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#16『名前のない少年』

インド旅行でジャイプールという街に行った。
建物がピンク色に塗装された伝統的な街並みは世界的に有名で、インドに行けば大抵の人が訪れる観光地である。

初めての海外旅行で右も左も分からない僕らは、されるがままにタクシーの運転手に連れられニューデリーからジャイプールへと向かった。

運転手を勝手にケビンなんて名付けて呼んでいたんだけど、こいつがかなりの曲者で、僕らの自由気ままな旅を尽く邪魔した張本人である。
彼の口癖は、ファクトリーに行こう、車内で何度もこの言葉を聞かされた。
詳しいことは分からないけど、ケビンのボスが刺繍か糸かのジュエリーを作る工場を経営しているらしく、何かあればすぐそこに連れていこうとするのだ。
要するに僕らは都合のいいカモで、仲間内のお店に連れて行ってお金を落とさせようという魂胆だ。
しかし既に旅中にぼられた経験を何度もしており、かなり過敏になっていて、車内のみんながファクトリーなんかに行ってたまるかという強い意志を持っていた。

ジャイプールのホテルの前に着いて、車から降りると、ケビンは後で向かいに来ると言ってしつこく僕らをファクトリーに連れていこうとする。
旅先で出会ったバックパッカーの青年は、さすがに痺れを切らして、ファクトリーには行かない、自分達だけで観光するから放っておいてくれ、とかなり強気な言葉でケビンに伝えた。
するとケビンは、この街はジャンキーが仕切ってるから気をつけろよ、と気遣いではなく脅しのようなニュアンスの言葉を残し、アクセルを踏んで遠くへ消えていった。

ようやく本来の目的である自由気ままな旅を取り返すことが出来たのだ。

ジャイプールの街は格子状に作られていて、無闇矢鱈に歩き回ると、自分が今何処にいるのか分からなくなる。
そういうのも凄く楽しくて、散々歩き回って迷子になりながら街中を観光していた。

屋台で売っているよく分からない食べ物を買ったり、まさに旅らしいことをしていたし、友達はスーパーでいかにも外国っぽいチープなパッケージのアイスを買って、それがあまり美味しくなかったらしい。
すると道端に座り込む現地の家族が友達にそのアイスをくれと言ってきた。
美味しくないアイスの捨て場所に困っていた友達には都合がよく、彼はその家族にアイスを手渡した。
するとその家族は僕らに礼を告げ、お返しに一緒に写真を撮ろうと言ってきた。
脳天気な僕は何も考えずにその家族と一緒に写真を撮った。
しかし、友達がシャッターを切った次の瞬間、彼らの顔つきは一気に豹変した。
僕の手を強く掴み、マニー、マニー、そう連呼している。

僕は本当に馬鹿だったのだ、写真を取ろうと言ってお金を請求するのは海外旅行では最もベタな詐欺の手法。
そんなことは知っていたけれど、友達がアイスをあげた以上等価交換という勝手な思い込みがあったので、疑いすらしていなかった。
何かを与えたら、自分もお返しに与えられるという日本での常識は、インドでは通用しないということをその時に学んだ。

僕は完全に捕らえられ、もはやお金を渡す以外逃げ道はない状況に陥った。
しぶしぶ鞄から財布を取り出すと、関係のないインド人が次々に集まってきて、僕は10人くらいに囲まれて既に涙目だった。
助けを求めるようにシャッターを切り終わった友達の方を見ると、呆然とこちらを眺めているだけで全くもって助けに来るような素振りはない。

最後の抵抗として、ルピーはない、日本円しか持っていないと伝えると、ジャパニーズマネーオッケー、と彼らは言う。
そして僕の財布に手を伸ばし無理やり紙幣を奪おうとしてきた。

なんだか僕は腹が立ってきた。
彼らの生活水準がどんなものなのかは想像もつかない、こんなふうに人の優しさに漬け込むことが彼らの生計を立てる術だということを否定するつもりもない、僕はそういう国に自ら足を踏み入れたのだから。
だけど、僕は何かぬるま湯に浸かった生き方に慣れすぎている気がしたのだ。
言葉にしなくても何となく相手に伝わるだろう、他人が嫌がることは言わずもがな想像できるだろう、そういう日本人なまりの都合の良さにだ。
日本から1歩外に出れば一般論なんて通用しない、僕は自分自身の言い分をちゃんと言葉にして伝えなければ、きっとこの先も旅の中で何ひとつ成長しないままおどおど過ごすことになるだろう。
そう悟った僕は、自分でもよく分からないけれど、奇声にも似た叫び声をあげていた。
するとその瞬間、僕の体を掴む彼らの手がぱっと離れたので、僕は勢いよく逃げ出した。

友達はそれを見て笑っていた。
バックパッカーの青年は、海外旅行で最も有名なトラブルに引っかかった僕にうんざりしたような表情をしていた。
さっきまで涙目だったけど、トラブルに巻き込まれることで旅の楽しさをより実感していて、そんな自分が嫌いじゃなかった。

今でもその時の写真が残っていて、路上の家族も僕もとても幸せそうな笑顔で写っている。
まさかこの1秒後にあんなシビアな雰囲気になるとは想像もできないくらい素敵な写真なので、いつまでもお気に入りの1枚だ。

