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浴衣に身を包んでも 第922話・8.4

「真理恵、定食まだかなあぁ、腹減ったよ」「ねえ、もうちょっと待ったら?今日はお店忙しそうだし」私は、彼一郎のいら立ちを制止した。
 普段はコスモスファームという小さな農園を運営していて、山近くの畑に囲まれた田舎にいる私。夜はいつも畑から見える星空を眺めることを大学に勤務している彼と楽しみにしている。だけど今夜は別、お互い浴衣姿になって町中にある夏祭りに顔を出した。

 町の神社は当然ながら人が多い。境内に並んでいる屋台で適当に買い食いでもいいと私は思ったけど、彼は「あそこに行こうと」神社の境内から道路を挟んだ反対側にある食堂に入った。
 今日はお祭りだからここも満席。でも奇跡的に席がふたり分開いていたからそこに座る。もし待たないといけないのなら、諦めていただろう。

「やっぱり、こなきゃよかったかな」だけど彼は定食が中々来ないことに対して明らかに苛立っているる。普段そんなに苛立つことがないのに、今日は明らかに様子がおかしくて足が小刻みに震えて貧乏ゆすりをしている。それにやけに周りを見ながら余裕がないの。
「そんなこと言っても...... あ、定食来たわよ!」


 結局、食事にはありつけたけど、どうも彼は人が多いのがあまり好きではないらしい。「やっぱり帰ろう」と彼は言った。それに私も同意する。せっかくこの日のために用意した浴衣だけど、所詮そんなもの。祭りといっても花火などが上がるわけでもなければ、神輿が盛大に動き回ったりはしない。
 屋台が並んでいるだけで、あとは神社の本殿近くでのど自慢大会をしているくらいかしら......。

「せっかくの浴衣だったのに」帰り際、私は少し愚痴をこぼす。だけど彼は空を見上げながら「まだ時間は早いし、今日はこのまま浴衣で天体観測しないか」といった。
「そうね。浴衣は夏祭りだけのものではないし」私はそれも同意。そのあとは家に帰るのが途端に楽しみになった。

「さてと」彼は戻ってくるなり、浴衣姿のまま部屋の奥においてある望遠鏡を取り出す。恰好こそは浴衣を着ているが、ここからのルーチンはいつもと同じ。彼は望遠鏡をいつものところに、いつものようにセットしている。ただ浴衣を着ているから傍から見たら新鮮。

「ねえ、今日は浴衣姿だから......」私はいつもと違うことを思いついたので、立ち上がりキッチンの方に行った。
「どうしたんだ、別にいつも通りでいいじゃないか。さて今は何の星が見ごろかな」

 私が持ってきたのは、缶ビールふたつ。「本当は祭りの屋台で飲みたかったけど、あわただしく帰ったから」
「あ、そうだな。でも、ビールなんか飲んだら遠い星とか追いかけられるかなぁ」彼が心配そう。
 でも私は笑顔で「今日はいいんじゃない。いつも星見ているし。私はビールでも飲みながらいつもとは違った気分で星空を見てみたいわ」

 彼は口元を緩め笑顔になる。「確かにな。そうか今日は飲みながら天体観測、それもいい」ということで彼は望遠鏡をそのままに。ビールの前に来た。
「カンパーイ」とふたりで缶ビールをつけると、そのまま飲む。私はそんなには飲めないからほんの少しだけ口につける。彼もそんなにお酒が強い方ではない。だけどのどが渇いていたのか、グイグイとのどから音が聞こえた。
「ぷふぁあ」彼からの声。「喉、乾いていたみたいだ。定食屋ではあまり見ず飲んでなかったからな」
「そうね、あわてて帰ってきたから、私も喉乾いているみたい」すぐに私は二口目をつけた。

「さてと、だったら望遠鏡をセットしたけどこのまま肉眼で見るか」彼はあおむけになり、空を見上げる。
「今日は天気が良くて良かったわ」私も彼に続いて星を見た。いろんな大きさの星が輝いている......。「ひときわ大きいのは、木星と土星だな」「ねえ、どっちがどっち」
「え、えっと、どっちだっけ」彼はあおむけになりながら首をかしげている。多分専門家ならすぐにわかるけど、私には同じように見えるふたつの惑星。
「あ、たぶんこっちだ」彼は思い出したのか、私の見える範囲で指をさしてくれた。

「やっぱり、望遠鏡見よう」しばらくして彼が立ち上がると、ビールを片手に望遠鏡の方に向かう。「さてと、今日は、なんだろうな。お、あれが夏の大三角形かな」彼が望遠鏡に目を入れながら空いている手で指をさしてくれた。私も彼の指さす方を見る。「大三角形を形成する星の中で、確かベガとアルタイルは七夕の星......そうか、七夕伝説は本当は旧暦だもんね」

「そうだよ」彼が望遠鏡から目を離した。
「それでさ、よく考えたら、今日2022年8月4日は旧暦で7月7日だ。つまり今夜こそが伝統的な七夕の日。そうか、これだけ天気が良くて雲がほとんどなければ、彦星と織姫も良いデートができたわけだな」彼は嬉しそうに天に向かってつぶやく。
「よかったわ。だったら夏祭り早い目に抜けて正解かな」私も立ち上がり、夜空を見た。
「ああ、本当だ、正解だ」こうして天の星たちのデートを見ながら、地の自宅で、デートのように浴衣を着たままの私たちは、もう少し飲みたいとなる。 

 私は慌てて2本目のビールを持ってくると即座に開けるのだった。

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シリーズ 日々掌編短編小説 922/1000

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