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高円寺の思い出

「ねぇ太田君」「なに!ちょっと。いま大事なところ」カフェのカウンター席で木島優花は、スマホをチェックしている太田健太に話しかけた。

「今日11月7日は立冬だって。もう冬かあ。あ、わりぃ。で、優花どうしたんだ」スマホから目話した健太は笑顔で優花に視線を送る。
「今度落語を見に行かない」「は?ら・落語。何それ」あまりにも意外な言葉に、健太の声が裏返るように高くなった。

「何かね、12月20日に高円寺の某所で落語会があるらしいの」「へえ、でも落語って。あの、笑点だっけ、ああいうのだろう。カラフルな着物姿の人たちがザブトン取り合う奴。ちょっとどうかな。なんとなく年寄っぽいよ。そんなの好きな優花って本当に変わり者だな」
 と、半ば小馬鹿にしたような笑いを浮かべる健太、それを見た優花は不機嫌に目を吊り上げる。
「ちょっと、そんなことないよ!この前たまたま友達に誘われて見に行ったら、本当に面白かったんだからね。その時は魔法陣とかいう名前の人が出てたわ」

「マホウジン。へ、まるで魔法瓶みたいだな。ハッハハア!」健太はそういうと口を緩ませながら声に出して軽く笑う。
「ね、面白いでしょ。どう、行きましょうよ。太田君も絶対にハマると思うから」と優花は満面の笑顔で、健太の腕をつかんで甘えるような目で訴える。

「まあな、12月の予定はまだわからないな。優花がそこまで言うならちょっと考えておくよ」
「うん、一応2人分のチケット取っておくね。もし太田君がダメなら、ほかの友達誘うから」


「フッ、高円寺で落語会か」と小さくつぶやいて口につけていたホットコーヒーを置いたのは、ふたりから椅子ひとつ離れて座っていた男。
 呆然とカフェの目の前の風景を眺めながら、若いふたりの言葉をBGMの聞いていた。そしてこの男は「高円寺」という言葉から10年以上前の出来事を脳裏に浮かべていく。

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高円寺


「純情商店街か。ったく全く何が純情だよ」男は日曜日の昼に高円寺に来ていた。この日は立冬。ずいぶん気温も下がってきていたが、この日は快晴だったこともあり、まだ寒いほどではない。
 男はビジネス街が広がる埼玉県の某所。その一角にあるインドカレー店で働いていた。そこにはインド人が経営して、シェフもしている本格派。近隣の会社員から人気でランチのピークタイムは行列が出来るほどである。

  男は学生時代にインド旅行をしたことがきっかけで、カレーにハマってしまう。そしてこの店の門をたたき修業を積んでいた。入店から5年、そろそろ「独立」を考えている最中。
 男はこのころ、将来に備えてどこか気になるエリアを探しておこうと、日曜日の度に旅のようなお出かけを行った。

 都心を中心にいろいろなエリアに行くが、最近は中央線沿線が気になっていた。吉祥寺、西荻窪、荻窪、阿佐ヶ谷といくつかの候補がある。でも男が気になったのは高円寺。なぜならば職場が近くにあるからと、いつもランチタイムの遅い時間に来るひとりの常連客。彼女が高円寺出身と聞いていたからだ。
「こんなところに住んでいるのか、楽しそうな町だな」

 その女性は今から3年位前だろうか、週に1・2度のペースでカレーを食べにくるようになった。いつも日替わりのメニューを注文する。その日の気分に合わせて、ナンにするかライスを選ぶかを分けていた。
 そして彼女が来るのは午後1時30分といつも遅い。そしてオーナーであるインド人シェフは、客足が落ち着く午後1時を過ぎると、休憩に入ることになってた。ちなみに男はシェフの後の2時になってから休憩する。だからこの女性が来る時間は、いつも男が店を任されていた。

