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親父たちのミーティング 第813話・4.16

「そっちは順調か?」陰になっているところ、奥から突然現れた男が、手前にいる男に声をかける。「まあ、いつもと同じだぜ!」これはとある市場のひとこま。
 まだ夜も暗い時から働き出していた親父たちは、すでにお昼になろうとしているこの時間になれば、1日の仕事が終わったようなもの。すでに市場を引き上げた者もいるが、ここにいるふたりは、いまだ作業をしている最中。

「うん、あと30分で終わるか」「お、おう、だな。だったらどうだい。ちょっとミーティングするか」奥の男の意を理解したのか、手前の男はすぐにうなづくと30分後に約束を交わした。

「さて、行こうか?」予定通り30分後、奥の男も手前の男も、この日の作業はすべて終了。そのまま帰らずにふたりは、市場を出てミーティングをしようとなる。ミーティングと言っても、しかめっ面をしながら小難しい議論をするわけではない。
 昼間から酒が飲めるような食堂と居酒屋が混ざったような店に行って、そこで酒を飲みながら笑顔で行うミーティングのことなのだ。
 このような場は通常暗くなってから行うのが一般的だが、彼らのような市場勤めの者にとっては、そうもいくまい。明るいうちから飲むことになるから、表向きは「ミーティング」と称して、違和感のないようにするのだ。


 ふたりは市場を出た。市場の中にもおいしいお店はいくらでもあるが、「ミーティング」と言った以上、ふたりはそこにはいかない。別の場所だが、所詮駅に向かう道すがら、徒歩圏内に向かう。
「ここにしようか」奥の男がある店を指さす。「おお、ここは初めてかな」
「へえ、知らねぇのか?こいつは意外だぜ、ここはオススメだ。よし入ろう」

 時刻は午後1時前になっていた。昼間のランチタイムも営業している店だが、ランチメニューはない。なぜならばこの親父たちのように昼間からミーティングと称して酒を飲む人が通いやすい店になっているからだ。
「まずはビールだな」手前の男の提案に奥の男は同意した。

 早速ビールが運ばれると「ではミーティングスタートだ」「オッケー」と英語交じりに言葉を交わす。すでにどちらの男も顔が仕事場ではありえないような緩んだ表情。
 そのままビールのジョッキを前に突き出すと、各々の口にビールをつける。炭酸交じりのアルコールの液体は、親父たちの口の中に入ると、次々とのどを目指して入っていく。口の中は炭酸とアルコール、そしてビールの低い水温により、瞬く間にそれまでとは別世界に変わっていった。


 それからふたりとも仕事が終わる30分前に交わした約束事。「ミーティング」を決めてからは、この口の中が別世界になる瞬間をひたすら待っている。
 それまでの30分間は本当に辛かった。「飲みたい!」という衝動にかられながらも、まだできない事へのいら立ち。もしこの日ミーティングの話がなければ、作業を冷静に対応し、そのまま家に戻って昼間から横たわるだけだった。
 つまりいつものような、ルーチンのような時間が流れるだけに過ぎない。だが「ミーティング」をすることが決まったことで、気持ちの上で揺さぶられていた。
 これは一種の依存症なのだろう。もう早く口にこの黄金の液体を取り入れたくて仕方がない。ようやく苦痛の作業が終わり着替えが終わって、ミーティングの相手と連れ立ったときが最もうれしいひと時だ。
 
 だけどそこから、ミーティングに利用すべき店が決まるまでがひと悶着。すんなり決まらないと、又いら立ちが募る。
「いつになったら黄金の液体が」となるわけだ。だがこの日は特に揉めることもなく、奥の親父が見つけた店を手前の親父も同意した。だから予想以上に早く、黄金の液が口の中から体内に入れられ、至福のひと時を過ごす。

「おい、もう飲んじまったのかよ。早いな」手前の男が奥の男にそういうが、奥の男は笑いながら「おめぇさんも、飲んじまってんじゃねえか」と突っ込んだ。すでに手前の男はビールのお代わりを注文していた。

 ここからようやくお酒のつまみになるものを決める。焼き物がいいのか揚げ物がいいのか、あるいは生ものか?こうして議論が始まった。ある意味ようやくミーティングが始まったといえるだろうか?
 こうして少しばかりの議論がまとまると、食べ物の注文が始まるのだ。

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「そろそろ帰ろう」「ひ、お、おちゅかれさんです」奥の男は少しろれつが回らないほどの飲みっぷり。手前の男は言葉こそしっかりしているが、顔は鬼のように赤い。
「今日も楽しいミーティングだったな」「あああ、明日はいち日や、休み、かえって一日寝ますわ」
 奥の男はいつも以上にふらついている。「おい大丈夫か?家まで送ろうか」「いや、問題ない」手前の男に指摘されたことで少し酔いがさめて冷静になった奥の男。言葉も元に戻りそのまま最寄り駅まで来た。

「そうだ、俺達ってやっぱりラッキーだよな」改札を前にして奥の男が意外な事を言う。
「なんで」「だって、一般の人間は仕事が追わって5・6時間飲んだら電車無いよ。俺たちまだあるもん。もう夕方のラッシュタイムだけど」
 奥の男は酒臭い息を出しながらそう言うと、改札に吸い込まれた。

「そういわれればそうだが、でも出勤がねえ」対照的に手前の男は帰りの社内でも複雑な表情を崩さない。酔っているから余計に考え込んだ。何しろ毎日最終電車で市場に出社しているからなのだが。
 電車に座った手前の男はそのことを考えているうちに、気が付いたら眠ってしまった。

 その後、この男がどうなったかについては、ご想像にお任せしよう。




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