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012|最後の制作


Sola fide|2021

Title|Sora fide
Date Created | 2021
Art Supplies|銅版画・エッチング
Size| 720×578mm

Concept|
人間は遥か昔から何かを拝み、生涯の完成を目指す。

Explanation|
この作品は銅版画で作成した作品です。 銅版画の技法に関しては、「 04|銅版画の感覚 」をご覧ください。
この作品は卒業制作を終え、卒業までの約2ヶ月で制作した大学生活最後の作品です。元々、長野県で開催される公募展「山本鼎版画大賞展」に応募するために制作した作品でした。その公募の大賞には100万円が贈られる大変大きな公募だったのです。金に目が眩んだ、、というわけではありません。ただ、最後の最後に自分の実力と、今まで作ったことのないサイズの版画作品をこの舞台にぶつけてみたいと思いました。なので、前回の卒業制作で制作したサイズが、大学で刷れる一番大きな銅版画だったのですが、そのサイズの銅板を2枚使い、印刷した後に紙同士を繋げれば2倍のサイズにできるなと踏んだのです。正直時間との戦いでもあり、多くの枚数を刷ることは叶いません。しかし、偶然にも綺麗に刷れた作品が1枚できたのです。その1枚同士を繋ぎ合わせ始めて一つの作品になりました。そして、一次審査は画像審査で行い、2次審査で実物を審査するため、画像を送り一次審査は突破しました。その後しっかりと額装をしてもらい、作品を送りました。結果としては…「入選」でした。入選とは賞ではありません。要は審査としては合格した。といいうようなモノです。なので、サントミューゼ 上田市立美術館にて飾られることと、その年の作品集を贈られる。その2つでした。しかし、後から聞くと、応募総数は303点集まり、そのうち156点(入賞9点含む)人数が選ばれていました。そのうちの1人に選ばれたことは大変嬉しく思いました。言わずもがなとは思いますが、版画を志している学生から大人まで階級分けのない303人のうち156人の中に入ったことは素晴らしく自信がつきました。勿論その年の審査員による好みもあったのかもしれません。しかし、それでもたった2年版画を学び、それが外でも通用するんだと実感した体験でした。そんな作品がこの「Sora fide」なのです。Sora fideとはラテン語で、日本語訳すると「信仰義認(しんこうぎにん)」という意味になります。信仰義認とはプロテスタント信仰の根幹であり、聖書のみ、万人祭司とともに、宗教改革の三大原理の一つ。としての考え方です。この考え方を説いたのは、「マルティン・ルター」と呼ばれるドイツの神学者、教授、聖職者、作曲家である人物です。この信仰義認とは、贖宥状(しょくゆうじょう)を買うことなどではなく、 神を信じることによってのみ人は救われる という考え方です。また、このマルティン・ルターが言った私の好きな言葉があります。それが「死は人生の終末ではない。生涯の完成である」という言葉です。人は死に対して恐怖や、絶望を覚えます。しかし、いつの時代もこの世のものでないモノに縋り、信仰しているのです。それはなぜか、我々は死ぬその時まで可能な限り美しく、潔く、誰にも迷惑をかけずに死んできたい我儘の生き物だからです。しかし人間社会では不可能なのです。では人の最後、その人間に対して誰が善悪を決めるのか…それは他ならぬ神と呼ばれる存在だけなのです。生きてきて何が罪か、何が善か、それはあくまで人間世界だけの常識です。そう、人間は死ぬその時に始めて命として完成するのです。その生涯の完成を目指して人間は今を生き、善を重ね、最後の審判を待つのです。最後の居場所を求めて。そんな人間という生き物が、神に縋りつく情景を私は描いたのです。人間特有の生臭さ、傲慢さ、我儘な様子。それに近づきすぎると燃え尽きるとも知らずに近づこうとするのです。そんな宗教色の強いこの作品は私の中でも特別な作品です。版をずらして印刷するという新しい試みを行い、さらに今まで制作したことのないサイズ。私にとってワクワクと感動が詰まった闇深い作品なのです。これを見ていただいている皆様にも信仰している何かはありますでしょうか?とても身近で感じることとすれば、アイドルですね。舞台と観客席という距離感だからこそ信仰(推せる)距離感だと思います。本物のファンは、近づきすぎないようにするものですが…これも大昔からの風習が形を変えただけなのかもしれません。人はいつの時代も何かを信仰しているのですから。
それではまた。


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