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バイクに乗りながら俳句を詠みたい 第574話・8.19

「お、ここがいいな」松尾良太は、富士山が見えるあたりでバイクを止めた。彼は自らを、松尾芭蕉の子孫だと自称している。だが実際には妻のいない芭蕉には、直系の子孫がいなかった。だが彼が言うには、芭蕉の兄弟が松尾家を継いだので、その子孫だという。そして彼は、誰よりも芭蕉を尊敬していた。
「本当は俳句のひとつでもだけど、とても無理だなあ」
 良太は俳句を作ることをあきらめていた。だけどせめて芭蕉の足跡をと言うことで、残された芭蕉の句を一句ずつ丁寧に読んでいる。
 そしてついに彼は行動に出た。彼は芭蕉の句の足跡の中でも最も有名で長旅だった『奥の細道』。この足跡を実際に見ようと考えたのだ。

 当時は江戸時代で、江戸を経って徒歩で東北から北陸を歩いたであろう松尾芭蕉。良太は歩く自信はなかった。そのため愛用のバイクを使って足跡をめぐるひとり旅の最中。
 実はこのとき目的はすでに終わっていた。東京出身の彼は、そのまま足跡のあるルートを走り、奥の細道の終着点、大垣まで行った。そして後は芭蕉の故郷伊賀上野に立ち寄ってから、東京への帰り道。良太の旅もいよいよゴールが迫っていた。

「さて、その気になれば、今日中に家に帰られるだろう。でもこの旅もあとわずか、最後に余韻を楽しんだ方がいいかしれないな」
 目の前に大きく見える富士山を眺めながら良太。実は東京に帰るまでにもう1泊するかどうかで悩んでいた。

「芭蕉なら、この風景に対してどういう句を詠むのかな」
 良太はいつも持っている芭蕉の句集を取り出した。奥の細道は富士山の前は通っていないが、芭蕉自身は何度も富士山の前を通っているので、富士山を詠んだ句は存在する。
「今の僕の心境はこれかな」良太は芭蕉が富士山で詠んだ句を朗読した。

富士の風や扇にのせて江戸土産

「いいねえ。これは延宝4(1676)年の蕉翁全伝で、扇が季語なんだよな」誰も聞いていないが、自分自身に言い聞かせるかのように良太は朗読すると解説を始めた。
「故郷への江戸土産が、扇に乗った富士の風か。いゃあ風流だなあ。伊賀上野に帰る途中なんだろう。でも僕は江戸土産じゃなくて今から江戸だったところに帰る。富士の風もバイクで帰ったら暴風だな」良太はバイクと富士を交互に見つめながらひとり笑った。

「さて、ここで僕も句をと言いたいが」と言って、言葉をつぐんだ。それもそのはず良太は俳句が読めなかった。否、読めないことはない。
 実は芭蕉を意識し始めた5年位前、今まで俳句のコンテストのようなものに何度も挑戦したことがある。でも入選どころか最初の一次審査にも残らない。そんなこともあり、自ら句を詠むのは半年ほどで断念。
 以降は、俳諧の偉人で、一族の先祖でもある芭蕉の句を、旅先で朗読することが楽しみとなっていた。
「ご先祖様の時代に生まれたら、もう少し風情のある句が僕でも読めたかな。でも生きてる時代が違うもんな」
 良太が言い訳のようなことをつぶやくと、後ろの方で人の気配がする。

「ほう、芭蕉の句ですかな」後ろから見知らぬ声が聞こえ、慌てて振り返る。
 すると年のころは40歳から50歳くらいの男がいた。黒っぽい和服姿で頭に帽子をかぶっている。服は短いのか、黒い和服は脚の途中で切れており、その下には白い下着のようなものが足首まで見えた。そして木の杖を持ち竹で編んだ笠、さらに足元も雪駄のようなものを履いている。
「まるで絵に描いたような俳人だ」
 良太はまさか富士山の見えるところで、俳人に会えるとは思えなかったので、緊張とうれしさが同時にこみ上げた。
「あ、こんにちわ、あの、俳句の先生ですか?」「先生と言うほどではないが、俳句は詠むな」と俳人は笑顔で答える。
「僕は、俳句に興味はありまして、実は松尾芭蕉のファンです。で、こうやっていつも芭蕉の残した句を、風景をバックに朗読するんです」
「ならご自身は詠まれるのかな?」俳人の問いに良太は首を横に振る。
「いいえ、とてもそんなの詠めません」

