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ビーチから向かった先 第945話・8.27

「これってやっぱり遠浅の海かな」朝早くから声に出して呟きながら海を眺めている。この海が本当に遠浅なのかはわからない。ただ何となく遠浅のような気がした。
「確かめようかなぁ」そう心の中で思ったら無意識に浜辺を歩いている。この時間はまだ早朝、周りに人はいない。海の前は防波堤があり、そこには前の日に釣り人達が残したのか?持ち帰るのを忘れた魚もしくは放置した餌やごみをあさるかのように多くの鳥が舞っている。

 その中を一歩、また一歩波打ち際まで近づく。「ふ、このまま水に入ったら自殺を目指しているみたいね」そう口に出して呟くと、口元が緩み足が止まった。
「まったく自殺なんてしている場合じゃないわ!」誰もいないのにまるで言い訳をするかのように、大声で否定する。波はそんなことは無関係に定期的に押し寄せるし、遠くに見える鳥もほぼ意識していない。
 立ち止まってからはしばらく海を見た。波は一定のように見えるが、ときおり強い波が来ると、想像以上に水が上がってくる。そのためか履いている靴の下半分を濡らすところまで海水が来た。

「ちょっと近づきすぎたかなあ」ここで数歩後退し、また立ち止まる。そこからまた海を見た。鳥たちは相変わらず餌を探しているのか防波堤で止まったまま。大きく風景は変わらないが、初めて浜辺に来たときよりは明るくなっているような気がする。
 ここで腕時計を見た。「はあ、タイムリミットね」そう呟くと踵を返し、ビーチから離れていく。

「ありがとうございました」昨日はビーチの目の前のホテルで宿泊し、チェックアウト。海の前にあるホテルはリゾートホテルでもある。だから最寄りの駅まで無料送迎バスがあった。
 そのまま送迎用のマイクロバスに乗り込む。この日はほかにも客はいたかもしれないが、この時間は誰もいない。それもそのはず、午前7時前とまだ早い時間だ。ほとんどの宿泊客は、ホテルで朝のバイキングに舌鼓を打っているに違いない。

「素泊まりでいいのよ、雰囲気が良いのだから」送迎バスの後部座席に座り、ビーチの前にあるホテルから、道路に走っているバスの風景を見る。こうして頭の中であれこれつぶやいた。

 バスは朝の通勤直前で、まだ少ない車の合間を軽快に駅に向かう。定刻よりも5分早く駅に到着した。
 駅に到着し、そのまま改札に入る。ICカードが使える駅であったのが幸いしたのか、予定よりも一本早い列車に乗ることができた。
 ビーチリゾートの終着駅に待っていたのは、急行列車だ。だけど都心と結んでいるためだろう、ビーチリゾートはおよそ似つかわしくない通勤電車のロングシート。そのうえしばらくは各駅停車で、とある駅から急行運転となる。

 列車は駅を出てゆっくりと走りだした。乗客は0ではないがほとんどいない。ロングシートでスマホを見ながら今日の予定を確認する。さっきまでビーチでのんびり波を見ていたのに急に現実に戻された。だけどそれが社会人だから仕方がない。それでもたまに目の前を見ると、ビーチリゾートの名残というべき自然の残る風景が視線に入ってくる。
 やがて列車はある駅に到着すると、急に乗客が増えた。もう座席に座るような余裕はない。それ以降停車する駅には確実に乗客が乗ってくるが、彼らは諦めているのか立ったまま。それが駅に止まるたびにスペースが埋まっていく。目の前の車窓から見える風景も、客の個性が違うように見えながらも実は同じようにも見えるスーツ姿に隠されてしまった。

 列車が次に停まった駅でまた多くの人が乗ったが、ここから列車の動きは大きく変わる。ようやく急行運転となり、速度をアップし次々と駅を通過していく。それでも大きな駅には停車し、さらに乗客が増える。わかってはいるが朝の通勤ラッシュはやはり息苦しい。
「もう目をつぶろう」だまって目をつぶる。列車の揺れは、そこから聞こえる衝撃音など視覚以外の五感から引き続き伝わるが、目の中から見えるのは先ほどまでいたビーチの雰囲気。せめて空想だけでも、早朝に焼き付けておいたリゾート気分を温存している。

 列車はやがて終着駅を告げた。大都会のターミナル駅だ。列車はゆっくりとホームに入る。終着駅らしく10ほどのホームがある巨大ターミナル駅らしい。誰も頼んでいないのに凱旋するかのようにゆっくりと駅に滑り込む。到着と同時に我先にと、人々は列車から出ていく。それをすべて見終えてからゆっくりと立ちが上がる。すでに反対方向には、折り返しのこの列車に乗り込もうと、待ち構えている人の殺気ある視線が突き刺さった。それを気にせずに、ゆっくりとホームに降りる。

「一本早いとこんなに余裕があるのか」
 誰にも聞こえないほどの小さな声を出し、時計を見ると午前8時過ぎだ。予定より10分早く改札を出た。このターミナル駅は高架の駅なので、エスカレーターで下に降りる。
 この駅は都会を隅々までつなぐ地下鉄とつながっていた。そしてさっきまで乗っていた多くの乗客は、地上まで降りても物足りないかのように、地下鉄の駅に向かってエスカレーターをさらに降りていく。それを見ながら地上の位置でエスカレーターを出る。こうして彼らとはおさらば。

「ターミナルからすぐというのが魅力的ではあるけどね」今度は頭の中でのささやき。駅のターミナルを歩き50メートル、数えれば4番目くらいだろうか、そこには20階以上の高層ビルが建っている。だがその手前にあるビルの1階にあるコンビニに入って買い物をした。
 それから改めて高層ビルの入り口に入る。一回のホールにある10台のエレベーター。その中で最も最初にグランドフロアに来るエレベータの前に立つ。すでに何人かがそこで待っている。そこに吸い込まれるとエレベータに乗り込んだ。いつも行くのは16階。そこで降りると、いつも見慣れた風景がそこにある。

「おはようございます」とは後輩の声。「ああ、おはよう」と返す。
「先輩、夏季休暇どうでした」と後輩がなおも話しかけてくる。それに対して、「まあ、リラックスはできたかな」と一言。こうして一週間の夏季休暇を終え、午前9時から始まる企業戦士としての日々が再び始まるのだ。

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