。そのあとメニューを見た。しかしタイ文字でのみ書かれたメニューは意味が解らない。明子は英語はできるが、タイ語は無理。いつもなら英語とジェスチャーで対応するが、今日はアマタがいるので彼のおすすめをお願いすることにした。

 まずはビールが登場した。チャーンと呼ばれているタイのビールは大びんサイズで来た。明子とアマタは飲むが、アマタの妻・フェイは、ビールが飲めないので水を注文した。
 大びんの横には小さなジョッキがある。そこには氷が入っていた。これは冷蔵技術が乏しかったころ、ビールを冷やすために氷を入れたということの名残。今はこんなローカルな食堂でも冷蔵庫がある。だから冷えたビールを出してくれるようになったが、氷を入れて飲む習慣はいまだ健在であった。
 ビールを注ぐと中の氷が浮き出してくる。そして乾杯しビールを口の中に入れた。氷が入っているため日本で飲むビールよりも必然と薄くなる。しかし夕方から夜になり、昼間と比べれば涼しくなっているとはいえ、無意識に汗をかいてしまっているような気候。この体にはこのくらい薄くて冷たいビールの方が飲みやすいのだ。
 
 味わいはビールのフレーバーやアロマではない。冷たく、ときおり唇にぶつかる氷の塊のひんやり具合。これがアジアで飲むビールの醍醐味だ。明子はすでに日本を発ってから数日たっている。とはいえ、この瞬間はいつもアジアに来たという気分にさせてくれた。

 明子は、ふたりのなれそめを聞いてみることに。明子が質問をする度にアマタがタイ語でフェイに話す。その都度フェイが、はにかんだ笑顔になって答える。それをアマタを経由して日本語で聞く。この繰り返しだ。ちなみにふたりは、学生時代にバンコクの大学で出会ったのだという。

 やがて料理が運ばれてきた「おお!」思わず明子は声をあげた。

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 ローカルな料理は日本で有名な物とは明らかに違う。中華の影響を受けたものががベースで、あとは辛いものが多い。今日来たこの料理も名前はあるのかもしれないが、ほとんど無名と言っても良さそうだ。
「上に載っているのは鶏の足?」「そうです。このスープ辛いですけどおいしいですよ」

 明子は早速スープを飲んでみることにした。中には赤いチリを刻んだらしいものが入っており、辛いことが予想される。それでも明子はタイ料理の辛い物はある程度慣れていた。だから怯えること無く口に運んだ。
 口当たりはそれほど辛くないが、うま味にうっすらとチリのフレーバーを感じ取る。しかし徐々に舌を襲う刺激的な感覚が襲ってきた。辛さのあまり途中でせき込みかける明子。慌ててビールを口にするが、ビールを多少飲んだくらいで収まる辛さではない。明子はしばらく口の中のことで、手一杯。思わず顔を下に向けて辛さが収まるのを待つ。

 それを見ながら、明らかに笑っているアマタとフェイのふたり。ふたりもこのスープを飲んでいるが、さすがは現地の人。顔色ひとつ変わらずに飲んでいた。「明子さん、辛かったですか」「え、そ、そうね。げ・現地仕様はか・辛いわ」
 口先を少し小さくを半開きにして、口で空気を吸い込みながら舌に向けて送り込む。明子はそんなことをしながらも、どうにか答える。「でもタイの人も辛い物は辛いのです。でもこの町は昼間40度近くまで熱くなることがあるので、このくらい辛い物を食べないとバテます」
 「そ、そうよね。日本も真夏は相当暑いけど、ここは年中だもんね」少し辛さが収まった明子は、ようやく口がなめらかになった。

 ここでフェイがアマタにタイ語で何か話している。 アマタは頷くと「明子さん、こちらは辛くないです」と指差したのは、鴨をローストしたもの。上に香菜のパクチーがふりかけられていた。

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「あ、これはいいわね」そういって明子はこちらをメインで食べる。こちら本当に辛くない。ローストの旨みが口の中に広がり、アクセントとしてパクチーのものと思われれうカメムシ臭が覆う。パクチーの存在は、どちらかと言えば好きな明子にはむしろ心地良い。

 このほか、うるち米のスティームライスも注文していた。だからご飯(長粒米)との相性もバッチリ。こうして3人は各々の料理を満腹にいただいた。

そしてここの支払いはアマタが行ってくれる。明子は当初そのつもりはなかったが、その好意に甘えさせていただくことにした。
「さて、帰りましょう。ホテル近いですね。送りますよ」とアマタ。
「あ、ありがとうございます。今日はアマタさんとフェイさんに大変お世話になりました」と頭を下げる。その気持ちはアマタを経由して、きっちりフェイにも届いた。

 帰り道を歩く、昼間開いている店もこの時間になると、ほとんどが閉まっている。まだ午後8時過ぎなのに地方都市の夜は本当に早いようだ。しばらくするとフェイがアマタにタイ語で何かつぶやく。すると「明子さん、あそこ満月です」と指差した。

 明子はその方を見る「まあ、綺麗。本当に満月だわ」


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「タイと日本は飛行機で6時間前後かかる。でもあの月は日本で見てもタイで見ても本当に同じ。そうよね。月は地球上のどこで見ても同じなんだわ」
 明子は月を見ながら感慨にふける。自分が旅をしているのは長距離だけど、月から見たら本当にわずかな距離なんだと。

 それから15分ほど経過。ちょうどホテルの前についた。
「今日はありがとうございました」と明子「どういたしまして、明日は僕の運転するバスで、メーソートですね。頑張って明子さん運びます」と笑顔のアマタ。その横にいるフェイも笑顔で手を振ってくれる。そこで「コップンカー」とタイ語で挨拶を返した。

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「あのふたりどうしているのかしら。さて今度いつ行けるのかなあ」 
 1年後の2020年の秋。ここは日本の某所。マスク姿の明子は、仕事からの帰りであった。このときに視界に浮かんだのが夜空に浮かぶ月である。
「1年前と変わらないのは月だけか」明子は月の方に向け顔を上げながら、誰にも聞こえないように小さくつぶやくのだった。



こちらの企画にリベンジしてみました。

※上記企画主催者の塩梅かもめ様へ
本作品が先日言っておられた東南アジア仕様で書いた月の記事となります。前回提出した記事と比較していただき。塩梅さんが良いという方を採用して下されば幸いです。


※こちらの企画、現在募集しています。
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こちらは70日目です。(7合目達成しました。ゴールまであと3割)

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シリーズ 日々掌編短編小説 236

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