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#25『エンジェルビートル』


遅すぎることなんて本当はひとつもありはしないのか。
今からでもまだ間に合うだろうか。

そんな愚問を繰り返して、一生物事を諦め続けるのだとしたら、何故自分は生きているのか判らなくなってしまう。

小学校の頃に通っていた絵画教室、物心がついた時から絵の具が大好きだったので、親に泣きわめきながら頼み込んで通わしてもらった。

仲のいい友達も同じ教室に通い始め、1週間の楽しみは、火曜日と木曜日に彼とお笑い番組の話をしながら画用紙に水彩絵の具を滲ませることだった。

恐竜の絵を描くのは楽しい、実際に誰も恐竜を見たことがないから、そのほとんどが自由な空想だ。
季節の花を描くのも楽しい、太陽の高さによって花びらの色は1秒ごとに移ろい、火曜日に塗った色は木曜日には検討外れになっている、そのほとんどが自分がどう感じるかという自由な空想だ。

だけどいつまでも感覚任せの筆さばきは許されなかった。
同じ教室に通う仲のいい友達やその他の生徒たちは、美術・デザイン分野の中学受験を控えており、試験の準備を着々と進めていた。
自分は彼らと同じ進路を望まなかったが、教室全体が厳かな雰囲気に包まれていて、やりたくもないデッサンを強要され始めた。
目の前に石膏を並べられ、見た通りの物体を見たまんま鉛筆で書かされる、「描く」というよりも数学的に「書く」ような感覚だった。

デッサンはあまり楽しくなかった、見たものを見たまんま書くということがどうしても好きになれなかった。

僕が絵の具を好きになった理由は、勝ち負けも優劣もないからだ。
学校に行けば、運動神経が優れているかとか、容貌が美しいかとか、テストの点数が良かったかとか、ありきたりな基準で無理やり競わされる。
クラスの中に溢れている競走には答えが用意されていて、その答えに1番近い人間が勝者で、その通りにならなければ敗者になってしまう。

だけど、絵を描くことに勝ち負けはない。
ただ自由に描いて思い通りに色を付けて、ぐちゃぐちゃになったとしても、それはこの人が描いた絵だとすぐに判る。
そういう誰とも比べることが出来ない、自分自身が滲み出る表現方法だけが好きだった。

それなのに、デッサンはまるでクラスの中に溢れる競走と同じような感覚だった。
答えが用意されていて、その通りに書けば優れている絵で、影の付け方が間違っていれば書き直しをさせられる。

もし自分が「デザイン」を生み出したいのならそれで良かったと思う、観察力や写実的な教養を学ぶ必要があるからだ。
人々が今何を必要としているのか、受け手はそのデザインを見た時にどういう印象を持つか、受け手に対して主張したい要素は何なのか、イメージを擦り合わせて限りなく正解に近い表現を生み出していく、そこには優劣という概念があるべきだ。
とても素敵な表現のひとつだと思うし、僕らの日常は優れたデザインのおかげで、心地よかったり便利だと感じたり、多くの恩恵を受けている。

だけど子供の頃にはそんな知識があるはずもなく、ただ自由に描けないのなら、見た通りじゃなく感じた通りに描いてはいけないのなら、絵を描く意味を見い出すことは出来なかった。

そして絵画教室を辞めた。
絵を描くことが嫌いになってしまった。

同じ教室に通う仲のいい友達は残念な事だけど、美術・デザイン分野の中学受験に失敗して、自分と同じ公立の学校に通うことになった。
彼は僕が辞めた後もしばらく絵画教室に通っていたらしい。
ただ中学生になると友達関係は大きく変化し、それほど親しい関係でもなくなってしまったので、その後彼が絵を描き続けていたのか詳しいことは知らない。

僕が知っているのは、彼が中学3年生の途中から不登校になり、二度と顔を合わせることがなかったということだけだ。

絵画教室を辞めてからもたまに小手先の落描きみたいなことはしていたが、昔みたいな熱狂はまるっきり薄れてしまい、1度好きではなくなった気持ちはどうしても拭えないままでいる。
社会人になってからもイラストレーターやフォトショップを使って自由に制作をしているが、ふと、人に自慢出来ることをやらなくちゃと思った途端に楽しくなくなってしまう。
誰かに評価されないと意味が無いという考えが過ぎった瞬間に、デッサンを強要されていた頃の苦痛を思い出して、自由に描いた線が妙に不自由に感じたりする。

デッサンを嫌い絵を描くことを諦めたあの瞬間から、もう二度と追いつけない空白が生まれてしまったのだ。
僕が簡単に諦めたあの時、受験のためにデッサンを必死に勉強して、他人に判断されることに挑んでいた彼のことを今でも尊敬している。
僕は彼とお笑い番組の話をしながら自由に絵を描く楽しさから抜け出せなかったけど、彼はそんなぬるま湯から飛び出して目的のために挑んでいた。

不登校になってその後どんな人生を歩んだのか想像もつかないけど、きっと僕なんかよりも物事に挑み続け素敵な人生を送っているだろう、何ひとつ成し遂げないまま大人しなってしまった僕とは違って。

情けない今夜もハイロウズのレコードに針を下ろす。
昨日はホテルチキポト、今日はエンジェルビートル。
肌寒い時期にピッタリのレコード、ぐるぐると回り始める。
そしたらヒロトが歌い出す、「死ぬには遅すぎる」と何度も歌っている。

死ぬには遅すぎる
死ぬには遅すぎる
死ぬには遅すぎる

すぐに諦める癖だけがついて、人から評価されることを避け、何ひとつ成し遂げないまま大人になり、挙句甲斐無い命の捨てどころを大慌てで探してみても、死ぬには遅すぎるとヒロトに説教される。

死ぬには遅すぎる、まるで自分にぴったりな言葉だ。
望んで生きている感覚もなく、命を捨てるタイミングは何度もあったはずなのに、それすら選べず曖昧に生き長らえてしまった。
もう今更死ぬなんて遅すぎる。

だからこそ残りの人生であと何枚のレコードを聴けるかという焦りを持って生きていこうと思う。
たまに躁になってゲラゲラ笑えることだけを生きがいにして生きていこうと思う。
人生のほとんどが暗い部屋の中で体育座りのまま頭を抱えて憂鬱に塗れるばかりだとしても、死ぬには遅すぎるんだから。

情けない自分のために用意された座席なんて無い、このまま所在なく立ち尽くして生きていくしかないじゃないか。
誰か次の駅で降りそうな人を探しても、いつだってその勘は外れっぱなし、気づくのが遅すぎるんだ、何もかも。

それならばいっそ、予定もなく途中下車して、近くの映画館へ封切りされたてのアレを観に行こうか。
それとも別の線路に乗り換えて、知らない街で迷子になってみようか。
いずれにしても帰り道にはきっと夢中でおしゃべりをするだろう、近くの公園のベンチに座ってサングリアを飲んで少しだけ酔っ払いながら。
家に帰れば肝臓が悲鳴をあげるほどアルコールを飲んで、何もなしとげていない自分を責めながら酩酊するだろう。

そして気づいたら70歳になってたりして、本当に全てが遅かったって思うのも悪くないかもしれない。

死ぬには遅すぎると思っていた今この瞬間が本当は死ぬ時だったんだと、皺だらけの顔で後悔して、また遅すぎたなって呆れながら笑い飛ばしてやる。


まだ間に合うことなんてひとつもありはしない。

僕らはいつだって、すべてが遅すぎる。

もう死ぬには遅すぎるんだ。

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