見出し画像

津 第932話・8.14

「どうせならこの鈴鹿市だったらなぁ。でもどっちにしろ夕日は反対方向か」
 奈津子は仕事の出張で三重県に来ている。目的地は今いる鈴鹿市の南にある津市。津といえば三重県の県庁所在地で、「つ」という一文字で表現できる都市であったが、それ以外に何があるのかということについて、いまいち沸いてこない。

「鈴鹿サーキットや伊勢志摩、伊賀忍者に松坂牛、湯の山温泉、四日市の工業地帯に桑名の焼き蛤......あと南の方も熊野とか尾鷲とかだったら何かと浮かぶけど、津って意外に何があるのかわかってないのよね」
 奈津子は調査会社に勤めている。あるクライアントからの依頼で津のイメージをまとめる必要があった。本当はそのまま津駅前のホテルに直行すればよかったが、その前にイメージを膨らませようと手前の白子駅で下車、歩いて10分くらい東の方に歩けば、海がある。白子漁港を河口にしている堀切川を渡ると砂浜が広がっていた。

「ここは北側の千代崎ビーチから続いている江島の海岸ね」奈津子は頭の中で自分自身に問う。「この辺りはずっとビーチが続いているけど、ビーチじゃねぇ」
 奈津子は正面にある海岸を見る。定期的に打ち寄せる波の音、ときおり肌にぶつかる潮風が心地よい。方まで伸びている黒髪が潮風になびく。太陽の日差しは反対側から照り付けているが、間もなく白子の町の建物に隠れてくれそうな雰囲気。とはいえ暗くなるまでに津の市街地に入った方がよいだろう。

「やっぱり行きますか」奈津子は離れたところにしか人のいない浜辺て独り言をつぶやくと、踵(きびす)を返すように駅に向かった。白子駅から津駅までは各駅停車に乗っても20分ほどで到着する。
 次に白子駅のホームに入ってきた各駅停車の電車に乗り込んだ。空いている電車の座席に腰かけると、奈津子は少しでも津に関する何かが無いか探し始めた。

「ありきたりだけどやっぱり城下町としての津を取り上げるのが良いかしら」奈津子はスマホを片手に津城の情報を調べている。
「別名が安濃津城(あのつじょう)か、なるほどね」奈津子はスマホ画面を見ながら頭の中で整理。「あと何かないかしら、お、近くに津観音なんてあるわね。へえ709年創建だったら奈良の平城京より1年古いわ。それから織田信長の母の墓がある四天王寺も非常に気になる。やっぱり歴史の町なのね。津って」
 奈津子は津の歴史から今回のリサーチを行うことに、ほぼ固まりつつあった。これらの史跡には翌日行くことにして、今日はそのまま津駅前のホテルに行こうとした矢先のこと。

「次は、江戸橋です」と車内のアナウンスが聞こえた。「江戸橋!三重県に江戸がついているところがあるの?」奈津子は心の中で叫んだ。浜辺にいたころよりは日が沈みかけているがまだ明るい。今日中にみられるところは見ておこうと、津駅前のホテルではなくて、その前に次の江戸橋駅で降りることを奈津子は即断した。

 こうして奈津子は江戸橋駅に降り立つ。「さて駅名由来の江戸橋はどこにあるのかしら」奈津子は駅に降りて地図を見ると、非常に近いところにあることがわかった。駅のすぐ南側には伊勢街道が通じており、江戸橋とはその伊勢街道に架かる橋のようだ。

 奈津子は駅から伊勢街道に入る。名前からして古い時代からある街道だとはわかるが、道幅は確かに狭いものの、周りには新しいビルなどが建ってあり昔の街道のような面影はどこにも見当たらない。
「まあいいわ、橋だけでも見ておきましょう」奈津子は江戸橋の方に向かって歩く。途中で道幅が広くなっていたが、やがて大きな石の灯篭を発見する。

「説明があるわ」石灯篭には説明があり、これは江戸橋常夜燈という名前だとわかった。「なるほど1777年のもので、津指定史跡、さらに津市内最古のもの。へえ、やっぱり歴史のある橋ね。え、伊勢のおかげ参りとも関係があるのか」奈津子は感心しながらメモを取る。江戸橋常夜燈燈の先に江戸橋があった。橋自体はコンクリート製であるが、欄干が木製になっていてそれなりの雰囲気はある。
「へえ、これは全然気づかなかった。よかったわ」奈津子は橋の袂から橋の様子を見る。

「え?」ここで奈津子は突然不思議なものを見た。みんな和服を着て髷を結っている人達が橋の向こうから大勢歩いてきている。その数4・50人だろうか?彼らは江戸時代の旅姿をしていて、各々が会話をしながら奈津子の前を平然と過ぎていく。まるで奈津子の存在に気づいていないようだ。
「ええ、ち、ちょっと」奈津子は慌てて首を横に振る。すると旅人の姿は消えて、代わりに橋の上を車が通過していった。

「幻か、ふう」奈津子は大きく息を吐くと、夕焼け空に照らされる江戸橋を撮影して駅に戻る。「ここからは15分くらいか、なら歩いて行きましょう。その方が、津について何か発見があるわ」奈津子は江戸橋駅ではなく、直接津駅目指して歩くことにした。そしてそれは正解である。暗くなろうとしている江戸橋から伊勢街道沿いに歩いていけばところどころに古い建物が残っていたから、当時の雰囲気が少しは感じられた。

「やっぱり歩くと暑い、あ、あそこにコンビニ発見!」奈津子は宿泊する予定のホテルのすぐ近くにあるコンビニに向かう。すっかり暗くなった町の中、コンビニの照明が、ひときわ明るい。そこで買ったのはアイスクリーム。「とりあえず部屋に入ったらアイス食べよう」と言って、アイスというより氷が入ったカップを買うのだった。 


https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E6%97%85%E9%87%8E%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%9C
------------------
シリーズ 日々掌編短編小説 932/1000

#小説
#掌編
#短編
#短編小説
#掌編小説
#ショートショート
#スキしてみて
#三重県
#津
#白子
#江戸橋
#この街がすき

この記事が参加している募集

スキしてみて

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?