「半年くらいしてからだな、初めて話をしたのは」彼女が来るころには、お客さんがほとんどいない。だから一対一のことも多く、最初はお互い無言だったが、あるときから話をするようになった。
 彼女は肩まで伸びた黒髪を手で押さえながらいつもカレーを食べる。それに食べ慣れていた。
 ナンのときはともかく、ライスのときは、さすがに素手では食べない。ところがある日、男が半ばジョーク交じりに「インド式に手で食べてみますか?」と質問すると、彼女はその話に乗る。「え、いいんですか!お願いします」と言ってくるのだ。その日以降、ほかにお客さんがいないときで、女性がライスを選択すると、料理と一緒にフィンガーボールを用意した。

「この町のどこあたりに住んでいるんだろうなぁ。高円寺も広いだろうし」と、男はつぶやきながら、高円寺の町を散策してみる。
「最初は家賃の安いところ。となると路地裏かな。でも目立たないとあれだし、どこがいいだろう。駅から遠すぎるのもアレだし、やっぱり店出すときは、ホームページをしっかり作って」

 男は街を歩きながら、頭の中であれこれ想像を巡らせた。たまたま路面のお店に「管理物件」との張り紙をしているお店を発見。「ベトナム料理店だったのか、えっと何だっけ。フォーと言う米の麺だったかな」

「あれカレー屋さん?」と男に声をかける女性の声。振り向くと常連の彼女が目の前いた。男は驚いて目を見開く。「あ、ああ、こんなところで」「いえ、私こそびっくりです。高円寺に何か御用でも?」

「あ、いえまあ将来のことを」「将来?」
「ええまだずいぶん先の話ですが、いずれ独立しようと思って、休みのたびに出店候補になりそうな街を見つけては、周辺を歩いているんです」

「へえ、高円寺にカレー屋さんの店ができるかも!もし出来たら本当にうれしい。毎日通っちゃおうかな」と女性は笑顔を振り向ける。男の頭の中では嬉しさと照れが交錯していた。
 だがこのとき、男のお腹のあたりから音がする。「あ、失礼」「ひょっとして、お昼まだですか」「え、あ、そ・そうですね」
「もし、カレー屋さんが嫌でなければお昼ご一緒しませんか?」「え、いいんですか」「せっかく高円寺でお会いできたんです。ここは私の地元だからご案内しますわ」
「では、お願いします。一体どこへ?」

「実は私、今日はベトナム料理をお昼にって思っていたんです。ここは良かったけど、先月閉店してしまって残念。でもまだ別にお店があるんです。あ、カレー屋さんは、カレーのほうがいいかしら」「いえ、それはいつも食べているので。ベトナム料理店行きましょう」

 男は、まさかの誘いに不覚にも心の中がときめいた。そして女性についていく。途中から細い路地に入っていった。男がひとりなら絶対に行かないようなところ。さすが地元の人は地理関係に詳しい。

 そしてそこには昔ながらの市場の入り口があり、その中に入る「こんなところにレストランが」「そう、屋台みたいでしょ」と彼女は笑った。
 そして女性の言うとおり、屋台のようなベトナム料理店がある。ところで男はベトナムなど行ったことがない。だけどテレビ番組などの映像を何度か見たことがあり、店を見るとそういう確かにそんな雰囲気がある。

「私、3年前に一度ベトナムに行ったことがあるんです。だからこの雰囲気近いと思って、たまに行くんです」と女性は笑顔で答える。

高円寺2

「カレー屋さんは何にしますか?」「あ、そうしたらこのサンドイッチにしようかな」男はバインミーと言う名前のサンドイッチを、女性はフォー麺を注文した。

 バインミーは、ホットドックのようにフランスパンのようなものに挟まれたベトナムのサンドイッチ。中身はもちろんソーセージではなく、いろいろなものが入っている。
 男は大きな口を開けて、端からかぶりつく。口当たりにパンのしっかりした歯ごたえがあった。そして野菜のシャキシャキした感触が、口の中から振動、そして音として耳に伝わる。そして口に含んだものを噛んでいくと、今まで味わったことのない不思議なフレーバーを感じた。

