#30『スクリーマデリカ』
90年代ロックの金字塔として1枚だけアルバムレコードを選ぶなら君は何を推薦する?
ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」かオアシスの「モーニング・グローリー」なら誰もが納得する結果だろうか。
あるいはレディオヘッドの「OKコンピューター」を選ぶのも今となっては健全な証拠だ。
偏屈な君はマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの「ラブレス」なんて言い出すんじゃないだろうな。
昨今のシューゲイザーに対する再評価が著しいからってそれは流石に気を衒いすぎだ。
ブリットポップはさておき、90年代のアメリカにはナイン・インチ・ネイルズやベックなど多くのカリスマが存在するので、どれか1枚だけを選ぶなんてさすがに無理がある気がする。
だけど僕は声を大にして言いたい。
90年代で最も素晴らしいアルバムレコードはプライマル・スクリームの「スクリーマデリカ」だろう。
自分たちの世代(主に20代)は基本的に90年代ロックへの愛が強い。
NMEの歴代アルバムランキングでもニルヴァーナやレディオヘッドが上位にランクインするくらい2020年現在でも90年代ロックへの支持は厚い。
みのミュージックの視聴者投票ランキングでも、1位がオアシスの「モーニング・グローリー」、2位がニルヴァーナの「ネヴァーマインド」、そして3位にやっとビートルズの「リボルバー」という状況だ。
もはや60年代や70年代のロックが普遍的という考えは薄れ、90年代がロックの黄金時代だと考えられるように推移した証拠だ。
事実、同世代でローリング・ストーンズこそがロックンロールバンドの鏡だと言うような奴と出会ったことがない。
それくらい僕らの世代にとって90年代の音楽は大きな影響力を持っている。
大学時代に出会った連中も大概は、UKロックに取り憑かれたお洒落楽観野郎か、インディーという病気を患った面倒な野郎のどちらかだった。
しかし不思議でたまらない。
これほどまでに90年代が幅を利かせてるというのに、プライマル・スクリームについてはあまり触れられることがない。
もっと「スクリーマデリカ」がいかに素晴らしいアルバムかということを再認識するべきだと思う。
このアルバムと出会ったことで音楽の可能性が無限大であることを知った。
そしてロックンロールがいかに自由な音楽かということを改めて実感した。
僕は根本的にロックが好きではない、ロックンロールが好きだ。
それはつまり、黒人特有の熱狂の有無にまつわる判別である。
黒人音楽の影響下にあるのがロックンロールで、ルーツを排除して白人の偉業のように奏でられるのがロックだ。
そして90年代の音楽にはあきらかに黒人の要素が不足している。
キース・リチャーズがかつてこんなことを言っていた。
The biggest cliche in rock'n'roll is there's no roll. They forgot the roll and they only kept the rock.The roll's the whole damn thing. The roll is the king.Unfortunately most cats don't get behind the roll.
ロールのないロックンロールほど陳腐なものはない。みんなロールを忘れて、ロックだけを残したがな。ロールはまったくもって最高なんだ。ロールは王様だ。残念なことに、ほとんどのミュージシャンはロールを支持していないが。
彼が言わんとしていることは大体理解できる。
かつて抑圧された黒人の魂の叫びがブルースやソウルミュージックという音楽を生み出し、それに対する白人の回答と融合こそがロックンロールだった。
しかし時代を跨ぐ度に、根本的な黒人の魂が切り離されて、単にロックという世界基準のジャンルが形成されていった。
決してロックンロールが優れていてロックは紛い物だなんて思ってはいない、どちらも音楽として素晴らしい。
ただ個人的にはルーツや時代背景や形成の過程を重んじる傾向があるため、ロックンロールの方が好きなのだ。
白人に抑圧されながらも、いかに自分たちが自由な存在であるかを証明したソウルミュージックの熱意はとても美しい。
それに比べてニルヴァーナやレディオヘッドのように陰鬱として内向的なメッセージは現代病の1種だ。
もちろん退廃的な美学はあると思うけれど、その実空っぽのような気がしてしまう。
閉鎖的であるが故に多くの意味を内包しているように見えるし、インディーロックが好きな連中は少しばかり知識に被れていて、あたかも深みがあるように演じている。
