『継体天皇樟葉宮跡伝承地』 - 創作された伝承地という特異点
『継体天皇樟葉宮跡伝承地』とは
『継体天皇樟葉宮跡伝承地』とは、大阪府枚方市にある交野天神社の境内にある、末社貴船神社が鎮座する小丘周辺のことを指す。ここは、継体天皇が即位した樟葉宮跡の伝承地として、大阪府指定史跡にもなっている。以下は、枚方市ホームページの引用である(2024/1/18現在)。
交野天神社について
交野天神社は、京阪電車「樟葉駅」から徒歩20分程度の距離にある神社である。閑静な住宅街の中に突如現れる原生林に覆われた境内一画は、そのコントラストからどこか非日常なものを感じさせる。
交野天神社は、桓武天皇が延暦6年(787年)、父である光仁天皇を祀るための郊祀壇を設けた地とされている。
貴船神社と継体天皇樟葉宮跡伝承地について
貴船神社は、継体天皇が即位した樟葉宮の宮跡を祈念するために、当地の氏神である高竉神(たかおかみのかみ)をこの地に移して祀ったのが起源といわれており、ともに祭神として合祀されている。
『継体天皇樟葉宮跡伝承地』とそれがある交野天神社。一見すると、地域の歴史、由緒性を感じられてとても良い。
しかし、その伝承が「創作された」ものだとしたら…。
伝承地という偽史
今中五朗によって創作された伝承
上記で『継体天皇樟葉宮跡伝承地』は、「継体天皇が即位した樟葉宮跡の伝承地」と紹介した。しかしそれは、明治10年前後に楠葉村の今中五朗によって、「創られた伝承」であると、歴史学者 馬部隆弘氏は著書『由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に(勉誠出版、2019年)』で指摘している。
馬部隆弘氏は、交野天神社が近世から用いていた「桓武天皇が天神を祀った場」という由緒を、近隣の片埜神社が明治7年に横取りして社格を上昇させたことに原因があるとみている。その対抗策として今中五朗は、交野天神社の社格上昇を図るため、桓武天皇から移り、継体天皇との関係を主張し出した。
更に今中五郎は、より受け入れられやすい由緒となるように、その筋書に何度も推敲を加えており、その中で樟葉宮の場所を度々変更している。そのため、現在の伝承地は本来の場所を伝えたものではない。そもそも、交野天神社を樟葉宮の跡地であるとする伝承・文書は、『五畿内志』をはじめとする地誌等の古文書に記録されていない。
さらに、『継体天皇樟葉宮跡伝承地』は、考古学的に伝承を示す何らかの出土品が"ない"という。
正しい歴史として認定された「偽史」
一方で、継体天皇が楠葉のどこかで即位したことは、『日本書紀』に記述されている。その中で交野天神社は、元々楠葉の神社という意味で「樟葉宮」と呼ばれ、地域に定着していた。これはある意味、即位地であったことを示す名残といえるだろう。
そうした要素によって、いつしか伝承地として定着した「樟葉宮」を含む、交野神社の境内一帯は、1984年には枚方市から、「枚方八景」の一つ「樟葉宮跡の杜」として名所に指定されている。
町おこしとして使われる偽史
偽史であった以上、伝承にまつわる一切を再検証・訂正する必要があると考えるのが一般的な考えだろう。だが一方で、長年にわたって地域に根差し定着した歴史に対する地元住民の認識や心情をひっくり返すことは難しい。
また、行政にとっては町おこしの観点から見た場合、その文化財が「事実か否か」より「使えるか否か」の方が重要度が高い。
実際、馬部隆弘氏は、枚方市教育委員会に勤務時、委員会が2008年に発行した小学生向けの副読本『発進!! タイムマシンひらかた号』に掲載された歴史的内容のチェック時に、『継体天皇樟葉宮跡伝承地』も含めて、冊子に不適格な記述がある箇所を全て書き換えるよう要望したが、訂正されることはなかったとのエピソードを明らかにしている。
余談だが、『継体天皇樟葉宮跡伝承地』の現地には、歴史を解説する案内板が立っている。そこの末筆には、それぞれ府・市の教育委員会の署名がある。
これはすなわち、市史資料としてお墨付きがついていることを明確に表している。
終わりに
人の願いと欲望が創り出した特異点
各地の郷土史の中には、本来の意味での伝承ではなく、『継体天皇樟葉宮跡伝承地』のように、近代にある種の政治的思惑をもって創作された伝承が存在している。
だがそれらは、地元とその歴史を「よくしたい」、「こうであって欲しい」といった思いや欲望が込められたものともいえる。
偽史として検証することは歴史学の観点からは重要だ。一方で、地域住民にとっては慣れ親しんだ地域の歴史でもあり、偽史という真実を突き付けることは、自分たちのアイデンティティが失われることなのかもしれない。
国の正統な歴史と地域性。両者のバランスは難しく、研究者ではない私は、そこに対する回答を持ち合わせてはいない。そこで、このような背景を持つ場所や存在を、現実と妄想が交差する特異点と定義しようと思う。そして、それらを私は第三者としてニュートラルに、探求・撮影していきたいと思う。
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