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ハロウィン前の憂鬱

「今年もハロウィンか」10月初旬、フィリピン人のニコール・サントスは、出勤のために店に向かう最中にため息をつく。町中ではハロウィンの飾り付けが本格化し、ジャックオランタンという名のお化けカボチャが、あふれ始めていた。
 もともと日本文化に憧れがあり、かつ姉を頼って日本に在住して数年。今ではチェーンのクラフトビール専門店を任され、気が付けば店の常連客だった西岡信二と付き合い始めていた。
 公私ともに充実しているから、ニコールにとって今では日本が完全に自分の拠点。日本語もほとんど問題ない。だがこの時期だけは、どうしても不満があった。それはハロウィンこと。
「ケルト発祥の悪魔の祭りが、何でこんなに盛り上がるのかしら」

 それもそのはずであった。祖国はキリスト教・カトリックの国であるフィリピン。ニコール自身も敬虔なカトリック信者である。
 マニラでは10月に入ってハロウィンなど登場することはない。日本よりもはるか先に、この時点で早くもクリスマスモードが全開なのだ。

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(参考画像:クリスマスの70日前・10/16のフィリピンマニラのショッピングセンターの様子)


「まったくここだけがね、日本の嫌なとこ。祖国ではもうクリスマスの準備が始まるころかしら?それに日本では、12月25日終わったらあっさり辞めちゃうけど、本当は1月6日まで。祖国では2月ごろまでツリーが残っていたりするのに」
 と、この時期になると、必然と愚痴がこぼれるニコール。11月に入れば日本もクリスマスモードに突入するため、気持ちのうえで落ち着くが、とにかく10月中は機嫌が悪い。それは職場であるクラフトビールの店に到着してからも変わらない。

「店長、来ましたよ!今年もハロウィンの飾り付け」「やっぱり今年もきちゃったか。あそこはいつも10月にハロウィンの飾りよこすのね。まだ3月のセントパトリックデーは許せるけど」
  開店前の店内ではスタッフが、ビールメーカーから送られてきたハロウィンの飾り付けに必死になる。それほど大したものはないとはいえ、これひとつとってもニコールにとっては頭が痛いのだ。

 こうしてこの日の営業が始まった。ハロウィンモードに店内が着飾った初日である。「月末が悪夢だわ。でも絶対休めないし、ふぅぅ」ニコールはいつもにもまして、ため息をつく。もちろん客の前ではそんなそぶりを見せないが、客がいないとわかると、顔が厳しくつまらなさそうである。

「おい、ギネスを!」突然の声。この件で考えごとをしていたニコールは、慌てて客の顔を見る。「あ、信二。いらっしゃい」「どうしたんだ。今日はやけに元気がないな」

 フリーライターの西岡信二は、いつもニコールがいるビールのタップが並んでいるカウンターに座る。店のスタッフは、信二とニコールの関係は薄々知っていた。だから彼が来た時などは、できるだけ介入しない。
「うん、大したことではないんだけど」と言いながら、信二の好きなギネスのパイントを注ぐニコール。さすがにタップの手さばきは、普段の感情的なテンションの上下に左右されることはない。
 いつものように窒素混合ガスの入ったギネスの真っ黒なボディとその上にうっすらと覆う、きめ細かな泡が表面張力ぎりぎりまで注がれている。そして手渡されると、つものようにゆっくりと右手でグラスを慎重に取るとギネスを一口すする信二。そのあとはやはりいつもの通り、窒素混合ガスの泡が口元につく。

「で、どうしたんだ。変な客でも来たのか?それともまた例の絵描きが」「違う。絵描きさん関係ない。今日は来ないけど多分月末」「月末に変なな客?あっ」このとき、信二はすぐに意味がわかった。
「ハロウィンだな。まああの日は、街中仮装の若者があふれるからな。ここみたいにハロウィンを祝うような雰囲気で、迎え入れている店だとそりゃ来るよ。だいぶ酔った奴が来て絡んでくるのか?欧米人とか」しかしニコールは軽く首を横に振る。

