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900円のメニュー 第900話・7.12

「いやあ、今の時期は熱中症もありますからね。いや。本当に注意してくださいな」「マスター解ってますって。もう遊歩道から離れて山に迷うことしませんから、じゃあまたね」
 常連客だろうか?店の主と仲良く話をしている客がちょうど去っていく。入れ替わりで入店したのは正樹とパートナーの敦夫。
「ほう、なかなかよさげな店だな」敦夫は正樹とデートでこの街に来ていたが、最後は居酒屋に行こうとふたりで探し回った。そのとき正樹が「敦夫さん、ここ気になりますね」と、この居酒屋を見つけたのだ。

「いらっしゃい、カウンターでいいですか」店の主に言われ、ふたりは同意。先ほどの常連客が利用した隣の席に座った。店内はカウンターのほかにテーブルがいくつかあるが、テーブルは既にほかの客で埋まっている。
「さて、何があるかな」カウンターの上にはメニューが置いてあった。正樹はラミネート加工しているメニューに目を通す。一方敦夫は、店のカウンターから見える短冊を眺めながら、「生ビールをふたつ」と注文する。「今日はこちらがお勧めですよ」店の主は、敦夫の前にホワイトボードを持って来てくれた。「ほう、これがおすすめか」敦夫はホワイトボードを見る。造りの盛り合わせをはじめ、恐らくこの日水揚げされたであろう魚の名前が並んでいた。
「ひとつの魚よりも、やっぱり造りの盛り合わせだな」敦夫はホワイトボードのいちばん上を指さす。
「あ、わかりました。造り盛りですね」と店主はうなづくと、正樹も決まったようだ。「あと、焼き鳥の盛り合わせも!」
 こちらはレギュラーメニューのようである。「ほう、焼き鳥か」敦夫はさっそく持ってきたジョッキのビールを持ち上げた。「まずは乾杯!」正樹もジョッキを上げると、ふたつのジョッキが接触。その衝撃で聞こえる高い音が店内に響いた。

 ふたりはビールの入ったジョッキを口につける。炭酸を含んだ黄金の液体が、ふたりの口の中に次々と吸い込まれていく。口から喉めがけて一直線で流れていく冷たい液体。さらに流れの堰のような役目を果たしているかのように喉が何度も動く。
 ここでふたりはビールを飲み終えたが、敦夫は早くもジョッキ半分を飲んだのに対し、正樹はジョッキ三分の二ほど残っていた。
「ふう、やっぱりビールはいいねえ。おう、正樹、造り盛りは900円だが、まあ妥当だろう」と早くも上機嫌に語る敦夫、それを聞いた正樹は少し驚いた表情。「900円、あ、僕の頼んだ焼き鳥も同じ900円です」と続いた。「ほう、面白いな。盛り合わせ系を頼むと、そのくらいはするんだろうな」とまで言い終えると、残りのビールを一気飲み。
「さてと、次は日本酒にでもしようか?お、地酒があるな。さて何にしよう」敦夫がドリンクメニューを見ている間に、造りの盛り合わせがさっそく登場。5種類の異なる魚介類は、素人でもわかる鮮度良さで、それも輝いている。

「先にいただきますね」正樹は、先に白身の造りに手を出した。「よしこれにしよう。大吟醸だ」
 敦夫はそういうと、スタッフにドリンクを注文。「さっそく、日本酒ですね」正樹の問いにうなづきながら、敦夫は何かに気づいた「お、へえ、正樹面白いぜ。これも900円だってよ」「え!そしたら今日は900円のものばかりにします?」
 そういうと正樹はメニューとにらめっこ。ところが今までが偶然にそうだったらしく、こうして改めて900円のメニューを探しても簡単に見つかるものではない。「探すと、意外に無いのか......」近いのはある。850円とか950円のもの。だがこうなると意地でも900円の物がないか探してしまう正樹。「ドリンクもそうだな。900円のものなんて、大吟醸くらいか」敦夫も気になったのか900円のメニューを探し始める。ふたりの間に少しだけ沈黙が続く。その間に焼き鳥盛り合わせがふたりの前に現れた。

「あ、敦夫さん見つけました!」ようやく沈黙を破ったのは正樹のほう。「大海老天丼です」それを聞いた敦夫は戸惑った表情。「おいおい、それお昼のメニューじゃないか?」「いえ、締めの欄にありましたよ」と正樹が反論する。残っていたビールを飲み干すと、ビールをお代わりした。
「うーん、ま、いいか。900円で統一しよう。良し、大海老天丼も注文だ」ビールのお代わりを聞きに来た店員相手に、慌てて敦夫は追加注文した。

 この後は男同士ふたりだけの世界に入って、延々と愛を語り合う。楽しい飲みが続いた。だがそんな楽しいひと時もいつまでも続かない。やがて帰る時間がきた。「敦夫さん、今日は900円のものばかり注文したから900で割れる数字かもしれませんね」顔を真っ赤にしている正樹。そこまで赤くない敦夫は意味深な笑いを浮かべる。
「なるほどな。だが正樹よ、消費税があるから多分それは違うと思うな。税込みの金額じゃないだろうしな」と敦夫は返事をしつつ、いつの間にかふたりは手をつないでレジに向かった。レジの前には、先ほど慌てて注文した大海老天丼が写真付きのメニューとして壁に貼ってある。

 だがふたりの結論は大きな間違いであることに後でわかった。なぜならば、ふたりはビールをはじめとするドリンクをけっこう飲んでいる。大吟醸以外は、900円ではないという事実に、まだ気づいていなかったのだ。

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