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主人格

三時間以上前に布団に入ったのに、なぜか眠れなくて、ついに自分の部屋からリビングへ移動し、さらにはノートを書き始めてしまった。すごく疲れて早く寝ようと思っている日に限って、なかなか寝付けなかったりする。まあ三時間粘っても寝れなかったので、そろそろ諦めドキだ、と思い、この際頭に浮かんだアイデアを忘れる前に書き記そうと思う。

私の中には何人もの人格があり、そしてそれら全て含めて私であると言える。今この文章を書いている自分とは別の、おそらく自分と呼んでいいであろう存在が何人もいる。それは私のことを多重人格、解離性同一障害、と言いたいわけではなく、確かに存在しているのだ、と思うだけである。

まず1人目に、いわゆる私の年齢よりも下の人格が3人ほどいる。まず1人目は、男の子で、少年のようにキラキラと世界を見ている。夏が大好きで、ベタベタと商品に触る癖があって、考える前に行動してしまう性格。走り回って、充電が切れるギリギリまで疲れていることには気付かず、突然その場で眠りついてしまうタイプだ。(正直一番やっかいば存在である。)そして感受性が豊かなため、他人や動物などに起きた些細な出来事に喜んだり苦しんだりしている。

あと2人は女の子で、小さな小学生の女の子と、中学生くらいの女の子がいる。姉妹と言うわけではなくて、それぞれが、別々で、いる。

小学生の方、いわゆる可愛い服、ピンクとかふりふりが好きだったり、お姫様に憧れていたり、いわゆる女の子。痛みに弱くて感情的な面があり、体をどこかにぶつけたり怪我をしたとき、家族に心配してもらえなかったら大声で泣きじゃくる。めっちゃ迷惑だ。その割に冒険心も強く、誰もいないところでは1人でこけてもけろっとしている。

中学生の方はなかなか感傷的で、自分の感性に素直である。あとはかなり言葉にとげがあり、とんがっているところがある。そのため結構怖がられることが多い。虚しさや妬み、苛立ち、愛情、それらを素直に感じて苦しんだり喜んだりできるところが長所であり、それらが私の芸術的部分を支えているのだと思っている。


今紹介した3人の他にもいるんだけど、まあいったん内側に存在してる人たちの話は置いておいて、今私を構成している主人格の話をする。

生まれてから今この時まで、結構いろんな経験をしてきたつもりだ。まあ、世の中にいる「いろんな経験をしてきた」と言う人に比べると、たいした経験ではないのかもしれないんだけど、薄い人生ではなかったなと、確かに思う。その中で、押し殺してきた感情や、表現してきた思いがあって、それと同じように表面上に写る自分がいつの間にか消えたり、新しく生み出されたりしていた。

これは生きていくために必要だったことだと思うし、いわゆる戦場にいる子供たちがその環境に慣れ、麻痺して、「辛い」「おかしい」「幸せになりたい」と思えないのと同じだと思っている。感情が同じだとかそう言う話ではなく、生きていくために、おかしくなって死なないために、無意識のうちに正常な自分を殺していくしかなかったのだということ。

そしてその結果生き残ったのが今の私で、主人格である。客観視する力が強く、どの人格が前に出ている時でも、近くで支える役をしている。人付き合いが他の人たちに比べると上手な方で、常に笑顔でいるため穏やか、優しい、と言う評価を受けやすい。老若男女問わず好かれるタイプだ。しかし数年前までは、中学生くらいの女の子が私の中心にいた。それがここ数年で、今の私の時間が長くなっていったのだ。しかたなかったと思うし、ほぼ全員がこれでよかったと納得はしているが、かなり不満は溜まっているだろうと思う。

私の中にいるみんなに、時間や体力をそれぞれ与えなければ、今の私も消え、また新しく足りない面を補った何者かが生み出されてしまう。そして私だけじゃなく、少年のようなあの子も、あの女の子も、いつ消えてしまうか分からない。

私は何より、今存在しているあの子たちを失うことを恐れている。別に消えることが悪いことだとは思わないし、完全に消えることなどないのだから、と、また私が私をそれらしい言葉で押さえつけようとしている。


主人格である私がいるせいで、ある出来事が起こったときに客観視してしまう。大切な能力であると分かっているし、持ち合わせていない人には褒めてもらえる時もあるが、残念ながら、それが邪魔をして感情を信じられないのだ。「別の人の視点から考えられる」と言われることが多いが、それは、ただ、私の感性を壊してしまう。そんな破壊的な能力でもあるんだ。

どんな景色を見ても、どんな色を知っても、いつの間にか別の考えが湧いてくる。

この花が綺麗だな、いや、別に綺麗じゃないと思う人もいるだろうな、あんまり綺麗じゃないな、どんな色の花も好きじゃないどの色の花も平等に好き、この花を好きだと言う人はこういう人が多いから好きなことは内緒にしておこう、とか

何色が好きか、どんな食べ物が好きか、なんて聞かれた時も困る。それぞれの色を好きな人や嫌いな人がいて、それらの全ての立場から考えてしまうせいで、「一番好きなもの」「特別好きなもの」が選べない。


私たちが問題視していることは、今話した通りで、感性をぶっ潰している現状。私は、一度引っ込もうかと思っている。

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