他人の支配から脱却せよ
地位・名誉・記念碑。
野心が決議させて命じたモノ。
労力を使用しただけで建立したモノ。
それは、遠からず潰え去る。
それが災害なのか、戦争なのかはわからぬが、必ず消える。
それらすなわち「目先」
たかが、生きている間の100年程度か。
じゃあ、人間は「形ある目先なモノ」ではなく、何を残す事ができる。
それが「英知」であると、哲学者はこぞって言う。
恐ろしい程に「英知」「叡智」に必ず到達する。
英知は棄損されぬ。
どうしても棄損できぬ。
他者が絶対にあなたから奪えないモノは何か知ってますか?
「どう考えているか」という思想です。
あなたがどのように思考するのかは、絶対に他人には奪えない。
身体は簡単に拘束されよう。
移動の自由も奪われよう。
宝も資産も資本も奪われよう。
全てを奪われる。事もありえよう。
が、何回でも言いましょう。
あなたの思考は絶対に奪えない。
シベリア抑留では、多くの日本人が奴隷として使われ、多くの人間が亡くなった。
身体の自由は全て奪われた状態。
が、そんな状況でも「個人」が「どのように考えるか」だけは絶対に奪われない。
そのような現場で「感謝」する事も可能である。
実際、シベリア抑留から生きて還った者のエッセイでは
「このような経験は大半の人間には経験できない。
私は奴隷とはいかなるモノかを経験する事ができたのだ。
この経験は財産である。」
とつづっている。
この思想の良し悪しは問題ではない。
言いたい事は、
人間の思考過程というモノだけはあなたしか有り得ないのである。
あなたは、どの場所で、誰といても、どんな状況であれ、
<常に自由に思想する事ができる>
奴隷として多くの仲間が目の前で死んでいる状況下ですらも、
何をどのように「考えるか」だけは常にあなただけのモノなのである。
この素晴らしさ。
このすごさ。
僕は感動する。
「辛い」とか「悲しい」とか「不幸」とか「苦しい」とか。
そんなモノは実際には存在しない。
そこに気づくか否かで、あなたの生き方は大きく変わる。
社会が創造した「不幸」という言葉に振り回される事なかれ。
あらためて、あなたが考えよ。
「不幸」とは一体何か?を。
WIKIに聞くな。
Googleに聞くな。
チャットなんとかに聞くな。
教授に聞くな。
先生に聞くな。
宗教に聞くな。
自分に聞け
自分は、一体どのような状態の事を「不幸」と呼ぶ。
なぜ「不幸」と呼ぶ。
何が不幸なのか。
何と比べてなのか。
考える事は尽きぬはず。
考えろ。
考えろ考えろ。
僕が言う「考える」は論文じゃない。
文献じゃない。
参考書じゃない。
過去問じゃない。
他人の創造した世界から、
早く脱却せよ。
あなただけの、脳を。