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迷うこと 第794話・3.28

「さて、お昼が問題か」私は朝の出勤時、満員電車から解放される最寄り駅のプラットホームに降り立った時、誰にも聞こえないほど小さな声でつぶやいた。周りの会社員たちは、殺伐として不愛想な表情で、次々と私を追い越すように改札に向かう。背が低く童顔である私は見た目は少女に見られる。下手をすれば中学生や小学生にも見られそうなのだが、実際には20歳を越えた社会人。だから通勤時に童顔というのが影響しているのか、私に向けられた視線を常に感じている。それはもう慣れたけど。

 私はまだ朝の9時前だというのに、もう正午からのことについて頭を悩ませている。心配性というのかしら?まだ3時間も先の選択肢で悩むべきではないと言い聞かせていた。でも子供の時からの性格上だろう。こればかりは自分を責めても仕方がない。

 会社に出勤後、いつもの用に自部署のオフィスに入り、席に座るとパソコンの電源を入れる。これはいつものことで、何ら変わったことはない。むしろこのときに変わったこと。例えばパソコンの電源が入らないとか、そういう事がおきたときの方がまずいわけだ。私は今日も無事にパソコンが起動し、仕事ができる状態になるのを確認すると、とりあえず安どのため息をつく。もちろん誰にも聞こえないほどの大きさだ。

 始業の合図が鳴る。いつものように始まりは朝礼から。朝礼で張り切っているその日の担当や、それを後ろで温かく見守っている上司。何ら変わりがない。今日は私の担当ではないので気が楽だ。もし私が担当の日だったら、昼の問題より、まずこの問題のことが気になって仕方がないのだろう。

 こうして仕事が始まった。私はこの会社に就職してまもなく1年。仕事はそんなに難しくないので、半年もすれば問題なくすべてがこなせている。4月になれば一年前の私同様に、新入社員が入ってくるだろう。ふと1年前に新入社員だったころを頭に思い浮かべた。
「あのときは、教えてもらっていた立場。でも次は」実は私は少し気が重い。私を教えてくれたのは私より1年先輩。だけどその人3か月前に退職してしまった。本来次の新入社員も当初その先輩が教える予定であったが、退職したことで、私が担当することが決まっている。
「あなたなら大丈夫、新しい後輩にちゃんと教えてあげてね」先輩が退職する前に私にかけてくれた言葉。「ちゃんと教えてって言われても、私もまだ教えてほしい立場なのに...…」

 私は思い出すだけで気が暗くなった。でもそれはもう少し後の話、4月に入社した新入社員が部署に配属されるまでは1か月半も先のこと。それまでは全社的な研修が行われる。おそらく入社してから半月後に部署の見学に新入社員たちが来るのかもしれない。だが、その段階でだれがこの部署に来るのかはわからないのだ。「昨年私が言われたのが配属の3日前、それより早いとしても1週間前かなあ」

 私は作業をしながら漠然とそんなことを考えていた。ふと時計を見る。午前10時30分を過ぎたところ。午前中はあと1時間半で終わりお昼になる。
「正午まであと1時間30分か」私はここで、目の前の現実を突きつけられた。お昼まで時間がない。時計は刻一刻とその時を迎えている。私は仕事に集中した。集中している時はさすがに忘れる。何かの作業で、パソコンに向かってキーボードの操作中は集中できた。だがキーボードから手をいったん外し、そこからマウスに手がむかったとき、ふと我に返るようにその時のことが頭によぎる。
「わかっているわ。でも今考えても無駄。その時にすべてが決まるから」私はそう言い聞かせながら、そのことをあえて気にしないようにする。時刻は午前11時15分。あと45分に迫っていた。

 引き続き私は作業を続ける。いつもやっていることだからか、作業的にはいつもと変わらぬ速度で問題はない。あとはそのとき、正午を迎えるまでこのように淡々と過ごせるか、精神状態にブレがないかそれだけだ。さあ、11時50分。いよいよ10分前である。みんな時刻のことを気にしていないかのように、デスクに向かって真剣な表情で何かをしていた。だが私はわかっている。「全員とは言わないが何人かは、そのあとのお昼休みの事を考えているのだ」と。

 私もその中のひとりなのかも知れないと思いつつ、午前中のラストスパートを切った。


 時刻は正午を指す。昼の合図がオフィスに流れる。それまで真顔で作業をしていた職場の人間は一斉に手を休め、笑顔になった。そのまま立ち上がり次々と事務所を出て行く。そして私も、椅子を押すように後ろに動かして立ち上がる。「ついにお昼が来たわ」私は心の中でつぶやくと、オフィスを出た。
 ここからが私にとって重要な選択肢を迎えている。それは今から何を食べようかという事。「今日は麺類で済ませるか、いやしっかり定食を食べるべきかしら。定食にしても和食か中華で悩むわ。たまにインド料理にしようかなあ。いやコンビニで弁当を買い近くの公園に行こうか、うーん」

 私は今日もお昼をどうするか、お昼休みに入っても迷うのだった。



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