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水時計で知る時空

「兄の容体がそこまで悪くなったのか」西暦671年の秋、後に天武天皇となる大海人皇子は、使いである蘇我安麻呂(そがのやすまろ)からの話を聞くと小さくため息をついた。
「皇子にはぜひお会いし、後事を託したいと仰せでございます」大海人と仲の良い安麻呂。しかし正式な使いのため、このときばかりは仰々しく頭を下げる。

 大海人は目をつぶった。数秒ほどの沈黙が流れる。そして目を開けると「わかった」と一言。すると安麻呂はゆっくりと大海人に近づくと。「皇子、よく注意してお話なされませ」と耳元でささやいた。
 大海人は再びうなづくと「そうじゃのう。兄上も凄まじい方だからな」と小さくつぶやきながら屋敷の外に視線を移す。
「兄は20歳のとき、鎌足殿と協力して母の皇極天皇の目前で、安麻呂のいとこおじにあたる入鹿殿を切り捨ててしまった、激しい気性の持ち主」
「これはまた非常に古きことを。あれは我が一族の入鹿おじにも大きな問題が!」安麻呂はそう激しい口調になりながら、あの暗殺事件はやむ無しとの立場をアピール。大海人はそれには気にせず、なおも話す。
「母が兄に譲位しようとしたのを断って、叔父がご即位なされ、孝徳天皇となられた。叔父上は当初張り切って改革を行い、そして難波に都が移ったのだが」

 ここで大海人は安麻呂のほうに顔を向ける。
「兄が実質的な権力を握っていたから、対立して難波からみんな引き揚げることとなった。結局叔父上を孤立させて早死。そのあともう一度母に即位させて斉明天皇にするなど、兄のやっていることは、とにかく強引すぎるのだ」
「大王であります天智天皇として即位されたのはその、母君が崩御されてようやく......」
 安麻呂が言葉を濁しながら天智天皇としてようやく即位したことを言うが、大海人は黙ったまま。

 すると鐘の音が聞こえた。
「お、ときを知らせる鐘の音であるな」
「はい、漏刻(ろうこく:水時計)でございまする。御即位前に作られ今年ようやく大津宮の新台に置かれて、以来、時きがわかるようにされた」
 安麻呂の言葉に何かを思い出すように大海人は目をつぶり、5年前の出来事を思い出す。

ーーーーー

「兄上、この水を流しながら時がわかるのですか?」大海人は見慣ぬ道具を見て目を見開いた。
「大海人、そうだ。すごいだろう。これはな。高いところにある水が低いところに一定量移動する。その移動が終わると、ひとつの時間がわかる」
 この時西暦666年。即位前の中大兄は、弟の大海人に遣唐使を通じて原理を知った漏刻の試作品を得意げに見せる。

「これなら日が出て沈むという大まかな時だけでなく、細かい時刻までわかります。非常に便利が良いですね」
「そうだろう。私が大王として即位しないのはこういう理由がある。即位すると儀礼など何かと面倒。そういうもの母に任せて私はもっと自由にいろいろ行いたい。政も実質的に取り仕切っているが、その余裕のあるときに、こういう新しい技術を実際に試して、世の中に役立てたいんだ」

「さすが兄上、素晴らしいお考えです」大海人がベタ褒めするので中大兄は思わず顔がしわくちゃになるような笑顔を見せた。
「だから弟よ。お前が頼りだ。一緒にこの国を良くしような」

ーーーーー

「あのときは、まだ兄と腹を割っていろいろ話せた。大陸の唐からの優れた技術。太陽の動きだけでなく、細かく時を告げてくれる漏刻のことを熱く語ってくれた兄のことが懐かしい。それが今では......」
 大海とは大きくため息をついた。

「ということはやはりご子息の」
「安麻呂そうだ。どうせ兄は子の大友に継がせたいのだろう。にもかかわらず、いまさら譲位とはおかしいぞ。これには裏があるに違いない」
 安麻呂は大きくうなづく。 
「鎌足殿がおらればまだしも、もうこの世にはおらんからな」
「そうですね。鎌足殿がおられなければ、あのときは一時どうなるかと」
 安麻呂のこの言葉に大海人は不快な表情に変わった。
「それはもうよい! 宴席での失態は私の過ち。だが兄はあの時本気で殺そうとした。鎌足殿が止めて事なきを得たがな。だが、あわよくば私がなくなったほうがスムーズと思っていたのだろう」
 大海人はそういうと大きく深呼吸する。そして安麻呂のほうに向く。
「よし決めた。譲位の話を断ろう。そして皇后の倭姫王殿が継ぐのが良いと伝えてくれ。それを補佐するのが大友ということでよいだろう」
「承知しました。では皇子は?」
「ああ、この後出家する。いったん吉野に逃れてから次のことを考えよう」
 安麻呂は大きく頭を下げると。大海人の元を離れ、その意向を天智天皇に継げるために退出した。

 こうして大海人は、吉野に脱出する機会を得る。そののち吉野から挙兵して大友皇子と戦い勝利。これは壬申の乱と呼ばれるものである。そして大海人は天武天皇として即位した。

 ちなみに漏刻が運用開始されたのが、天武天皇が崩御する671年の4月25日のこと。これを現代のグレゴリオ暦に変換すると6月10日となり、のちに「時の記念日」になったのだ。


「画像で創作(6月分)」に、墨字書家・五輪(いつわ)さんが参加してくださいました

 故郷に来た主人公が高校生の時に来た波止場、そこで離婚という決断を行った後の問題としての苗字が変わることに対する深いテーマですが、故郷という懐かしさを背景にしたシュチュエーションが深みを程よい軽さにして読み手の負担が軽くなった気がしました。また前回の画像も出てきつつ、今回は島での物語がどう進行しようとも、お構いなしに戯れだけを楽しむピュアな猫の表情が面白くリンクしました。ぜひご覧ください。



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シリーズ 日々掌編短編小説 505/1000

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