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見たことも聞いたこともないよ #月刊撚り糸  第593話・9.7

見たことも聞いたこともないよ。白露(はくろ)なんて」
 外では秋の虫が鳴き始めた夜のひととき、伊豆萌がスマホを眺めながらぽつりとつぶやく。それに反応したのが、同居人パートナーで、年上の蒲生久美子。
「え、萌ちゃん白露も知らないの? 多分都会に長く住んでいるから、あなたには季節感がないのかもね」
「そんな、久美子さん! それとこれとは関係無いと思います」慌てて硬い表情で反論する萌。
 しかしすぐに表情が緩やかになり「でも気になりました。その、白露というのが」
 
「え、しょうがないわね萌ちゃん。白露っていうのは二十四節気のひとつで、秋分の前にあるものよ」
「あ、あのう」萌は瞳を潤ませながら戸惑った。「その、二十四節気って何ですか?」

「あ、そうか。それ知らないんだ。わかりやすく言うと1年を24等分して、それぞれ名前がついているのよ。春分とか秋分、あと立夏、冬至、夏至、立秋とかこの辺りが全部そうなの。つまり1年を24等分して季節の呼び方で表しているわけね」
「は、ああ」萌はわかるようなわからないような微妙な表情のまま。久美子は先に進まないと思い白露の話に戻った。
「白露の頃になると、夏の暑さが和らぎ、逆に大気が冷えてくるから、朝に露ができ始めるころと言う意味があるわ」「朝に露ですか......」萌はやはり意味が分からず戸惑ったまま。

「うーん、これ以上は難しいわね。でもそういう1年の分け方があるというくらいでいいんじゃない。ちなみに今年の白露は」久美子は調べようとスマホを手にする。「久美子さん、実は明日が、その、は、白露なの」
「あ、そうか、明日からか。そ、それで萌ちゃん急に白露の話になったのね。そう明日から秋分までの期間が白露になるわ」
 なぜ萌が突然こんなキーワードを言い出したのか、ようやく久美子は理解した。「萌ちゃんそれで気にしてたのか、本当にかわいいわね」と笑顔で萌を見つめる。

「あ、あの久美子さん」「どうしたの萌ちゃん」すると萌が突然久美子に体を近づけてくると、途端に甘えた表情になる。
「あ、あのう、その白露というの、私一度見てみたいんです。明日の朝、一緒に早起きしませんか?」
「え、早起き!」久美子は朝が弱い。だが萌があまりにもおねだりの表情になっているし、今夜はこの話題になったから観念した。
「わ、わかったわ。萌ちゃんに白露を見せてあげるわね」
「じゃあ、もう早く寝ましょう久美子さん」萌はそう言って久美子の手を引っ張ると、寝室に向かった。

ーーーーー
 翌日の早朝、まだ5時台であったが、外はすでに明るくなっていた。「ふぁああ、ああ眠い」目をこすりながら起き上がった久美子。すでに萌は起きて、しっかりとメイクも済ませている。そしていつでも出かけられる準備をして待っていた。
「萌ちゃん早い、いつの間に」「気になったので、40分前に目が開きました。だから先に準備を」
「そ、そう。わかった、ちょっと待ってね」慌てて久美子は身支度を整える。

「さて、その白露はどこにあるのかしら?」ふたりは外に出た。少し肌寒さのある朝の町、空気が澄んでいるように感じる。萌は白露が見たくて仕方がないらしく足が速い。久美子はまだ眠そうについていく。「萌ちゃん、あの池の傍の草むらがあたりがいいわ」
 久美子に言われて、萌はその方向に向かう。住んでいるところから歩いて10分くらいのところに公園があり、そこに小さな池がある。
「こんな時間なのに、人が多いなんて」公園についた萌は驚いた。犬をリードに括り付けた飼い主たちが、多く公園に来ていた。そして飼い主の言うことを聞く犬や何らかの理由で、抵抗を試みる犬などを連れている人々が、池の周りなどを優雅に散歩している。
「ほんとね、こんな早起き久しぶりだから、ふぁあああ」まだあくびが止まらない久美子。それでもずいぶん意識がしっかりしてきた。
「9月って残暑のイメージなのに、十分涼しいわ」池の反対側を見ると公園内の木々の合間にうっすらと白い朝もやが出来ている。久美子は感慨にふけっているが、萌はどんどん先に進み、草むらをチェックしていた。
「ねえ、久美子さん! これですか?」いきなり萌が何かを見つけた模様。久美子が駆け寄ってみる。萌が指さしたもの。確かに草に露がついていた。

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「これ、そう萌ちゃん。これよ。へえ、白露ってこんなにきれいなんだ」草には丸い小さな水滴が無数についている。そしてそれが、出たばかりの日の光に照らされて、白く光っていた。久美子はスマホを手にさっそく撮影する。
「久美子さんありがとうございます。わたし昨日初めて名前を知った白露を、こうやって見られました。久美子さんのおかげです」ここで丁寧に頭を下げる萌。久美子は慌てて手を左右に振る。
「そんな、私は何も。それより萌ちゃんが、見に行きたいって言わないと、絶対に早起きしなかったからね。でもこんな素敵なの見られて、私の方こそ萌ちゃんにお礼を言うわ」と久美子が頭を下げる。
「いえ、そんな!」萌は久美子の手を握った。久美子は萌から伝わる手のぬくもりを感じながら、思わず顔がほっこりする。

「白露ってあと、鶺鴒(せきれい)が、鳴き始めるような話があったわね」   
 久美子がつぶやくと、萌はすぐに反応。「久美子さん、セキレイって何ですか?」
「え、あ、た、確か鳥の名前だったはずだけど。えっと、それ私もしっかり見たことも聞いたこともないの。あ、だから、後で調べるわ」と慌てる久美子。
 その横で萌は「鳥でセキレイ」とつぶやきながら、早速スマホで調べ始めるのだった。



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