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3代将軍の最期

 日本の将軍と言えば、たいていは武家社会の征夷大将軍が連想できます。その中でも幕府創設者の次ぎの次。三代将軍と言えば、一般的には室町幕府の足利義満か江戸幕府の徳川家光です。ところがその前にもうひとり三代将軍がいました。それは鎌倉幕府の源実朝(みなもとのさねとも)。

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「おお素晴らしい。貴方様は昔・宋朝医王山の長老でおられた。そのとき、我はその門弟に列しておりました」中国の宋から来日した僧・陳和卿(ちん わけい)はそう言って実朝を三度も拝むと泣きだした。

「5年前の夢と同じ。まさか! 本当にそうなのかか」実朝は中国僧の態度が非常に気に入った。
 何しろこの僧は、実朝の父で鎌倉幕府を立ちあげた頼朝からの面会を「罪業の深い人間だ」と言って断り続けたのだから余計である。

 平安末期に実権を握ったライバルの平家を滅ぼし、武家の棟梁として鎌倉に幕府を開いた1192年に生誕した実朝。
 頼朝の死の後兄の頼家が1199年に二代将軍となったものの、斬新なやり方で支える御家人たちを無視して独裁に近いことを行った。その結果4年後には追放されてしまい、後に殺される。
 こうして三代目を継いだ実朝は1203年から10年以上も将軍の座についていた。この頃には母・政子の出身一族である北条氏が力を持っている。それでも将軍として長く君臨。その上まだ20代の若さである。このまま長期政権の様相を呈していた。

 1216年に実現した陳との面会で気を良くした実朝は、この後宋へ渡航する計画を発表。あるいは朝廷での官位が異常なほどに早い。
 そのため将軍に従っていた御家人たちが心配するなど、不安定な状況がくすぶっていた。
 翌17年に鶴岡八幡宮の別当(長官のようなもの)に任命されたのは、頼家の子・公暁(くぎょう)。彼は父を殺したのは実朝と考えており、仇としてその機会をひそかにうかがっていた。

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 そしてその2年後にその事件が起こってしまう。1219年1月27日の夕暮れ。
「ん? さっきまで晴れていたはずだが、ずいぶん雪が多いなあ。2尺(約60センチメートル)も積もっとるわ。だが八幡宮では、武士として初めて右大臣の任官をうけた祝賀のための拝賀の式。これには出席せんわけにはいかん」実朝はそう心の中でつぶやきながら準備を行った。
 こうして出発前の整髪を終える。「そうじゃ、一本抜けたな。どうじゃ将軍の髪ぞ。記念にくれてやろう」実朝はにこやかに言うと整髪を行った者に髪の毛一本を手渡すと、ふと視線が庭の梅に向く。「ほう良い梅じゃ」そしてひとつの和歌を詠む。

「出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」

 ちなみにこれは実朝辞世の歌となり、後に「禁忌の和歌」と評される。

「十分ご注意くださいませ」と、ここで実朝に声をかけるのは、側近として実朝を支えていた大江広元。「広元、急にどうした? そんなに心配するな。今から船に乗って、大陸の宋に行くというのではない。八幡宮はすぐ近くじゃ」

「しかし、この私が不思議なことに、成人してから初めて涙が浮かび上がって止まらないのでございます。何か不吉なことを起きやしないかと」実朝が広元を見ると。確かに目元が赤くなり涙のようなものが浮かんでいる。
「うーん、そんなに気になるのか」
「は、はい、もしよろしければ頼朝様と同じことをなさいませ」「父と同じこと? 何じゃそれは」
「はい、お召しになられている御束帯の下に、鎧の腹巻をつけておけば安心でございます」「ほう、鎧の腹巻か。父がやっておったのじゃな」実朝は何度もうなづくと、広元の提案通りにしようとした。

「待ちなされ! ブザマですぞ」と突然広元の提案に反対する声が響く。それは源仲章。「仲章、どうした。ブザマとはどういうことだ」
「はい、過去に大臣や大将まで上りつめた方で、そのような恰好で儀式に出たものなどおりませぬ。そのようなことは慎まれたほうが」

「そうか、そちの言い分も一理あるな」実朝は仲章の言い分のほうが良い気がした。「それに八幡宮には私もそばに控えておりますゆえ、ご安心くださいませ」仲章がそういって頭を下げるので、実朝は同意した。

 こうして実朝は、特に変わったことをすることもなく、普段通りに鶴岡八幡宮を目指す。そばには仲章のほか、実力者の北条泰時も同行した。

「ずいぶん鳩がうるさいな。2日前に鳩を撃ち殺すという良からぬ夢をみたという者もいたというし」実朝は車の移動中、少し気味の悪いものを感じている。
「なに!」八幡宮に到着したので、車から降りるとさらに嫌なことが起こる。刀が折れてしまったのだ。
 だが、征夷大将軍でもある実朝は、こんなことでうろたえるわけにはいかない。「広元が涙が止まらんとか、くだらないことを言うからだ。全部偶然。変なことを気にしすぎ。早く右大臣拝賀の式を済ませて、みんなを安心させなければな」
 内心動揺していた実朝はあえて明るくつぶやくことで、不気味な空気を払しょくしようとする。

「義時!」「はい」ちょうど八幡宮の中門に差し掛かったときのこと。「悪いが、中門の前で待機してもらえないか」「はあ、待機でございますか」「万一何者かが来たときのためじゃ」
「承知いたしました」こうして義時は太刀を抜き、万一の事態に備えた。

 しかし、その払拭は現実のものとなった。敵は中門よりさらに奥にいたのだ。神拝を無事に終えた実朝は退出する。すると「親の敵はかく討つぞ!」と実朝の前に突然現れたのは公暁。
「ま、まて、公暁。兄上の殺害はワシとは無関係。それにお前は甥でもありまたワシの猶子ではないか」
 だがそのまま太刀をもって突っかかってきた公暁。太刀を実朝に振るうが、実朝は持っていた笏でそれを抑えた。だが公暁はすぐに太刀を引き上げると再び襲う。
 今度は笏が間に合わない、ついに公暁の太刀が実朝の体をとらえた。「う、ひ、広元やある。ぐぐぎゃあぁ」実朝はその前で息絶える。その勢いで横にいた仲章も殺害。公暁は実朝の首を刀で引き離すと、それをもってすぐに立ち去った。

「父の仇を無事に討ち取った。自分が四代将軍となる」公暁はそう言いながら食事中も実朝の首を手放さない。
  しかしこの日のうちに、追っ手により将軍殺害の罪で討ち取られる。そしてこの日、平家に続いて源氏の直系も滅亡した。


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シリーズ 日々掌編短編小説 372

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