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「電車の先走り」って何?

「ふーん。京都市電開業記念日かぁ」「市電開業? ホアちゃんそれなに」
 タブレットを操作しているベトナム人妻・ホアの声を聞いて、反応したのは夫の圭。

「ああ、何かね。2月1日って、日本初の路面電車が京都で営業を始めたんだって」とにこやかなホア。妊娠中とはいえ、子供のようにあどけない笑顔は相変わらず。圭はそれを見るだけで、ホアのことが可愛くて仕方がない。
「またホアちゃんマニアックだなあ。そんなの調べてたの。京都に市電って昔の話。もうないよ」
「まあ、調べたというか、たまたま見つかったというのがいいのかな。開業したの明治時代、1895年なんだって」

「そんなの言われてもね。今じゃ京都は地下鉄走ってる時代だよ」
「ベトナムも今地下鉄工事の最中だよ」急にムキになるホア。圭は口を緩ませ、なだめるように。「あ、それは知ってる知ってる。2021年中に完成予定なんだよね」ホアは嬉しそうにうなづく。
「でもベトナムはいい。それはどうせ南部のホーチミンだし。それより京都の市電」「え、もう無いのに何で気になってるの?」

「これが気になったの」ホアがタブレットを圭に見せる。
「なに、『電車の先走り』何にこれ? へえ、運転手の横にいて電車が停車しているときに、安全確認をしたり、『電車が来る』って叫びながら電車の前を走っていたりって、そんなことしてたんだ」
「すごくない、電車より走っている少年のほうが早いとか」「た、確かに。今の電車じゃ絶対無理だ。こんな事したらひかれちゃうよ」

「だから」ホアは笑顔で圭に体を寄せてくる。「な、なに急に!」「私たちも真似してやってみない。この少年みたいなの」と甘えた声でつぶやく。

「はあ? ちょっと待って。ホアちゃんそれはダメ。大体身重なんだぞ、お腹の子に何かあったらどうするの!」圭が強めに叱る。お腹の中の子供のことを言われると、ホアは何も言えない。うつむいて黙ったまま、拗ねることしかできないのだ。

「ああ、また拗ねて。わかった。じゃあ、京都市電はもうないけど。似たようなもの見に行くか」
「うん、行く!」途端に元気に笑顔になるホアである。

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 圭はホアと共に家を出て、あるところを目指す。そこは地下鉄の西大路御池駅であった。「圭さん、地下鉄じゃなくて市電みたいなといったのに」
「わかってるって、それはすぐ近くにあるから」
 圭は地下鉄の駅の出口に上がってくると、目の前の道・西大路通りを南方向に歩く。するとそこには路面電車の線路がある道に出た。「あ、これが市電!」

「そう、厳密には嵐電だけど、最も路面電車っぽいところがここなんだって。このまま少し歩いた先にある山ノ内駅が、市電の停留所になっているんだって」
 圭に言われるままホアはついていく。広い道路の真ん中には複線の路面電車の線路がある。ホアはしきりにそのほうに行こうとした。その都度圭はホアの袖を引っ張って歩道を歩かせる。ここは車の通行量も多かった。だから圭は、ホアの暴走を非常に警戒する。
「お、あれだな」しばらくして圭が指さす。そこにはオレンジの色をした場所がある。それが中央の複線の線路を挟み込むように二列に並んでいた。

「うわぁ、これが市電の駅」ホアは嬉しそうに歩道から停留所を眺める。
「うん、駅というより停留所だな。そう俺東京に住んでいたから都電荒川線にも乗ったなあ。あとそうそう俺の住んでいた近所。東急の世田谷線もそんな雰囲気だった。ああ懐かしいわ」圭は懐かしそうに路面電車の停留所を眺めた。

「あそこ行ってもいい」「え? いいけど、変なことしたらダメだよ」ホアはそれを聞くと嬉しそうに、横断歩道を早足で真ん中にある停留所を目指す。
 横断歩道は停留所の端とつながっており、2段ほどの階段状。すぐに停留所の上に登れる。「いいねえ。うぁあ、すぐ目の前に線路がある」ホアは嬉しそうにスマホで線路を撮影し始めた。
「そうか、昔はここで少年が走ってたんだな」ホアと一緒に停留所に来た圭はそうつぶやくと、突然停留所からジャンプするように降りて線路の上に立つ。

「あ、圭さんずるい!」「ホアちゃんはダメ! お腹の中に子供がいるから」圭は線路の上で、少年のように走るそぶりをして楽しんでいる。

「あ、電車がこっちに向かって見えてきたよ」「え、あ、わかった」圭は慌てて停留所に戻った。
 緑色とクリーム色に塗装した二両編成の電車は、線路を走る際につなぎ目で生じる衝撃音と並行して唸るように聞こえるモーター音をなびかせながら、どんどん駅の前に近づいてくる。
「圭さん。ねえ、今から乗ろうよ」「う、うん。そうだな」
 ふたりは行き先も見ずにそのまま停車する電車に乗り込んで行く。そして京都在住者なのに、まるで初めて京都に来た観光客のように、車内ではしゃぐふたりであった。


「画像で創作(1月分)」に、墨字書家・五輪(いつわ)さんが参加してくださいました

 大好評のアリスシリーズのワンシーン。親しい社長から贈られてきたスマホ画像として登場します。なるほど絵葉書的に使われるのは意外性があって新鮮でした。また本編の内容は中々壮絶な女性の物語。ぜひご覧ください。



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シリーズ 日々掌編短編小説 377

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