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#24『ホテルチキポト』

14才の頃の方が今よりも幸せだったかと言われれば、そんなこともないような気がする。

今とは別の向き合わなければいけないクソみたいなことがたくさんあって、消えてなくなりたいと思うほどいちいち悩んでいた。
そのほとんどは誰もが経験するありふれた出来事だが、当事者にとっては人生の全てを煩わしくする原因に他ならない。

例えば、訳の分からないことで友達との仲が拗れて、横暴な態度で阻害され、教室という小さな社会の中に存在するすべてが敵みたいに感じたことがあった。

あるいは、初恋の人がいじめのリーダー格で、いじめられていた子の彼氏に呼び出されて理不尽に詰られたり、いじめられていた子の親にどうにかして欲しいと頼み込まれたり、今思い返せば子供には残酷すぎる境遇を強いられていたと思う。

だけど僕はとても馬鹿だったので、何故友達との仲が拗れたのか分からなかったし、初恋の人が誰かをいじめているなんて気づきもしなかった。
大人になってからそういうことがあったんだと周囲の人間に聞かされて初めて知ったくらい、僕は向き合う気がなかったのだ。

ただロックンロールのレコードを聴いてドキドキしていたかった。
ロックンロールのレコードを聴いてドキドキする気持ちがもっと学校中に充満すればいいのにと思っていた。
みんながそういう気持ちだけで生きれたら、誰かに嫌われることに怯えたり、誰かの私欲に巻き込まれて苦しむこともなかっただろう。
他人のちょっとした出来心が自分の人生を必要以上に難しくする、きっと同じように自分の些細な言動が他人の人生を必要以上に難しくしていた。

だから僕はロックンロールのレコードを聴いていた、ハイロウズのレコードを来る日も来る日も聴いていた。
他人に強要されるクソみたいな物事に向き合って手に入るのは無理強いの自由に過ぎない、豚の自由に慣れてはいけない、人はもっと自由なのだ。
ロックンロールのレコードと女の裸が好きな気持ちを誰かに強いられることはない。
戦争の本当の原因が少数の人達の退屈であるように、僕らの人生はいつも他人の退屈によって掻き乱される。
だけど、自分が何を好きなのか理解している人間は瞬間ごとの勝利者だ。
僕はそういう人間でありたい、だからロックンロールのレコードに針を下ろした、その時から全てが上手くいくということを知っていた、瞬間ごとの勝利者になったのだ、デタラメでいい、むしろデタラメがいい。

そして気づけば思春期を過ぎ、R18の幕をくぐって、成人の白線を飛び越え、何度も成長のドアを足で開けた。
その間ずっとロックンロールのレコードを聴いていた。

数年ぶりに初恋の人から連絡が来た。
散々人を小馬鹿にして非情な暴力を振るってきた彼女、小さい社会では誰もそれを咎める材料を持っていなかった。
1000円のネックレスで満たされた心はどんどん欲深くなり、どっかの政治家のように顔の皮膚は見苦しいくらい分厚くなる。
平凡を裏切るための象徴はいつだって男の前での体裁で、どんなに醜い生き方をしても小さな社会ではひとりの理不尽に論理は通用しない。
そのうち誰にも相手にされなくなるという忠告を顧みず、他人のデリケートな性の問題はお笑い番組より楽しい娯楽。

どんな気持ちなんだろう、罪の意識を持たない生き方は、まるで参加型暴力テレビの視聴者みたいな心の貧しい生き方は、誰からの忠告も自分には無縁だと勘違いだけで生きるのは、どんな気持ちなんだろう。

やがて人々は小さな社会から解放され、自分の居場所は自由に選べるということを知った。
彼女は生まれ育った故郷を離れ遠い街で生活していたが、それも駄目になり今は地元に戻って実家で暮らしているらしい。
彼女は言った、自分が実家に戻ってきたことも、こんなふうに連絡をしたことも地元の人間には秘密にして欲しい、と。
かつて傷つけた人間からは相手にされなくなり、不安から逃れるために群がった人間とはきまりが悪くなり、誰からも存在を特定されないように息を殺して生きているらしい。