「酔っぱらいは別にどうでもいいけど、ハロウィンは異教の祭りで私の祖国にこんなのなかった。もうクリスマスの気分なのに、月末になったら気味の悪い、悪魔のような仮装をした人ばっか来るのよね。
 もっとかわいい恰好すればいいのに。もうそれが嫌で」ニコールは眉間にしわを寄せながら小声で愚痴る。信二はその愚痴を聞きながら、ギネスを喉を鳴らして多い目に飲む。気が付けばパイントグラスに半分くらいになっていた。
「やっぱギネスはうまい。まあ、昨今のハロウィンは、酔っぱらいが盛り上がるだけだからな。血のりとか使って、血まみれになっている奴とか。冷静に見たら確かに危ないよな」 
「本当は次の日からが『諸聖人の日』と『死者の日』と続くお祭りで、そっちが重要なのに」「あ、それカトリックの行事だね。でもここ日本だからな」
「で、信二も、去年までやっぱり仮装してたの?」「え、あ俺はやらない。実は俺はハロウィンには特別な思い入れがあって」と言って、またビールを一気に飲む。「あ、お代わりね」ニコールの声に信二は大きくうなづく。
「そうだ、次の休みはいつだ?」「えっと、明後日かな」
「よし、もし都合が良ければ、連れていきたいところがあるんだ」

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 2日後、信二の指定した場所と待ち合わせ時間に、ニコールはやってきた。デートということもあるからと、ニコールは店の時のような黒いパンツスーツではなく、白い長そでのブラウスに柿色のフリルのロングスカートを履いてきた。ここは都心から少し離れた住宅地の最寄り駅。「おう、悪いなこんなところまで」とすでに信二は待っていた。
「別にいいわよ。今は少しでも気が晴れるところに来たほうが楽」と店で見たとき違い、笑顔を見せる。
「ここから10分くらい歩いたところにあるんだ」「へえ、どんなところ」「それはついてから言うよ」というと、手をつないでふたりは歩いていく。

「でも、仮装パーティそのものは否定しないのよ」歩いてすぐに始まるのがニコールの愚痴。駅前には小さな商店街がある。その商店街のお店にもジャックオランタンのカボチャを飾っている店が目立つので、思い出したようだ。「でも、もっとかわいい恰好すればいいのに。どう今日の私。こんな感じとか」
 それをしばらく静かにみる信二。しかし途中で笑う。「ハハハッ!でもそのスカートの色。思いっきりハロウィンの色じゃないか」「え?あっ!」「いいよ。僕の思い出の詰まったハロウィンのところまで、間もなくだから」という信二の横で複雑な表情になるニコール。でも手はつないで仲良く先に進む。

 しばらく歩いていくと、商店街もなく住宅が続くエリアに来た。そして「あ、ここ」と信二が指さした。
「え?児童施設!」ニコールが驚いた表情をする。「そう、あ、まだ言ってなかったっけ。俺の親のこと」
「うん、聞いたことないわ。私のほうは」「ああ、もうお姉様とそのご主人のえっと落語家さんじゃなかった、バーのマスター」と言って口を緩ませた。
「私のほうはいいから」「そう、俺、両親はもういないんだ」「え!」
 ニコールは驚きのあまり声が裏がえる。「俺が小学生のときに母が病気で亡くなって、父とふたりで生活してたけど、中三のときに、父が交通事故で」
「そ、そんな」ニコールは悲しそうな表情になり、信二の手を握る。

「それで、ひとりになったから、だれか保護者が必要となったんだけど、実は伯父さんが、この児童施設を運営していたんだ。だから自動的にここにお世話になったってわけ」
「ああ、そうなんだ。じゃあ信二の実家なのね?」「まあ、そうなるのかな。大学に行くまでの高校の3年間は、確かにここで生活していた。それでここには、いろんな事情で身寄りない子供がやってくる。小学生以下の子供が多いんだ。だから俺は高校に入ろうというときに入ったから、いきなり現場のリーダーというか監督者みたいになったな。まあ大変だったけど、今考えたら楽しい思い出だ」

