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ハマのジャック

「横浜三塔物語だっけ? おい優花、また何かおかしな都市伝説なんか信じて」「太田君、別に信じてないわよ。あれは三つの塔が同時に見れるスポットを、全部回ったらって話。私はひとつずつを見たかっただけだから関係ない」
 デートということで、購入したばかりの緑のワンピースを初めて袖を通したしっかりメイクの木島優花は、少し不機嫌そうに黒のジャンパーとジーンズ姿の太田健太に反論。
「けっ、大体今日3月10日が横浜三塔の日とか、なんだよその語呂合わせ」「もう、せっかくのデートなのに、太田君文句ばっかり!」

 このふたりは横浜にデートに来たが、定番のスポットく加えて、少しマニアックなところみ見たいとなった。それが横浜三塔と呼ばれる建物をひとつずつ見るというものである。
「あとは、ジャックだけね」とクイーンの塔との異名を持つ横浜税関の建物を見つめながらつぶやく優花。すでにキングの名を持つ神奈川県庁本庁舎は確認済み。「大体ジャックを最初に見てからだったら、クイーンの後はそのまま赤レンガ倉庫のほうに行けるのに、何で後にしたんだ。また駅のほうに戻らないと」少し不満そうに口を尖らせる健太をよそに「やっぱりこういうのって順番が大事」と、優花は全く異を介さない。

 別に遠くに離れているわけでもなく、歩けば三つの塔はすぐにところ。それもあって優花はキング、クイーン、ジャックの順に回ろうとしたのだ。
 クイーンの塔から少し歩けばジャックの塔。「おい、神奈川県立歴史博物館をエースとして加えれば横浜四塔というらしいが、それはいいのか?」健太がスマホで見つけた情報を優花は無視。そして「これがジャックね」とレトロな塔、横浜市開港記念会館を前に笑顔で眺めた。
 ところがその笑顔は10秒程度で無くなり、急に周囲を気にし始める。
「ねえ、太田君」「どうしたんだ?」
「ちょっと変。さっきから誰かにつけられている気が」「まさか。俺たちに付きまとうって誰なんだ?」

「でも」優花は左右に首を振り周りを見渡す。
「さっきはあの角にいたような」と優花は右の人差し指を、気になる方向に突き出す。
「ジャックの前で不審者って。まさか切り裂きジャックみたいな通り魔。おまえ、変なこと言うなよ。大体俺ケンカは... ...」
 今度は優花より健太のほうが気になってきた。気になると急に怖くなる。体から電気のような痺れを感じると、体が震えてくるような気がした。

「あ!」優花の声。健太は怖さのあまり相手を見ず、先に大声をだす。
「誰だ! お前、俺たちに何の用だ!!」

「あ、あ、す、すみません」とひとりの角刈りの男が申し訳なさそうに現れた。年齢はふたりと同じくらい。「あ、やっぱり太田君だ。僕、陳です」
「陳? あ、ハマの陳君?」思い出した健太に、陳を名乗る男は小さく頷く。「この人太田君の知り合い?」
「ああ、高校の同級生の陳君だ。でも何でおれたちをつけてきた」
「いや、つけてきたというか、たまたま見かけて『あれ、太田君か?』でも太田君って女の人には縁がなさそうだし、別人だったら嫌だなあと思っているうちに... ...」

「おい、縁がないとか言うな」「ごめん。でもやっぱり太田君だった。いやあ懐かしい」
「優花、彼の家は中華料理店なんだぞ」「へえ、中華料理! 飲茶とか大好き」「はい父の実家が、横浜中華街。伯父さんが中華街の中で店をやっています。僕の父は都内ですけどね」「でも系列の中華料理屋だよな」「まあ一応」陳は照れながら小刻みにうなづく。

「陳君は、クラスの中で何かあったらやたらと横浜の自慢ばかりするから、みんなで『ハマの陳』というあだ名で呼んでいたんだ」
「へえ、陳さん初めまして木島です」「あ、どうも。ひょっとしておふたりは」 陳の素朴な質問に、健太の顔が少し険しくなる。
「見りゃわかるだろう。余計なこと言わせるな。そうだお前横浜に詳しいな。このジャックの塔で何かエピソードなんかない?」

 すると陳は得意げな表情になる。
「知っているよ。三塔の中で一番格下みたいだけど、実は古いのがこのジャック。他は昭和にできたけど、この塔だけ大正時代に完成しているんだ」
「へえ、でもそれってちょっと調べたらわかりますね」「え!」
 まさかの優花の突っ込みに一瞬陳の顔色が変わる。
「そうだ、もっとそういうのに出てこないネタとかねえのか」「い、いやネタって言われても... ...」

 しばらく静まり返る。陳は腕を組みながら考えるが、優花はスマホを手にジャックの塔を撮影。健太も塔を静かに眺めた。
 陳のありきたりな情報は決して邪魔ではなかった。塔と言いながら横幅も相当広いキングの存在感。そしてネーミングのせいだからだろうか、当の先端の緑のドームが、おしゃれな帽子に見えるクイーンの姿とは明らかに違う。
 ジャックは近代的なレンガ造りで、絶対的なレトロ感がある。そして突き出た塔が他のふたつの塔よりも際立って見えた。しかしあとでわかったことだが、一番高いのがクイーンの51メートルで、ジャックは36メートルと最も低い。
 そんなジャックの威厳ある姿を見とれているふたりの注目を、陳はぶち破る。「あ、そうそう。とっておきのがあった」「お、何だ期待しているぞ」健太が陳のほうを振り向く。同時に優花も注目した。

「えっと、僕の父の祖父だから... ...」「曾祖父か?」「そ、それ『そうそふ』のころ。子供のときに、じいちゃんから聞いたんだけど」とここまでしゃべると陳は軽く咳払い。

「実は終戦直後から昭和33年までは、ジャックの塔が連合国進駐軍の兵站司令部だったそうで、実はその進駐軍から出前を受けたことがあるらしい」

「え、それは凄そうね。どんなエピソード」優花は笑顔。
「お、期待してるぞ。美味しいと褒められた。それとも何かやらかしたのか?」しかし優花と健太の期待を裏切るように陳は首を横に振った。

「何もない」「はあ?」
「いや、そういう経験があるというだけで。別に褒められたわけでも、何かして怒られたとかは無い。ただ自慢だったようだ。あんまり進駐軍の出前なんて取らないだろうし」
「じゃあ味の評判はどうだったの」
「うーん、聞いてないけど... ....。確か2・3回出前の注文があったらしいから、多分まずくはなかったと思う」目をしかめて目じりにしわを寄せながら、絞り出すように陳は答えた。

「そうか、まあ陳君のご実家にとっては良きエピソードだな」
「そうよ。陳さん楽しい話ありがとう」一転して笑顔で礼を言うふたり。陳はテレを隠すように手を頭の後ろに置く。

「そうだ、今度陳さんのお店に行きたい」「おおそうだ、陳君一度ふたりで行くよ。場所解ってるし」
「あ!」その途中で突然大声を出す陳。

「ごめん、こんなことしている場合では無かったんだ」陳の顔色が変わる。
「さっき連絡があった。実家の店から食材を分けてもらって、すぐに戻るように言われてたのに。ごめん! じゃあ。お店で待ってるね」と言い残して慌てて走っていく陳。

 ふたりはその後姿を眺めた後、再び目の前にそびえるジャックの塔を眺める。
「陳さんのご先祖様が、出前に行く姿とか想像したら面白いね」と言って健太の手をつなぐ優花。その想像をイメージしながら嬉しそうには頷く健太だった。




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シリーズ 日々掌編短編小説 414/1000

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