将棋を指した後に食べるレンコン 第664話・11.17
「またかぁ」頭が真っ白な中堀幸治は、そういうと腕を組んでうなる。その前では、髪がなくツルリと光った十河三郎が、喜びをかみしめるような表情をした。
1分ほど唸った中堀、腕を振り外すと右手を前に動かす。「これでどうかな」直後に木の板を叩く音。部屋に音の余韻がこだまする。すると、十河はすぐに手を伸ばす。「これでいかがかな」と言ってまた板を叩く音が響いた。
これに対して中堀は目をつぶる。そして「参りました」と頭を下げた。
「うん、よし」十河は、思わず小さくガッツポーズをする。「いやあ、十河さん、今回は参りました」
「ありがとう、初めてあなたに勝ちましたよ。いつも中堀さんにはどうしても将棋が勝てなくて、相当勉強しましたよ。いやあ、うれしいね」
将棋を指し終えたふたりは、開放感のあまり笑う。
「さて、では十河さん一杯やりますか」「いいですね。これが楽しみでいつも中堀さんと対局しているようなものですからな」
ふたりは社会人になってから知り合った旧友で、もう何十年もの付き合いがある。最近お互いの趣味が偶然に将棋になって、こうやって毎月第一土曜日の昼から対局することにしていた。
対局場所は月替わりで、お互いの家を交互に訪問。そして対局が終わるとちょうど夕方だ。こうしてふたりは、いつもどっちが勝とうが関係なく、近くの居酒屋に飲みに行く。
「十河さん、今日はどこに行きましょう」「うーんそうね。今日は僕が勝ったから、初めての店に行っていいかな」「ええ、もちろん。この辺りは詳しくないので、十河さんの好きなところにいきましょう」こうして二人は外に出た。
「ここが気になってましてね」十河はある店を指さすと、中堀と店に入る。「いらっしゃい」と店員の声。
「最近できたばかりなようで、初めてなんですわ。さてどんなものがあるのかな」と十河は中堀に言いながら開いている席を探して座る。
ふたりが入った店は新しいが、そこは大衆的なお店だ。壁に短冊形にぶら下がったメニューが書いてあり、酒を飲むのに適したような肴の名前がずらりと並んである。
スタッフは全員若く、みんな黒いキャップと黒いTシャツ姿。さらにズボンの前には酒屋がしているような、日本酒の銘柄が書いた前掛けをつけている。
「とりあえず生ビールですな」「うん」十河に対してうなづく中堀。十河は生ビールを注文した。「さて肴はと」中堀はその間にメニューを見る。「こちらが今日のおすすめです」とスタッフが、ホワイトボードを持ってきた。「おすすめ行きましょうか中堀さん」「そうだな。何があるんだろう」ふたりはホワイトボードの文字に視線をぶつけ、舐めるように見る。
「レンコンなんていかがですか?」「レンコン。別に平凡だが」中堀が首をかしげるが、十河は「いやいや、そうかもしれませんが、レンコンは侮れませんよ。僕の故郷がレンコンの産地で、いつもレンコン畑を見て通学してましたから『レンコン』とみると体がうずくんです」
「そうか、そういう話は、あれ? それはいつもしてないか」「気のせいですよ中堀さん」
早くも生ビールが到着した。「ビール来ちゃいましたね。じゃあもう十河さんのいつものレンコン行きますか」
中堀がそれを言い終わる前に、ビールを持ってきた店員にレンコンを注文する十河。中堀は白い歯を見せながらジョッキを手に取る。
「では、乾杯!」「十河さん、将棋の勝利おめでとう」直後にジョッキがぶつかる音。そのあとはふたりのものと思われる喉に入るビールの音がうっすら聞こえた。
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「いやあ、いい酒ですな」最初の乾杯から30分が経過した。初めて将棋で勝利したことが本当にうれしいのか、十河はどんどん上機嫌。中堀は不機嫌とまではいかないが、冷静だ。「さてと、そろそろお開きに」「ちょっとまって」十河の表情が変わった。「まだレンコンてきてませんよね」「うん、ああ、そうだ。忘れられたんじゃないか? いいよいつも十河さん食べてんだし」中堀はそう言って残りの酒を一気に飲み干す。
「いや、聞いてみよう。もし伝票につけられてたら癪だ」
十河が店員を呼ぼうとすると、店員が料理の入った器を持ってきた。「はい、お待たせしました。辛子レンコンの炊き込みご飯」
「辛子レンコンの炊き込みご飯?」十河は表情が固まった。「そんなの頼んだ覚えは...... 普通にレンコンを頼んだはず」
「いえ、こちらのレンコンをいわれたので」店員に言われ、十河はホワイトボードを見ると、確かに「辛子レンコンの炊き込みご飯」とはっきり書いてあり、その下に「注文をいただいてから30分以上のお時間をいただきます」とまで書いてあったのだ。
「見てなかったのか?」「ああ、わりい。今日は勝ったから油断しちゃったなぁ。レンコンというと全部すぐ出る酢の物とばかり思い込んじまって。ちゃんと見てなかった」そう言って光り輝く頭の後ろに手を置く十河。
「わかった。いいよ。それを食べよう。じゃあもう一杯飲もうぜ」と、手を挙げて酒を注文する中堀であった。
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