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自分を好きになる為に自分に向き合う

自分はもういい歳だけど、今からでも大丈夫かな。。。

私は、自分の何が嫌いなんだろう?何に自信が持てないんだろうか?

それはやっぱり心の奥底にしまってきた蓋をしてきた事だと思う。

父に殴られて蹴られていた子供の時、いや中学までやられていた。あの時、痛くて悲しくて辛かった。私は身体を丸めて手で頭を守り暗い部屋で身体を守ろうとしていた。でも父は髪を引っ張り上げ顔を叩き、身体を蹴ってきた。それでも私は、自分を守ろうとしていた。自分で自分を守っていたはずだ。それでも父には、ごめんなさいとは言わなかった。

そもそもボコボコにされるような事はしていない。私は悪くないって思っていた。

父は急にスイッチが入る。私が、ご飯たべたくないと言ったり、少しでも父が気に入らないと、そういう一言で私に向かって来る。当時から分かっていた。私に、父はストレスをぶつけているんじゃないかって。子供の頃から父は職場の人の愚痴を私に話していたから。。。スイッチが入り、私を殴っている時私がだんだん職場の人になっているんじゃないかなって思っていた。

ある時、祖母に話してみた事がある。そしたら祖母はパパ仕事大変だから

ストレス溜まってるんじゃない?って言ったのだ。その時はやっぱりそうか。。。と思ったけど、今思い出すと祖母の言っている事もおかしい。孫が殴られていてもストレス?でいいのか?

祖母は、孫の私よりも父寄りな所があった。公務員の父を気に入っているような所があった。。。そこらへんからおかしな事になったのだろうか?父は何しても暴言も許されるような空気は家の中にずっとあったと思う。。。

あの頃の、私の写真は笑顔の弟とは対象的な死んだような虚ろな目をしている。すごい顔をしている。

私は人からひどい事を言われたのにすぐに反応できない所がある。その時は?と思う位で後からとかよく考えてみたら、すごいひどい事言われてたんだって事がある。それは無意識の内に蓋をしてしまうのか、鈍いのかだろうけど、たぶん蓋をする方かもしれないと思う。でも蓋をしたままだといいんだけど、後からあんな事言われてこう言ってれば良かったとか言い返したかったのに。。。と思う事もよくある。

弟は別として、母は父から私を一度も守ってはくれなかった。母自身も私に色々な事をしていた。私は、私なりに自分で在りたいと自分を守ってきたのかもしれない。

だけどいつまでもいつまでも自分の頭の中には、父に殴られ蹴られている自分が居てその場面をすぐに思い出す。そうすると、自分には何の価値もないそのようにしか扱われない人間なんだって思ってしまう。

この事は自分で自分にけじめを付けなくてはいけない。この事を思い出し、いつまでも泣いている自分にはさよならしないと

娘に暴力を振るうような暴言ばかりのそんな男。そんな父の為にいつまでも泣いたりしない!!!屈したりしない

あの両親から産まれたけど、私は全くの違う人間だし、私には主人と息子がいる。弟もいる。友達も猫もいるから

両親以外の人から沢山愛情をもらっているんだから

だからあの暗い部屋に居て殴られ蹴られている私に

さよならする

そして、そんな自分と仲良くしてくれる人達や、息子や主人にも感謝して私の大事な人達と生きて行きたい。気づくのが遅いけど。。。

がんばりたい



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