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夏山の紅葉 第929話・8.11

「いくら今日が山の日だって、こんな暑い日に山を目指すなんて!」駅を出て歩きながら霜月もみじは、幼い娘の楓の手をつなぎながら不満を夫の秋夫にぶつける。もみじの額から早くも汗がにじみ出ていた。

「そんな顔しないでくれ、これ楓が登れるような山だぞ。せっかく春に見た赤く染まっていた紅葉の正体がわかったというのに、夏はどうなっているか気になるじゃないか」
 秋夫は、ひとりでゴネているもみじをよそに先に歩いて行く。ちなみに楓は、雰囲気からしていまいちわかっていない。
 それでもいつも見る街の風景と違う景色、電車に乗るという行為やそこから見たことのない風景を見ているためだろうか、ずっと笑顔で嬉しそうに、首を何度も左右に振りながらいろいろと眺めている。

 なぜ霜月一家は電車に乗ってみて幼子でも登れる山を目指しているのか?それは春のこと、ある休日に秋夫は同じ会社の同僚やその家族たちと花見をするためにこの町に来た。本当はもみじも誘ったが、その日は別の予定で家から出られないため、秋夫がひとりで花見に参加したのだ。

 ここは駅から歩いて行ける小さな山、そこは桜の名所で当日は秋夫以外にも何組も花見客がいる。そしてソメイヨシノがちょうど満開ということもあり、ピンクのじゅうたんの下で花見を楽しんでいた。
 秋夫は、途中でトイレに行きたくなり、ひとり花見の場所から離れ少し歩いたところにある公衆トイレで用を済ませる。その際、秋夫の目に不思議なものが見えた。それは春なのに赤く染まった紅葉の木があったのだ。

「春なのに紅葉している......」秋夫はもちろんその木を撮影し、花見から帰ってから早速もみじに撮影した画像を見せる。「え、これ昨年の秋に取ったんじゃないの?」と、もみじはそのときは信用しなかった。
 それから2か月くらいたったとき、偶然その時の春の紅葉を見た秋夫は気になって調査してみる。すると春に赤い葉をつけるノムラモミジという品種のことを知ったのだ。

「やっぱり春に赤くなるモミジが存在するぞ」秋夫がもみじに説明すると、「じゃあ一度見に行かないとね」と、もみじは一言。
 ということでいつにしようかと考えた挙句、やはり山に関する日が良いと、8月11日の祝日、山の日を選んだのだ。

「私は名前がそうだけに、モミジには特にこだわっているつもり。モミジが秋以外に赤くなるなんて信じられないんだけど」と、半信半疑のもみじ。
「俺だって見るまではそうだったよ、だけど本当にあるんだ。今も赤いのか、気になるじゃないか」と秋夫。不満を口にしながらももみじは楓とともについてきた。
 駅からしばらく歩くと、公園のような入り口がある。そこから緩やかな上り坂が頂上まで続いていた。大人なら10分から15分もすれば山の頂上付近にある桜公園まで登れる。だが今日は幼い楓がいた。楓は彼女なりに決して早くないが歩いてゴールを目指している。両親は楓のペースに合わせるから当然速度は遅い。公園に入るまでも遅かったが、公園に入り山道となるとさらに歩く速度が遅くなる。

「ちょっと、ちゅかれた」さっきまで嬉しそうに風景を眺めていた楓が初めて不満を言うと、立ち止まってしゃがみ込む。「楓、頑張ろう、もうあと少しだ」しゃがみ込んで励ます秋夫。もみじも「そうよ、赤い葉っぱがみられるわよ、ね、大好きなおやつもそこで食べよう」と、やや手を引っ張るようにして楓を歩かせるように促す。

 楓は嫌がりながらも、恐らくはしぶしぶと、ふたりの大人に付き合う。笑顔から不機嫌に鋭い目つきになり、口を膨らませている。だが、ふたりの親はどうにかして桜公園を目指した。

 結局公園の入口から30分近くかけて頂上の桜公園に到着。夏場だから桜といっても、そこら中にある木々と何ら変わらない。丸っこい葉が生い茂っているだけなので、訪れる人も少ないようだ。
「やっぱり夏の桜はつまらないわね」もみじは桜の木を見て小さくつぶやく。坂道を上り終えたからだろうか、また楓の機嫌がよくなってはしゃいでいる。

「ここではない。トイレのところ。もう少しだ」秋夫は赤く染まったモミジの木を目指す。秋夫は心の中で「ようやくもみじに秋以外のモミジを見せてあげられると思ったのか、歩く足が少し早くなり、もみじと楓よりも数メートル先に進んだ。

「ちょっとまって、そんなに急がなくても」もみじは楓の手を引っ張りながらも楓がこけないように、気をつけながら後をついて行く。秋夫はトイレの前で止まった。だが顔の表情は険しい。
「あれ?赤くない、確かこの木のはずだったのに......」秋夫が指さした木はもみじだったが、赤くなく青っぽい色をしていた。これは後でわかったことだが、春のころに赤く染まるノムラモミジは夏場にいったん青くなり、秋にまた紅葉するらしい。

 そうとも知らずもみじに、夏の赤いモミジを見てもらおうという目論見が見事にはしごを外された気分。「ごめん、赤くなかった」とうなだれる。でも紅葉は笑顔。「もういいんじゃない。来年の春もう一度くれば、花見と赤いモミジのふたつを見に行きましょう」
 というと、「あのあたりでシート敷きましょうか」と楓とふたりで、広い場所を見つける。気を取り直してついて行く秋夫。
 もみじが見つけた場所は木陰がありちょうどよい場所である。3人はそこにシートを敷いて、お昼を食べるのだった。


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