「この臭みは、何?現地の薬味、スパイスなのか」後で知ったことであるが、これはパクチー(ベトナム名:Rau mùi ラウムーイ)というものである。英語ではコリアンダーで、実はインド料理にも使う。だがベトナム料理を知らない当時の男にとっては、他の味付けとのバランスが違うこともあり、初めての味わいのように感じたのだ。
 ひとりであれば思わず吐き出しそうになったが、横に女性がいるからそういうわけにはいかない。ここは辛抱してコップの水で飲みこんだ。

 目の前では、女性が真剣なまなざしでフォーの麺をすすって、口の中を動かしていた。

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「ごちそうさまです。ベトナム料理美味しかったです」男は少し嘘をつく。「ああ、良かった。舌の肥えているカレー屋さんに気に入ってもらえて」と女性は笑顔で喜ぶ。

「高円寺って、初めて来ましたが、なかなか活気がある街ですね」
「ええ、そうなんです。不思議と楽しい街で私は好きですね。それに最近は阿波踊りが有名になったから、そのときは本当に多くの人が来ます。ぜひカレー屋さんにもそのときに来てほしいわ」
「そ、そうですね。ぜひ一度阿波踊り見てみたいです」男はデートの誘いを受けたように気持ちがさらに高揚する。

「ところでカレー屋さん」「はい」「こんな相談していいのかわからないのですが、ちょっと悩んでいることがあるんです」と彼女は真顔になる。

「どうしたんですか。どうぞ何でも言ってください」男は無意識に顔が緩んでいた。だが彼女の次の言葉で再び硬直する。

「実は若い落語家さんとお付き合いをしているんです」

「は。ああ、落語家さんと、で、ですか」
 男の頭の中では「残念」という気持ちと、「当然だ」というどこか安心感が交錯した気持ちに包まれた。
「はい彼と付き合って3年。今一応同棲しているんですが、結婚を意識してるんです。でも彼が落語家さんで成功すればいいけど、まだ半人前の若手だし、そう考えると将来が不安で。もしカレー屋さんが私のような立場だったらどうされますか?」

 気を取り直した男は、女性の相談を真剣に考える。
「うーん、そうですね。芸事についてはわかりませんが、その人はアルバイトとかは」「それは、今日もそうなんですが、週3日コンビニでバイトしています」
「だったら、思い切られたらいいと思います。ふたりで頑張ればどうにかなるでしょう。将来才能のある方だと信じて、ぜひ支えてあげてください」
 と真剣な表情で男がアドバイスすると女性が笑顔になる。

「はい、ありがとうございます。カレー屋さんにはっきりそういってもらえて、私の中のもやもやが解消されました。では、私の悩み聞いてくださったからお礼にここは」と言ってレシートを片手に女性は清算に立ち上がる。

「え、ちょっと、それ、ああ」男が言うまでもなく女性はお金を払うと「じゃあ来週またお店に行きますね!」と笑顔で右手を振ってその場を去った。
「な、なんか、複雑だなあ。今日はもう帰ろう」男はそういうと、高円寺の駅に直行する。

 あれから男は高円寺に行くことはなかった。常連の女性はそれから半年ほどは、今まで通り通い続けてくれる。だが職場を退職してから来店が途絶えた。その後落語家とは結婚。 
 彼を支えながら近所でパートを初めて家計をどうにか支えていると、退職後に1度だけ店に来てくれたときに女性は話してくれた。
 ちなみに男は、このときから5年後に神奈川県の某所で自らの店をオープンする。

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「落語会か、まさかそれはないと思うけど、彼女の夫とか出たら笑うな。そうだ。久しぶりに高円寺に足を運ぶのもよさそうだ」
 男はそうつぶやくとホットコーヒーの残りを飲み干し立ち上がる。そしてカフェを後にするのだった。


追記:本文でも触れましたが、12月20日に高円寺で落語会が行われるそうです。興味のあるか方はぜひ。

こちらもよろしくお願いします。

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シリーズ 日々掌編短編小説 291

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