「ほう、それは何で詠まないのかな。俳句は五七五で合わせ、季節の言葉を入れれば、一応成立すると思うが」

「あ、詠んだことはあるのです。でも、その、どうも才能がないようなんです。それ、たぶん現代だからかもしれません。憧れの松尾芭蕉のような江戸の風情ある浮世絵の世界に来れば、読めるかもしれませんけど」

「才能、本当にそう思うのか」「はい、そんな気がします」
「よかろう。では5秒間目をつぶりなさい」「え?」自信に満ちた俳人の声、彼を俳句の先生と思い込んでいた良太は、言われたとおりにする。

 5秒が経過したので良太は目を開いた。

「あれ?」良太は突然自らの身に起きたことに、動揺を隠せない。現代風の建物が消えている。すぐ前の広場のようになっていたところがなく、雑草が生い茂っていた。そしてバイクすらもなくなっているではないか!「え?」
 そしてさらに不思議なこと。自らの格好がおかしい。突然黒い和服を着ていて手には杖と笠を持っていた。「まさか?」良太は頭に手を置く。予想通り、帽子をかぶっていた。
「どういうこと? え、ねえ、え、ちょっと!」良太は狼狽する。心臓の鼓動が耳元に聞こえた。「何かとんでもないことに巻き込まれたのでは?」と、後悔が走る。同じなのは、万年雪を残した富士山の姿のみ。
「慌てるな。これが江戸の風景だ。富士山は同じで後は違う。さあ、君の望み通りにしたぞ。江戸時代の雰囲気で、一句詠んでみよ」エコーがかった男の声。
「え、この雰囲気で、一句って。そうか江戸時代、浮世絵の世界だな。よし、え、え、ああ、うん、これしかない」頭の中が複雑な意図で絡んだようになっていた良太は、思い付きで詠む。

雲を根に富士は杉形の茂りかな

「ふっ 誰が人の句を読めといった! それは33歳のときに作った句だ。勝手に使うのではない。自分の句を詠め」
「え、ああ、芭蕉の句ってバレたか。だよね。先生だもん」静かに呟いた良太は大きくため息をつく。そして目をつぶって呼吸を整え自らを落ち着かせる。「もう一度考えよう。浮世絵の世界、芭蕉の世界」そして目を開くと富士山を見つめ口をゆっくりと開いた。
「ふ、富士のやま」とまで言ったが、そこから次が何も出ない。
 1分ほどの沈黙の後、良太はしゃがみ込み。
「できません、先生、やっぱり江戸時代の雰囲気でも句が......」

「ワッハハハハハ!」エコーが買った笑い声。「どうだ江戸の雰囲気でも簡単には詠めないだろう。つまり時代は関係がない。でもせっかく志した俳句ではないか。別に下手でも最初は問題ない。
 うまくなるよりも、楽しんで読むことから始めるのじゃ。だからもう一度自分の俳句を詠みなさい」
「そ、そうですね。先生ありがとうございます」良太は声が聞こえる方に向かい何度も頭を下げた。

「では、もう一度5秒間目をつぶりなさい」良太は言われるまま目をつぶる。この間、気になる疑問をぶつけてみた。「あなたは一体どなたですか?」良太は答えがないことを覚悟のうえで質問する。
「君が名乗れば私も名乗ろう」「僕は松尾です」「ほう、偶然だな。私も松尾だ」その後、声は途切れた。

 すでに5秒以上が経過している。良太は目を開けた。「あ!」気がつくと元に戻っている。風景は現代だし、バイクもあった。富士山は同じだけど。そして先ほどの和服姿の男性の姿はない。もう声は二度と聞こえなかった。
「ああ不思議な体験だ。一体何者なんだ。あの人も松尾。え、まさか」幻覚か夢と思いつつも、良太はあの俳人を松尾芭蕉だという気がした。
「33歳の句って、まるで自分で作ったような言い方してたし。と言うことはあの人は御先祖様で、俳句の大師匠!」良太は身震いした。

「でも、あの人も言っていたんだ。よしもう一度僕は俳句を詠んでみよう」
 こうしてなぜかすっきりした良太、もう一度富士山を見た。どの時代にも存在し続けている、霊峰富士の姿をゆっくりと眺める。

「よしさっそく。ああ。急にはダメか。あ、そうだ! もう一泊箱根あたりで宿泊して、そこで真剣に考えよう」
 そういってもう一泊することを決めた良太。「バイクで一句もいいな」そう呟きながら、バイクにまたがると、富士山を背に走りだすのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 574/1000

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