目をそらさずにちゃんと見なよ、これが君の生まれ育った街だ、かつて君が小馬鹿にしていた人達が住む街だ。
人を傷つけその恋人や友人や家族までを悲しい気持ちにさせた、そんな楽しい娯楽を提供してくれた街だ。

どんな気持ちなんだろう、誰からも見放され透明人間として生きるのは、帰る場所も寄り道する場所さえもない毎日は、だけど過去の自分さえ憎めない、そんな勘違いで生きるのは、どんな気持ちなんだろう。

僕は正義の味方になんかなれない、なりたいとも思わない。
あの時ああすればもっと幸せだったとか、あの時こうしていれば傷つくべきじゃない人達が傷つかずに済んだなんてことは考えない。
クソみたいなことに向き合うつもりがない、だって今この瞬間隣にいる友達や恋人の方が僕にとっては大事件だ、どうにもならなかったことなんて本当はどうでもいいことなんだ。
過去を後悔することも羨むこともない、昔の自分に戻りたいなんてこれっぽっちも思わない。

ハイロウズの6枚目のアルバムレコード、ホテルチキポトには「十四才」という曲が収録されている。
ヒロトはこの曲の終盤にこう語り掛ける。

あの日の僕のレコードプレーヤーは
少しだけいばって こう言ったんだ
いつでもどんな時でも スイッチを入れろよ
そん時は必ずおまえ 十四才にしてやるぜ

僕は14才の頃にこの曲を聴いて、大人になってもレコードプレーヤーのスイッチを入れれば、いつでも14才に戻れると思っていた。
確かに音楽にはその時の記憶や匂いが内包されている。
銀杏BOYZを聴けば高校の自転車置き場で鉢合わせる好きだった人を思い出したり、ボ・ガンボスを聴けば昼間っから公園のベンチで缶ビールを飲んで落ち込んでいた大学3回生の初夏を思い出したりする。
だけど今レコードに針を下ろしても、僕は14才に戻ったりはしない、戻る気もない。
だって14才の頃にロックンロールのレコードを聴いてドキドキしていた気持ちは変わらない、今もずっとドキドキしている、あの頃の延長線上にいて、前後左右どこかにぶれるわけでもなく、ただ内に向かって進んでいる感覚しかないからだ。

14才の頃に好きだったロックンロールはあの頃よりももっと好きになった。
14才の頃にリプトンのレモンティーを飲んで腹を抱えて笑いあった友達とは、あの頃よりももっと美味しいお酒を飲んで腹を抱えて笑いあっている。

訳の分からないことで関係が拗れた友達も、息を殺して生きる初恋の人も、僕の人生には必要ではなかったと言えば結果論になるけれど、今の僕が必要としていないのだから、そんなもの欲しくないのだ。

当時思い描いていた100年分の執拗なプランを今プレゼントのリボンみたいに解いたって、呆れるほど滑稽で空っぽだ。
足にしがみつく記憶の後味をひとつひとつ大事にコレクションしたって、僕はそんなガラクタに足止めされるほどノロマに生きてはいない。
僕の人生の時間を無駄にした全てのものにはその度にお別れをする、無茶なプライドも汗だくの自尊心も次の未来へは持ち込みできない。
出会うもの全てに意味があるなんてさもしい言い訳だ。

僕が今過去の自分に対して羨むものは、今も僕の側にあって、僕の人生を必要以上に楽しくさせる。
ハイロウズのホテルチキポトのレコードは今も僕の人生を必要以上に楽しくさせる。

モダンジャズのような生き方、瞬間ごとの勝利者。
向こう見ずな今を愛している、向こう見ずな今だけを愛している。

どんな気持ちだと思う、14才の頃に聴いていたレコードが今も変わらずに人生のすべてみたいに思える生き方は。







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