 こうして中に入る信二。ニコールもあとに続く。ドアのブザーを押して開くと同時に「こんにちわ」と信二があいさつ。
「あ、信ちゃん! でもパーティにはまだ早いわよ」「あ、わかっている。ちょっと近くに来たんで、顔出しちゃった」信二と会話しているのは、髪に白いものが目立ち始めている年配の女性。
「あ、伯母さん。紹介するよ。こちらニコール・サントスさん。フィリピンから来たけど、日本語は問題ないよ」突然紹介を受け、慌ててニコールは頭を下げると。「あ、に、ニコールです。西岡さんには大変お世話になってます」とあわただしく挨拶する。
 それを見た伯母さんは笑顔になり、「フィリピンから来られたの。初めまして、この施設の副所長をしています岡田芳江です。信ちゃんがお世話になっているのね。まあ、せっかくだから上がって、お茶でもいかが」

 こうして施設内に入るふたり、テーブル席のある大きな板の間に通された。「3か月前に1人、先月1人新しく入ってきて、いまちょうど18人ね」「みんな学校か?」「そうよ。あと1時間くらいしたら続々帰ってくるわ。5人の幼児たちは、今奥の部屋でお昼寝中」
「あれ伯父さんは?」「あ、所長はちょっと出かけてるわ。今日はいろいろ役所周りとかするから夕方まで帰ってこないのよ。せっかく信ちゃん帰ってきたのに、もうあの人タイミング悪いんだから」と、つぶやきながら芳江はお茶を飲む。
と、ここで電話のベルが鳴る。「あゴメンちょっと待ってね」といって、芳江は電話のほうに向かった。

「ニコール。俺は大学進学と同時に、ここを出て独立したんだ。だけど定期的に戻ってきて、子供たちのパーティの手伝いをしているんだ。
 ハロウィンのほかにはクリスマス、それからお正月、あとは節分と花見、七夕かな。あと、不定期にいろいろな行事があって、できるだけ所長の伯父さんと副所長の伯母さんを手伝っている。ほかにスタッフはいるけど、俺が顔を出すと、みんな喜んでくれるから」
そういうとお茶をすする。

「で、ここではどんなパーティするの。まさか仮装?」
「まあ、仮装はするけど、子供の仮装だからかわいいものだよ。だって前の日からみんなで手作りで準備をするんだけど、みんなで折り紙を使って飾り付けをするんだ。で子供たちは仮装をした後、クイズみたいなゲームをして、みんなにプレゼントを渡して終わりなんだ」
 信二は嬉しそうに視線を遠くに移しながら、毎年ここで行うハロウィンパーティを回想した。それを聞くと嬉しそうな表情になるニコール。
「ねえ、今年はいつやるの。やっぱり31日?」「いやえっと、11月に入ってからなんだ。あとで確認するけど1日か2日。31日にやるとやっぱり、よそのイベントと重なるから、わざと日程をずらすんだ。だからちょっと変わっているでしょ」
「だったら私、その日来れるかも!」とニコールの声が大きくなる。「え!来てくれるの?」意外な答えに、驚きの声を上げる信二。

「うん、31日の夜は絶対無理だけど、それが終わったら休めるから」「本当に! みんな親がいない子供たちだから、いろんな人が来るほうが楽しんでくれると思う。だったら今度のハロウィンパーティは、一緒にここでお祝いしよう!」

「お祝いっていうのは、ちょっと... ...」と思いつつも、今年は例年とは違うハロウィンが楽しめる予感がするニコールであった。



※こちらの企画に参加してみました。

まだ間に合います。10月10日まで募集しています。
あと3日を切りました。よろしくお願いします。

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シリーズ 日々掌編短編小説 263

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