こんなふうにトラブル込みで旅を満喫して、日暮れの時間が近づいてきた頃に、サンテンプルという、丘の上にあるお寺に向かった。

でこぼこの坂道を登り、道中には野生の動物がたくさんいて、ほとんどアトラクションみたいな感覚だ。
頂上にたどり着くと、ジャイプールの街並みが一望出来る高台の景色に僕らは圧倒された。
先程のようなトラブルを巻き起こす人達の影も見えないくらい小さくなったピンク色の街並み、大きな鷲が僕らの上空を横切ったり、まるで非現実的な時間を退屈することなくただのんびりと過ごしていた。

するとひとりの男の子が僕らに話しかけてきた。
10ルピープリーズ、10ルピープリーズ、彼はそう繰り返す。
何処に住んでいるの、と尋ねると、この丘に住んでいると彼は言った。
お金はないよ、と伝えると、チョコレートプリーズ、チョコレートプリーズ、そう繰り返す。
僕はポケットに入っていたパインアメを彼にあげた。
すると、ワンモアプリーズ、ワンモアプリーズ。
僕のポケットはもう空っぽ、胸の中は言葉に出来ない感情でいっぱいになっていた。

名前を尋ねると、彼は名前が無いと言った。
彼なりのおどけた冗談だったのかもしれないが、それ以上は何も尋ねることが出来なかった。

日本人の僕にはこの国で起こる出来事が嘘か真実かに関わらず、繊細な気持ちにさせられる要因になる、それがエゴだとしても、僕が今までの人生では気づかなかった考えと出会うきっかけになったのは確かだ。

僕らは彼にちんちんという名前をプレゼントした。
すると彼は喜んで、ちんちんと連呼していた。

とても陽気な可愛らしい男の子で、しばらくの間一緒に戯れて過ごした。
彼はピーナッツの入った袋を手に持っていて、丘に住む動物にあげる餌を観光客に売って生活をしているようだった。
僕らは街で買った2リットルの水を持っていて、彼はその水とピーナッツを交換して欲しいと言ってきた。
友達は、快く水とピーナッツを交換した。
すると、やっぱり返して、と言って水とピーナッツを元通りに交換し直した。
そんな戯れたやり取りを少年は楽しんでいるようだった。
しかし、僕はそれをあまり純粋ではない感情で見つめていた。
つい数時間前に街でトラブルに巻き込まれた僕は、かなり疑心暗鬼になっており、きっとこの男の子も最終的に何か理由を付けて僕らにつけこもうとするんじゃないか、と被害妄想さえしていたのだ。

辺りが暗くなる前に、そろそろ街に戻ることにした。

最後に男の子は、ピーナッツを僕らに渡してきた。
友達は水を彼に渡そうとすると、いらないよ、と言った。
それならと、ピーナッツを彼に返そうとすると、あげる、と言った。

僕はその瞬間にはっとさせられた。
自分はまるで汚れきった人間だ。
騙されることに慣れて、まるで人の優しさを信用できなくなっていたのだ。
彼はまだ小さな子供、きっと優しさにつけ込んで人を騙すことを知らない年齢。
たぶんこの先、多くの人達と同じように、自分が生きていくためには、何をするべきか、という方法を学んでいく。
昼間に僕の手を掴んでお金を請求した路上の家族は、この少年の数年後の未来なのかもしれない。

残酷な言い方をすれば、僕と彼は違う国、違う環境、違う生活の中にいて、僕のような人生を送ることは出来ないだろう。
近くのコンビニに立ち寄って粗悪品をなんの躊躇いもなく買ったり、週末にはレコード屋さんに行ったり、彼には出来ない、生まれた時から決まっている。
だからと言って道徳的にどうとか世の中の仕組みがどうとかは考えない、遠く離れた国の問題を憂慮できるような人間ではない。
だけど、僕は僕が望めば、こうんなふうに遠く離れた国にだって行くことができる。
だけど、彼はこの国から、もしかしたらこの街のこの丘から一生離れることが出来ないのかもしれない。
そんな彼を不幸だと思うか。
僕の定義でどうして測ることができるだろう。
自分の価値観を押し付けるのは本当に駄目な癖だ、自分自身が嫌になる。
他人を傷つけないように、迷惑をかけないように、優しい人間になりたい、美しい人間になりたい、そんなふうに日本で培った道徳心なんて、この少年の前では何ひとつ役にも立たない。

彼の手には何も無い、ピーナッツの入った袋だって今は手放した、それに比べて僕の両手には生活の理屈ばかりが積み重なっている。
彼はそっと手放した、僕は彼のように何かを手放せるだろうか。
彼は誰よりも何も無いけれど全部を持っていた、そして生きようとする強さだけが燦然と輝いていた。

少年に別れを告げて、僕らは丘を下り始めた。
頂上からは少年の、グッバーイ、という声が何度も聞こえてくる。
彼の声は周囲の山々にこだまして、そのいつまでも続く余韻がジャイプールの街を優しく包み込んでいた。

少年との出会いは、インド旅行においてそれほど比重が大きい出来事ではなかった。
だけど日本の生活の中でたまに彼のことを思い出す。

僕は彼のように手放せるだろうか。
それがピーナッツの入った袋であれ、もっと壊れやすい心の部分だったとしても、人を愛するために手放せれたらどんなに素敵なことだろう。

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