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劇場の幕の中 第788話・3.22

「地下の劇場かあ」小生は文化人である。趣味は映画観賞や劇場鑑賞。それから少しだけ絵もたしなむ。といってもお遊びの落書きレベルだな。
 さて今日小生は、珍しい演劇が見られるということで、初めて行く劇場まで足を運んだ。何しろ今回の演劇は理由がわからないが、情報が一切外部に公表されていない。

「知る人ぞ知る演劇か」この情報を劇場鑑賞仲間から聞いたのは、ちょうど10日前のこと。ありきたりの芝居や特定俳優のスター性で行われるような演劇よりも、小生はこういう謎の演劇の方が好みである。早速チケットを手配してもらい、今日この劇場に来たというわけだ。

「電気も非常灯だけか...…」小生はいろんな劇場でいろんな演劇を見たが、地下にあるこの劇場。外から見た限り、今日は劇場が休みのようにしか見えない。小生はチケットを見た。注意事項に書いてあるのは、入り口のボタンを押し、そのあと出てくる液晶パネルに印刷された5桁の番号を入れればドアが開くという。
「こんなセキュリティのある劇場は初めてだな。いったい何を見せてくれるというんだ?」

 小生は説明に書かれた通りの操作を行い、無事に劇場の中に入る。通路は一方向のみ。中には売店のようなものもなければ自動販売機もない。流石にトイレはあった。小生はそういう気持ちでなくとも、席に着く前にトイレに行き用を足すという習慣がある。それをしておけば、ゆったりと演劇が見れると言うもの。ちなみにトイレについては、どこにでもあるごく普通のものだった。

 いよいよ劇場のドアを開ける。「ほう、意外に大きいなあ」地下にある小劇場とばかり思っていた小生は驚いた。1000人近くは座れそうな規模の劇場。「意外に面白いかもしれないな」と小生は直感的にそう感じた。そして客もそこそこ入っている。「こんな謎の演劇を見に来るくらいだから相当な演劇通ばかりだろう」小生もその中のひとりと自分自身で自慢した。
「演劇を終わったらあとで情報交換してもよさそうだ」今回のチケットを手に入れるきっかけになった演劇仲間も、演劇が終わってから情報交換した相手。ちなみにその演劇仲間は今日は都合がつかず来ていない。

 開始を告げるブザーが鳴ると幕がゆっくりと開く。小生は前の方の席を手に入れている。「舞台というものはできるだけ前方で見るのが良いに決まっているからな」今日は来ない演劇仲間と意気投合したのは、こういう考えが一致したというのもあった。
 照明が暗くなり幕が開いたが、いきなり後ろのスクリーンから映像が流れ始める。舞台には誰も出て来ない。ただ映像が流れている。その映像はイメージを表現しているようなものではなく、明らかにストーリーがスタートしていた。「これ映画だったのか?」小生は勝手に演劇と思い込んでいただけかもしれない。でも小生は映画も好きだから一向にかまわないのだ。そのままリラックスして映像のストーリーを追いかける。

 10分後、いや15分後か、まあどうでもよい。そのころになると、舞台から人が現れた。「??」舞台の登場人物も映像と合わせるように演じている。「映画と舞台の融合作品なのか。ほうこれは面白い」小生は今日の作品に期待した。
 映像のストーリーと並行して行われる舞台上のストーリー。舞台上には10人くらいの人が演じている。その背景で流れる映像のストーリーも並行しているから違和感がない。小生は気が付けばこの作品に引き込まれていた。


「あれ」小生は突然驚いた。すぐ目の前に、演じている主人公らしき役者がいる。その役者は小生には気づかずに、別の役者とやり取りをしていた。「何という臨場感」小生は横を見てみる。だがこのときばかりはいつも冷静な小生が恐怖のあまり全身から鳥肌が立つ。「な、何?」理由はわからないが、目の前に座席がいて観客が見える。

「どういうことだ?」小生は反対側を見た。すると大きなスクリーンがあって映像が流れている。「なんで小生が舞台の上に?」小生は頭が混乱した。

 無意識に舞台の上に立っている。いくら演劇に引き込まれたからと言ってこんな無様なことをするはずはない。それもさっきまでリラックスして舞台を見ていたではないか?もう一度座席を見た。それは小生が座っているはずの席。そこには「あれ?」誰か座っている。ところがその正体を見る前に小生の体が突然動き出した。視線も舞台の方に向けられ、小生はなぜかダンスをしている。見れば同じようにダンスをしている複数の人。小生はなぜか演劇を盛り上げるバックダンサーになっていた。

「ち、ちょっとまて、小生は客だ!」と小生は声を出そうとしたが口が動かない。ただ手と足は小生の脳からの指令を無視して勝手に動いている。視線も自由にできない。その動きは、前後のほかのダンサーと合わさっている。練習していなければ、これほどまで精度の高いダンスはできないはずだ。

 この無意識のダンスがようやく終わる。観客から拍手が聞こえた。その瞬間真っ黒になる。突如画面が切り替わった。小生は前を見ると座先に座っている。目の前では演劇が続いていた。主人公らしい人物とその相手とのからみが激しくなっていた。どうやらクライマックスか。だが小生はそのあとの演劇の世界に入れず、ただ座席ばかり見ている。小生は演劇を見るのが怖くなった。またあちらの世界に引き込まれないかと。

 こうして舞台は終わった。幕がゆっくりと閉じていく。幕が閉まったのを確認すると、小生は逃げるようにして席を立ち劇場を後にした。
「あのときなぜ舞台に?」小生の記憶にはまだあの謎のひとときがよみがえる。突然無意識に手足が動いたダンス。その直前、本来自らが座っている席を見た。その時に座っていた人。どこかで見た姿。小生は視線を下や横に向けて自分の服装を見る。「やはり同じだ」小生は確信した。あそこには小生が確かに座っていたのだ。なら小生は霊的な魂的なそういう意識上だけのものだけが舞台に...…。

 このとき小生は、この日の出来事を記憶から抹消する決意をした。


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シリーズ 日々掌編短編小説 788/1000

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