それはそれでひとつの美的感覚だから他人にとやかく言われる筋合いはないだろう。
しかし、やっぱり僕は開放的で熱狂と興奮に満ちたロックンロールの方が好きだ。
優劣はない、ただ好き嫌いの問題である。
一度インディー病を患った友達とこのテーマについて話し合ってみよう、非常に面白い討論になりそうだ。
それはさておき、なぜプライマル・スクリームが偉大かという話に戻ろう。
90年代のバンドに黒人の要素がほとんど感じられない中、プライマル・スクリームだけは何故か真っ直ぐにロックンロールをやってるバンドという印象を持った。
黒人音楽というバックグラウンドを重んじる自分は、昔からシンセサイザーや打ち込みが好きではなかった。
故にプライマル・スクリームという存在を避けてきた節はある。
しかし高校生の時に「スクリーマデリカ」を初めて聴いて、今まで意地を張っていた信念みたいなものが一気に崩れ落ちた。
嫌悪していた打ち込みやシンセサイザーやダブやサンプリングがこんなにもロックンロールの本質に近い表現だなんて思いもしなかった。
そもそも「スクリーマデリカ」はアシッドハウスと呼ばれるジャンルの音楽アルバムで、当然打ち込みやシンセサイザーが多用されている。
それなのに初めて聴いた時に、これはパンクロックのアルバムだ、いやソウルミュージックかもしれない、つまりはロックンロールだ、という不思議な感覚に陥った。
何が何だか分からなくて白痴のように自分の部屋でのたうち回った。
それを何度も繰り返しているうちにこのアルバムの魅力を少しずつ言語化できるようになってきた。
つまり、「スクリーマデリカ」はニルヴァーナやレディオヘッドのような内向的で陰鬱さを感じさせない、解放的な音楽アルバムだったのだ。
レディオヘッドの「OKコンピューター」を聴いた時には、真綿で首を絞められ奥に引きずり込まれていくような感覚になった。
しかし「スクリーマデリカ」には向こう側に突き抜けていくような気持ち良さがあり、精神を膨張させて肉体から飛び出すような感覚になった。
それはソウルミュージックを聴いた時の熱狂と解放感、サム・クックのライブアルバム「ハーレムスクエアクラブ」に近い体験だった。
つまり内向的なインディーロックには黒人の要素がなく、開放的なロックンロールアルバムには必ず黒人の要素が含まれているという仮定を証明している。
以上が「スクリーマデリカ」をソウルミュージックだと思った理由だ。
そして次に、単にチープな解放感だけじゃなく、反逆者のような企みや特定の対象に中指を突き立てる怒りを感じた。
調べてみれば、ボーカルのボビー・ギレスピーは大のパンク好きみたいだ。
ジョニーロットンやジョニーサンダースを崇拝する根っからのパンク少年なのだ。
収録曲「Loaded」の中盤で掻き鳴らされる、粒が荒いギターのキメに怒りを感じたのは、つまりパンクロックの精神が彼の中に存在するからだろう。
また、ブジロックの主催者が今までの出演者で最低だったアクトは誰かと尋ねられ、プライマル・スクリームの名前をあげていた。
理由は、ヘッドライナーとして出演した際にブジロックの機材をパクってイギリスに持ち帰ろうとしたんだとか。
まるで70年代パンクのゴロツキみたいなことをしやがる最低で最高な男じゃないか。
さらに面白いのは、パンクロックが好きな彼が単純に70年代のサウンドで表現せずに、90年代の技術をフルに活用してパンクを表現した点だ。
パンクロックが常にオリジナルの音楽であるという美学を裏切らずに、新しい形でパンクロックを想起さた、彼は紛れもない反逆者だと思う。
ニルヴァーナよりも反逆者の面影を持ち、レッチリよりもファンクに対する敬愛があり、オアシスよりもイギリスらしさを感じさせ、BECKよりも実験的なカリスマ性があり、マイブラよりもアヴァンギャルド。
僕にはそう思えて仕方がない。
そして何よりもボビーがロックンロールのファンであるということ、いつまでも少年のようにロックンロールに夢中になっているということが魅力的だ。
僕はあなたのおかげで音楽の嗜好の幅を広げることができた。
打ち込みやシンセサイザーやサンプリングがロックンロールじゃないだって?
いいから黙って「スクリーマデリカ」を聴きやがれ。
最後に、プライマル・スクリームのファンアートを描いたら、インスタの公式アカウントがそれを掲載してくれたことをとても感謝している。
些細な出来事だが、ファンとして彼らに1ミリでも関与できたことを心から嬉しく思っている。
人生には常に変化と反逆を、そしてプライマル・スクリームに最大限の愛を。
「スクリーマデリカ / プライマル・スクリーム」
1991年リリース
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